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おんなじ、おんなじ

 死を厭いなさんなよ

 命が終わるのを 悪者にしなさんなよ

 生きるのも 死ぬのも 

 おんなじ、おんなじ

 おんなじよ(同じよ)


 この夏、こどもたちが九州の父方祖父母宅へとお邪魔した折、昨年の夏に逝った私の母の話が出たらしいのです。私の母よりちょうど10年ほど年若のおふたりにとっては、先々の自分を重ねるのか、「ガンだったの」「病気で亡くなったの」とそれはそれは、いたく亡くなったことを残念風に言うのだと長女は不思議そうに旅の土産話を私にしていたのでした。長女は、ばあちゃんが病気で入院していたことは知ってはいましたが、それが原因で亡くなったのだとは考えてはいなかったのです。それもそのはず。私が母の死を寿命なのだと受け止めていたのですから。

 人は、病気で亡くなると、命を終えた理由を「病気にかかったせい」だと思いたがるようなのです。事故で負った傷が元で亡くなると「不慮の事故のせいで亡くなった」と考えるようなのです。

 私は教わっていました。見知らぬ人のお葬式の家の前を偶然にも通ったのなら、それは「自分の生き方を、命の使い方を、見直してみなさい」と言われて導かれたのだと。肉体と言う器に入った魂が、解放されて、生まれる前にいた場所に還るときは、どんなに幸せなことであるかと。「向こうでは(おつかれさまね。よく、がんばったね)と労わりを受けるおめでたいことなのだと。
 誰も死んだあとのことを見ることができませんし、それを語ったところでそれが本当のことだと確かめることもできないことでしょう。でも、どんな風に想いをめぐらせ、どのように受け止め、どう実にするのかは人それぞれの心の自由です。
 どのようなものだと考えたら、あなたはしあわせですか。周りの人はしあわせな気持ちになりますか。人の命の終わりは、できるだけ言祝いであげたらいい。失った哀しみは、哀しみとして惜しみなくだしていい。それをまぎらわせるために、死を悪者にすることで置き換えたりしないでいいのです。「事故で死んでしまうなんて」と下手をすると、死んでいった人が悪いように聞こえてしまう言葉なんて誰に耳にも残さないでほしい。

 どんな人であろうとも、その死は、遺された人たちへの贈りものです。少なくとも私はそう思っているし、そうなのだと伝えたい。贈りものの中になにが入っているのか、それを知ることができるのは受け取る自分自身だけだと。ほかの誰かが決めなくていい。それは優しくないことかもしれない。それは厳しいことかもしれない。まったく甘くもないことかもしれない。

 それでも。

 「それを学んだ」。

それだけでいい、充分だと思っておけばいいではありませんか。


 「可哀そうなことだね。もっと生きられたのに」などと、人間は、人の一生の長さを決められやしません。勝手に決めないでくださいな。どの命も、数日の命も、おなかのなかで過ごしただけの命も、100年を越えた命も、どれもおなじ一生(いっしょう)なんですよ。
 虫の命も、惑星の命も、おんなじ一生を過ごして終えるだけのものなんですよ。それでいいじゃありませんか。

 存在意義なんて、くそくらえ(あら、おほほ)。


 命は尊い。ならば。
 生も死も同じように尊いのだと、知らなければそれは不自然なことです。
とても不自然なことですね。
 それを知らなかったらどうなるのでしょう。
 生を軽んじ、死を軽んじ、自分の命の重さを測るようになってしまわないでしょうか。

 死をわるものにしないでほしい。わるものじゃあありません。
 生をよいわるいにわけないでください。分けられようもありません。

 おんなじ、おんなじ。


 ただ、ちょっと下手な人はいそうです。
 上手な人もいそうです。
 自分の命の使い方を、他人に訊ねる人もいるのだそうです。
 自分の命の価値を、他人に委ねる人もいるのだそうです。
 自分の命のカタチを、他人の目から確認してもらう人もいるのだそうです。

 おかあさんが生んだのは、あなたなのにね。
 他の誰が代わることができようか。

 あなたにとっての親は、他の誰に代わってもらうことだってできる。
それはできる。
 でも、あなたを代わってもらうことはできない。
 あなたの子を、別の子に代わってもらうことはできない。
 母の身としては、そんなことを思ってしまいます。

 おんなじ、おんなじ
 生も死も
 大して、変わらん
 そんなに大仰に構えることもないし、かといって、そんなに生易しいものでもないかもしれないけど、どんな生き方しようが、どんなに偉くなろうが、どんなにみじめだろうが。

 あの背の高い樹から見下ろせば、どんぐりの背比べだ、くらい思ってみてもいいと思うのよ。
 ゆっくりゆっくり生きてね。

 間違っても、「今日と同じ明日も明後日も、5年後も10年後も来るんだ」なんて、のほほんと思うんじゃないよ。そんなことは無いんだよ。だって生も死も同じくらいほんの傍らにあるものなのだから。遠い過去か今につながり、未来が今につながっているのだから。めぐりめぐって、ひとさまには理解できない綱を神様が神無月に集まって相談なさってるっていうからね。生まれてくる前に、ちゃんと約束を言い渡されてきたのかもしれないでしょう。迷ったとき、立ち止まったときには「約束、果たせたかな」って、ちょっと聞いてみてもいいんじゃないかな。返事は、たぶんきっと自分の心の内から聴こえてくると思いますよ。

 孤独って、そういうときに都合がいいものです。自分に優しいものです。全部、自分への贈りものだと思えばいいんです。それくらいでちょうどいいんです。それでちょうどいいくらいの人には、ですけど。

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