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かならずそこにあるから

 やさしさに傷つき、やさしさに溺れ、やさしさに悩み、やさしさに力を奪われる。そんな出来事にきっと出会うときがある。

「辞めたいんだ」
「もう少しがんばれば達成まですぐそこじゃないか」
 がんばりつづけてもうこれ以上がんばれないのに。
「辞めようかと思うんだ」
「きみの決めたことならなにも言うこと無いよ。そうすればいいじゃないか?」
 自信がないんだ。ほんのちょっとの勇気が欲しいんだ。きみならまだやれると背中を押してほしいのに。
 最後まで自分の力で歩き続けたかったのに、ひょいとゴールまで運ばれてしまった。そんなこと望んでいなかったのに。
「失敗したら助けてあげるわ。いつでもいいなさい。わたしがいないとだめなんだから。」
 失敗を望んで、崖の下に放り込まれるのをよろこんでいる。
「ほら、言った通りでしょう。」
 
「これをやりなさい。できるようになれば安心だから」
「これを持っていなさい。持っていれば大丈夫だから」
「これはやめなさい。あなたのためにならないから」
 私は誰だ。あなたは誰だ。私はどこだ。自分を見失いそうだ。 

 やさしさはすべての人が持っている

 「ねぇ!〇〇ちゃんがおもちゃを貸してあげないの」
 「あら、どうしてかしら。どのオモチャ?」
 そのおもちゃを持っていたちいさな子が泣いたことがあった。
(ちいさな子には貸してあげたらいけないの。泣いちゃうの。)
使い終わった消しゴムを、用は済んだとばかりにポイッと投げ出す癖。
「落としたよ」なんてわざわざ言う必要無いよね。拾ってあげたなんて思われたくないもん。「どうぞ」なんて声をかけることなんてできるわけがない。気づかれないようにそっと机の上に戻す。「あれ?」という顔をした。ふふ。それだけで充分。なんだかうれしい。
落とし物。ここにあったら落とし主は気づかないだろうね。上の方に置いておいておけば見つけてもらえるかな。おうちに帰れるといいね。
「どうしたの?」
「ううん。大丈夫。なんにもないよ。別に、なんとなく。」
「そ。別にいいけど、そこにいてもらっても。」
1人でいたいけど、独りだと思いたくは無かった。ありがと。


 やさしさが どんなものかなんて、そんな答えは出ないでほしい。
やさしさってこういうものだよなんて、教えてもらっても、全然違うことだってある。やさしくしなさいなんて言われても、やさしくしたのに嫌われることだってあるんだ。 

 でも、かならずそこにあるんだ。


「先生、怒ってたね」
「うん。一人でね。」
「あれ…哀しかったんだよね、きっと。」
「すごく…悔しかったんだろうね。」
「自分のことじゃ、ないのにね…。」
「お母さん、怒ってたね。」
「怖かったからね。痛い思いをしたのがお母さんでよかったけど。もし、あなたたちだったらと思ったら、怖かったからね。だから怒りの感情がわいてくるんだよ。
 叱るんだったら、どうしたらよかったのか一緒に考えるとかするけど…。怪我や命にかかわることなら叱るなんて冷静でいられないよ。咄嗟に怒るよ。怒る理由はそれだけだよ。」


 やさしさの居所を探して、見つけて、そうして、やさしい気持ちに何度でもなれる。それはもう確信している。



嘘をついて自分の得を喜べるならどんなにラクなんだろう。
人の失敗を笑ってたのしめるならどんなにラクなんだろう。
ごまかしても平気になれるんなら、なんてラクなんだろう
自分のついた嘘を忘れられるならどんなにラクだろう
哀しい顔を見て、なんとも思わないでいられるなら、なんてラクなんだ
何も気づかないでいられつづけるなんて、なんてラクなんだ
誰のことも知ろうとしないでいられるなんて、自分の知らないことがあるんだって思いもしないなんて、なんてラクなんだ

 

 できないんだ。


 そうやっていつも自分の無力に苦しんで、やさしさなんて棄ててしまいたいのに、できなかった。だからやさしさと同じくらいの強さが必要だったんだ。
 それは自分を受けとめられる心だった。
 自分にやさしくすることだった。
 まだまだ、難しいよ。

 逃げられないのなら、やさしさに向き合うしかないから、
 答えの無い問いを考え続けていたい。

#やさしさってなんだろう

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