皇居のある_千代田区千代田_を学ぶ_東京23区コンプリート_のコピー

天守台下にはお宝が眠る?今は皇居、昔は江戸城「千代田区千代田」~東京グラフティレコード~

こんにちは、タクシーをエンタメにしています。
ヨナシロです。

タクシー運転手であるならば、都内の地域の地理のみならず歴史まで知ったほうが楽しく走れるだろうと各地区に関する由来や歴史を学ぶことがあったのですが、それを本格的にアウトプットしていこうと思います。

お試しでやってるので、

~東京グラフティレコード~とは、、、
東京でタクシー運転手をするヨナシロが、都内の23区の地理だけでなくその場所の歴史や由来まで全てを修めることを目指す遊び。
江戸時代、明治、昭和、現代と、各時代ごとの地理を知り、地図を時代ごとの階層で見るができると面白そうだと思って始めた。通と言われるほどの知識ではないので、ガチの歴史好きな方はご容赦下さい。


第一回目の今回は、東京の中心に位置し、皇居のある千代田区千代田についてです。

千代田区千代田の由来と場所

由来

江戸城の別称が「千代田城」だったことによるらしく、
また、その千代田という名は、江戸城を築いた太田道灌が千代田、宝田、祝田の3村の地に築上したことからつけられたとか。
この他にも「千代」=「永遠」というめでたい意味や、文字もやさしく、言葉のひびきも美しいという理由も含まれていると考えられているそうです。

場所
千代田区千代田はほぼ皇居のある敷地を指していて、
皇居を含む宮内庁、宮内庁病院、皇宮警察本部があります。
第二次世界大戦後に宮城(きゅうじょう)の名称が廃止された江戸城跡一帯を指して皇居と呼んでいるそうです。
一般の方が入れない坂下門より中の地域には、関係者をお送りするときだけタクシーでも入ることが出来ます。(経験あり)
丁目の設定は無く、皇居がある地域、皇居東御苑、堀が町域の全てを占める。
郵便番号は100-0001

(赤線内)

千代田区千代田の江戸以前

江戸の地に、最初に根拠地を置いたのは江戸重継(しげつぐ)という武家でした。
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて、この場所に居城を置き、
武蔵国江戸郷を相続、江戸貫主となり「江戸四郎」を称して江戸氏を興しました。



千代田区千代田の江戸時代前後


江戸城、築城
皇居のある千代田区千代田は江戸城があった場所だというのは言わずとしれたことだと思います。
その江戸城を築城したのが太田道灌(おおたどうかん)という人物です。
1457年(室町時代の中期)、応仁の乱(戦国時代のきっかけとなる足利家の内乱)が始まる前に関東周辺が荒れていたころ江戸のあたりに根拠地を置いていた江戸家の没落した後、建てられました。
江戸城築城のきっかけは「夢のお告げ」や「九城(コノシロ)という魚が船に飛んできたことにより=この城、つまりここに城を建てよ」
等の逸話があります。
結局は「江戸城付近にまだ居座っていた江戸氏を追い出すための口実だった」とも言われています。

簡単にいうと、
「江戸時代の徳川家のお城」というイメージだけどそのずっと前に太田道灌によって建てられていたみたいです。

ちなみに、江戸の由来は(諸説あり)、大河(江)の入り口(戸)というのが有力だそうです。
このほかには、
・江に臨めるところ(入り江)
・武蔵野の低湿地に荏草が生えていたことから「荏戸」
・律令制の郷に満たない小域を言う「余戸」がなまって「えど」となった。
・アイヌ語で「エッ」は「出鼻」のことで、江戸周辺の海岸に突出した台地の形状から
等があります。

太田道灌が江戸城を築いたころ、今の新橋、浜松町、田町周辺は入り江があり、日比谷公園から東京駅あたりまでは一面砂浜となっていたそうです。

(引用元)

その後、室町幕府の力が衰え、戦国時代へと突入し豊臣秀吉の小田原攻めのため開城。関東地方を与えられた徳川家康が江戸城へ入った。
でも、そのころの江戸城は、太田道灌の築城から地形は変わらず、また時を経て荒れた江戸城が残っていたとか。

そんな江戸城を作り直すにあたって、まずは神田山を切り崩し、日比谷周辺の海を埋め立て、運河をつくり、上水道の整備も行いました。

その後、征夷大将軍となり「天下普請(てんかぶしん)」という全国の大名に工事を分担させる方法を使い本格的に築城を行っていたそうです。
徳川家三代(家康・秀忠・家光)、およそ35年をかけて
東西5.5㎞、南北4㎞、周囲14㎞と日本最大のお城が一応で完成しました。

その間、江戸三大大火であり、世界三大大火と呼ばれることもある「明暦の大火」によって天守を含めた多くの場所を焼失、二万から十万の死者を出したと言われています。
その後、再建すべきか議論は分かれましたが、会津藩藩主 保科正之(3代将軍家光の異母弟)の意見により町の復興を優先するため
その際は天守が再建されないことになりました。
でも、今ある天守台はその時途中まで作られたものだそうです。
焼失前の天守がもし残っていれば、高さは天守台と合わせて59m。
20階建てのビルに相当する高さであったそうです。

江戸城内郭
完成した江戸城は本丸、二の丸、三の丸、西の丸(紅葉山、吹上、北の丸)総計1,8㎢で全国の城郭中最大規模であったそうです。
それどころか、全国城下町の平均規模ほどあり、内郭だけで一般的な城下町全体の面積を持っていた。
本丸は将軍の居館であると同時に幕府の中枢
二の丸は将軍別館の主要な機能、時に世嗣(よつぎ)の居館となることも
三の丸は二の丸に準ずる内容。
西の丸は大御所隠居の館
となっていた。
その後、文久ドの再建計画中に本丸、二の丸の火災で以後再建されず、西の丸のみが仮御殿として造営され江戸最後の殿舎となった。
維新後、皇居となった

平川門
家康入場以前、この場所には上平川、下平川などの村があったところ、
典型的な増形門で高麗門・渡櫓・木橋が昔のままの姿を残しているのはここだけ。
この門は大奥に近く、大奥に仕える情勢たちが出入りする門であることから、
「お局御門」とも呼ばれた。
また、城中で死者や罪人が出るとこの平河門から出せれることになっていた。
そのために「不浄門」とも呼ばれる。
この門から出されたのは、赤穂浅野長矩や、役者生島新五郎との恋におぼれ、大奥の風紀を乱した罪で追放された絵島がいる。
(絵島に関しては大奥の権力争いの陰謀で冤罪説もある)
3代将軍家光の乳母・春日局が閉門の時刻に遅れ、寒夜を門前で明かしたという話も有名だそうです。


千代田区千代田の明治~現代

江戸城が完成してからは、200年以上にわたり江戸幕府の中心でした。

明治になり、明治新政府軍に明け渡されると東京城(とうけいじょう)
京都から天皇が遷ってくると皇城(こうじょう)
明治の宮殿が完成して宮城(きゅうじょう)と変わっていきました。

大正時代には関東大震災で大きな被害を受けました。

遷都論
遷都に関する議論は何度も行われていて、関東大震災の後、陸軍のもとで遷都論の構想が行われていたそうです。
戦争を想定した防衛を考えた場合、東京は首都として適当ではないと言うのが理由です。
第一の候補が、京城(現在の韓国ソウル)の南、「龍山と永登浦」。首都防衛とともに大陸進出の願望を込めた構想。
第二の候補が兵庫県の加古川流域の平野。ワシントンにならって皇居・政府機関・教育機関を置く構想。防衛上とともに、地震が少ないという理由。
第三の構想が、八王子。これは議論にもならなかったとか。
その後、一旦遷都論は落ち着くが、引き続き構想が上がることは多く、日本開戦前には
柿生移転論が生まれた。(現在の神奈川県川崎市麻生区)
ここには居住地をつくり、高速鉄道で宮城と結ぶ構想。
海からの艦砲射撃に備えた構想。

その後、空襲により大手門が消失、「皇居」と改称されるなど
時を越えて千代田区千代田は変わっていきました。

平成18年には日本名城100選にも選ばれています。

皇居のちょっとした情報

宮中の儀式や陛下のご公務が行われる宮殿や宮内庁庁舎があるのはかつての「西の丸」
江戸城の西の丸は、将軍職から引退した大御所や将軍世子(世継)の住む場所だった。

天皇皇后両陛下のお住まいである御所や宮中三殿(賢所・皇霊殿・神殿)などがあるのは「吹上」と呼ばれているところ。
その吹上には、当初御三家や譜代・親藩の有力大名の屋敷がならんでいたそうですが、明暦の大火のあとに火災防止のために全て撤去され、広大な庭園となったそうです。

撮影スポット「二重橋」

皇居周辺でも観光客の撮影スポットとなっている「二重橋」
実は、よく撮影される手前の橋が二つのアーチがあるため二重橋とされがちですが、実際はその奥に見える鉄橋が二重橋だそうです。
正式名は「皇居正門鉄橋」
建設当初の江戸時代には、木造で二重構造になっていたそうです。

皇居東御苑

皇居東御苑には天守閣跡、忠臣蔵で有名な松の廊下跡、100人の警護で利用されていた百人番所、本丸へと続く最後の大番所、大奥のあった芝生。
歴史物語でも出てくる場所が数々あります。

また、無料で回れる都内のスポットを案内した本「FREE TOKYO」の中では『東京で一番美しい芝生のある庭園』と言っても過言ではないとまでその庭園の美しさを紹介されています。

江戸城天守台にはお宝が眠る?
火災によって焼失した天守を再建する際、途中までは再建の方向で動いていました。
その時に担当した加賀藩前田家が焼けた石垣を崩すと、金銀の塊が土と混ざって出てきたとか。

都道府県の木
昭和43年、東御苑の公開に際し、各都道府県から寄せられた木々が植樹されている。



《参考にしたサイト》


《参考にした本》

江戸東京学事典(三省堂)
江戸東京物語 都心篇(新潮社)
江戸いまむかし謎解き散歩(廣済堂出版)
江戸城と大名屋敷を歩く(大月書店)
江戸東京早まわり史散歩 (学生社)
地図と楽しむ東京歴史散歩(中公新書)
時代を旅する江戸城(メイツ出版)

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