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ウンコ踏んで生きる

連続途絶えそうだから下書きを出します。


街中を歩いてるときに、ふと、思いました。

なんか最近、下向いて歩いてるな。

下向いて歩いてたら、前が見えない。
前から歩いてくる人は、カッコいいのか綺麗なのか、背が高いのか低いのか
スマホを使いながら向かってくるのか、自転車に乗っているのか
分からない。

前だけじゃなく、上も見えない。
日中であれば広く澄み渡った青空も、ひどく覆われた曇天も。
夜だと、燦然と輝く無数の星たちとその間に流れるかもしれない流れ星も見つけられない。

これは現実的、物理的な話だが人生はどうなんだろう。

“下を向く”を「過去」と仮定して考えてみると

人生において下(過去)を向いていても、現在は見れない。
生きている以上見ているとは言えるが見えてはいない。

過去を考えても、現在を楽しめないし未来は見えない。
見えていなければ、チャンスに気づけないし掴めない。

未来が見えないというのは、目標がないと言いたいのではなく
過去に囚われているといいたい。

目標を持たなくても、普通に前を向いていれば良い。
前を向けば色々見えてくる。

目標を持ったならば、上を向けばいい。未来を見ればいい。

上を向きながら歩いたら、下が見えない。気付かないだけで危ないかもしれない。
目の前は崖かもしれないし、車の通る車道を平気で歩いてるかもしれない。

でも、ずっと上を向く訳じゃない、前を向きながら上を見る。
そしてたまに、下(過去)を振り返る。

下を見なければ気づけないときもある、ウンコを踏むかもしれない。踏んでいるのに気づいてないかもしれない。
そんなの踏めばいい。

人生でもウンコを踏むかもしれない。

都合よく解釈してるかもしれないが、ウコンを漢字にしてみる。

運故
運はめぐり合わせ、さだめ。
故は古いものや理由(ユエと呼ぶ場合)

めぐり合わせやさだめも、古くなる、過去になる。
未来で成功するための理由になる。

ウンコを踏むという失敗がその先で成功するための理由なる。

運顧
顧はかえりみる。ふりかえって見る、思いを巡らす。

めぐり合わせを振り返り、思いを巡らす。

ウンコを踏んだ時に何をしていたのか、何がイケなかったのか考える。

ウンコを踏むという失敗を振り返り、成功へ近づく。

運己
己は自分自身。

めぐり合わせは良くも悪くも選んだ自分の責任。

失敗したなら、他人じゃなくその選択、判断をした自分の責任。

ウンコを踏んだ理由は、他人じゃなく自分にある。

運去
去はカコのコであり、その場からさる。

めぐり合わせも過去になる。その時その場所から去り時間は進む。

失敗も時間がたてば過去になる。


そんな日常が成功を運んできてくれる。


前を見れば見るほど、上を向けば向くほど、
ウンコを踏む可能性は高くなる。

でも、前を向き上を向くことで踏んでしまったウンコがあるからこそ
成功も近づいてくる。



ウンコを踏んだっていいじゃない。

だから、ウンコを踏んで生きる。


でも臭いのは勘弁です。。。



ps,どこかにウコンがあったのは秘密、、、笑

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