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1/14〜2/19

おやすみプンプンを、読みおわった。6年を2日で読んだ、贅沢だな。漫画としての表現がすごいから見入れるけれど、心としては見たくないもので、あの技術をもってこれを描きたかった変態さが、すごい。病気にならない読み方は、反面教師。生理的にショッキングなことが多くてそういうのも作品として大事だなと。小中高と、不登校とか家庭環境が壊れたりとか、思春期の性の圧力とか、読むと昔のこと思い出される。男が陰鬱になるとみんなあんな感じで個性のない。男の性欲と居場所の欠乏がドッキングしちゃって、そこに女の子が漬け込んで、それさえありがたい感じ、よくわかる。これを抜けるには、多少支えてもらいながら自律するしかない。身体の健康作りも、言葉使いも、仕事も、目標も、必要。

縁あって好きなことを見つけて、それで稼ごうとしたら、地味なするべきことの階段がばーってあり、それをこなしていくだけ。もっとこうしたら良いのでは?とか、試したり分析したりするけど、基本は無心で評価も成功も気にかけず、継続すること。相手が自分に合わせるという甘えではなく、ターゲットを見つけて注意を引くものをぶら下げて、見入らせて、尊敬とか感謝とか興味を集めて、相手が自分に合わせたくなるように仕向ける。僕は野生に戻って堕ちて、やれるようになった。

わたしは自律が理想だが、不完全なので、自律ぶりを評価されて居場所が欲しい生態だから、芸術や修行が1番都合が良くて、そこに進んでるだけだな。個性とかなくて、計算機だな。人間本氣になれば、どこか恥さらしみたいになる部分があるから、恥は幻想で、本氣になった者勝ちな所がある。自分の芸術に執着したりしてたのは、他者評価を気にしたり自己愛だったり、とにかく居場所が欲しいからだった。自分が合わせるのではなく、相手に合わせて欲しいと甘えてるから、と理解した。自分の好きなものを自分に与えるという純粋な豊かさも大切だけど。好きなことを仕事にしようとするのはギャンブルでもあるが、挑戦しないことよりずっとリスクがないし、充実度も高い。同調圧力に飲まれてたり貧乏だと、挑戦できないから、色々と策を講じる訳でした。

どちらが良いか、善悪はなにか、とかを考えて、正解不正解に脳のプログラムを託すことが、もうそれてる。術中にはいってると、気づかないことある。生命は壊して作るものだから、他に害を及ぼす。害を少しに留めて、益を最大限にする。完全な白を待っていたら何もできない。

人生がノイズであること。この表現を内から見つけて、本心、殻や、汚れみたいな領域の粒が、一つの方向に向けたような。強くあらねば。強くあることで強くなる。

清くて白くて純粋なもの。粗雑な感覚がなくて、入るもの全部そのまま。善悪がないことが正しい、堕ちた先の世界。

外からの情報や、昔からの否定的な錯覚で、身体が自分だと認識してしまってる。アイデンティティというもの、自分の考える自分と、外から考えられる自分、それが同一しないと安心しないというのは、人間として消極的だと理解できるようになった。自分が思った自分が自分で、そこに慢心したりせず、甘えたりしないために、外に譲歩する。張り合うのではなく、一つ上の世界から眺める。無知で、浅はかで、それでも許そう、となる。現実は自然とついてくる。大人なら人間のルールについて、よく知っているはず。教育として語り継いでいないこと、こんなにも人類がお金のためにばかり生きること、地球や宇宙規模で、人類が生きる意味、生命エネルギーを損なってるように見える。それが肯定的に錯覚される。つまり、まだ、子孫を残し、未来に期待することができ、勇者が生まれるということ。自然な世界ならば、肯定も否定も、期待も不期待もない。もう、ただ完璧に、いつか形あるものは壊れる。人間のこの迷い、葛藤、地球への不利益は、大きなスケールで見れば自然で、何かの歯車になってると考える。永遠を生きるものたちにとって、気晴らしが必要なのかもしれない。つまり、一生懸命に生きるだけ。知識は無駄なようで、思考の基盤になってる感覚はある。今までの時間の使い方は尊かった。

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