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10/22〜29

のんびり進めようと思った。このままでこの方向で進めていいのか、という不安はひとまず拭えた。汗ふくみたいに。また不安になることはあると思う。汗かくみたいに。考えておくべきこと、意識を集めておくべき所、流してると、不安がたまっていく。その状態で言葉を使うと、硬くて汚い。納得しながら迷い込んでるイメージがある。神様は、迷わずその日その日に生きて、我をなくして神がかるようにしてくれ、と申してる。そのために掃除という意味でしておくべき、我はある、というか、神が示してる中での、人の道を決めてあげることは大事と思う。決めて行動さえして仕舞えば、のんびり神の器でいれば、何もかもことが運ぶ。これが見えないエネルギーの流れの中で、どんな風に行われてるのかわからない。どんな哲学や学術的な理論も、表面的で沢山聴いても、残るものはとてもシンプル。ひふみやカタカムナの世界に触れると根本で、知識とかが霞む。たしかに価値はあるし、その前提知識があるから、ひふみやカタカムナの世界の中身の価値を信じられる、感じられるということはある。それは知識によって方向づけられた身体の、出来具合にあるようにも思う。その理解を言語化することは赤ちゃんにはできないけれど、赤ちゃんはとても理解している。人間の営みは物質的だけど、みんなそれぞれに具体的な課題を取り組んでいるけれど、内的なエネルギーの視点で見れば似通っていて、世界で見れば一体化してる。具体的な課題は人間にとってシビアで、バランスが不安定な世界では、上下ができるし、自分さえ良ければ良いという考えは、ますます生まれる。見る者、見られる者、心を分離させることが悟りだとヨーガ・スートラには書かれてて、それと似たようなことがヌーソロジーに書かれてた。ヌーソロジーというものを見つけて、自分の進行方向の積み重ねをスキップできる、まさに継承だな、と思えるような出会いだった。プルシャとプラクリティとか、身体の世界では言葉が足りないから、物理学とか色んな学問やオカルトや神道の視点から、人間的に思考をして答えを出そうとしてる。そこに人が集まり、ソフィストのようになってる。その空間が愛しい。人間が出来上がるには、世界の全てが必要で、その世界の全ての期待を背負っているような、宇宙のワームホールみたいな構造が見える。言語は弱い、伝えたいことを伝えるには、ヒントのようにしか出せず、互いに常識・コードが必要ならば、それは暗号のようで、暗号ならば、コミュニティの分離で、上や下が出来るように思える。だから人間の環境世界を広げる努力をする方向性が良い、もっと自由に、空間も身体以外も、全部で思考して良い、というように感じた。身体を使いこなすのではなく、世界を使いこなす。それくらいに、人間は霊的な力が備わってる。堕落論を見て堕落する方法について考えている。得る知識、与えられる知識、大事に、それもダークにならず、神の器で受けること。楽に楽に、生命力に従って、怒られ続けてる自分を救い出してあげること。それには1人になる必要がある。無難に生きるのではなく、正しく堕ちる必要がある。国は同調や恥の管理が強いので、堕落することが世直し、みたいな。真理に向かう実際的な手法について、書かれてる風に思った。無難に生きておけば、横並びで平和に過ごせるし、大多数が無難に生きているおかげで、世の中の規律が守られているように思うので、脳はストップをする、奥の心を腐らせる。しかし正しく堕落しなければ、無難な集団にとってただのお荷物になる、弱さは偽善者を産む。正しく堕落して、何を見つけるべきか。誰もしたくない仕事をする、自分しかできない仕事をする、無難なレベルの量の仕事を早く終わらせてさらに仕事をする。今の世の中は、同じ土俵で上と下ができるのではなく、住む世界の違いを見せつけて上と下が出来るようになってる。純粋な村社会の愛、豊かな人の繋がりを壊し、荒廃した世界で逞しく生きることが美徳みたいになってる。あるいは堕落を夢見ながら、働かされ続ける。あるいは、悪い堕落を促進され、生かし続けられる。それは、ダークということに気づかず、経済が生き物のように、経済の成長に都合の良いように、人間は脳を変えられて、お腹を置いてけぼりにしている。周囲に流されない、あるいは周囲とうまく調和できるような、確固たる自律が必要。自分の好きなことを、好きの限界を超えて努力にする必要がある。それはホモルーデンスの遊びの理論を破壊して、経済活動に結びつけるから。身体的な健康や習慣作り、技術の獲得も必要だし、その遊びを破壊されても冷静に生きることができる安定した心身が大事になる。それが、1人になること、と思う。臣民の頭、霧がかかってると、神様言ってる。マインドコントロールというと、まるで論理的な構造から、脳の機能を支配して作り上げてるみたいだけど、本当はもっと深い仕組み。生命の進化の方向性を妨げてる根本があるかもしれないし、その負荷を作るエネルギーなのかもしれない。今が人類にとってどんな転機なのか。この身体には、生と死があり、勝ち負けや白黒や01がはっきりしてるみたいで、深刻になるけれど、世界には、絶対的な生も、絶対的な死もない、無数の01の中で、100%は作らないようにできてる気がする。世界の外を作らないと神は証明できないとか、無限退行とか、そういう論理の話の中に存在はあるし、量子力学やカタカムナでは、見える世界と見えない世界がペアになってる、とあるし、なんというか、もっと怖さも遊びにして、ゲーム感覚で生きると良いのだと思った。もっと自然に、知ったら身につけて、全部忘れて、魚が泳ぐみたいに、犬が戯れ合うみたいに、そういう自分がある気がした。

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