死について
今更選んだことにとやかく言うつもりもないし、その経験があったから今どうするかを決めれるというのがあるので別にいいだろうとはおもう。
自分に非があるものもあったし、やっていることやしていることが違う人もいたし、いちいち関わる事で恨みや怒りをもつのも精神的な消耗として非常にコスパがわるい。
加えて軽度ではあるが糖尿病、精神疾患と軽度の発達障害を持ち、どちらにしろ容体の変化があれば命にも関わる可能性もあるわけで、今は五体満足ではある、気分障害という診断を受け、気分的な浮き沈みがひどいとこもあるがなんとか生きている。
別に男子的な欲があっても子孫を残すという欲求もなく、楽しい事や表現ができれば最低限の生活で生きれたらいいとおもうので見栄やプライドはそこまで高くはないだろうなあとはおもう。
まあそれでも人生において追い詰められて平静さを失い記憶があるにも関わらず多重人格というのを自分の中で決定して多重人格だあとかいってしまったりもしたし、色々と本来ならばすべきことをしなかったりというものもあったし、人生のトラブルにあった際、自分が混乱しやすかったり相手の言葉を鵜呑みにしてありあまりよい結果にならなかったなあとも考えたりしたので平静は大事だなあと今は誰かれ構わず受け入れるのはやめたりした。
純粋な好意で受け取ったものが精神的や物質的なものであっても人によってはしてやったとか見返りを求める結果になるひともいるので、基本的に何かをする際は自分で出来る範囲で何かをするのが大事なんだろうなあとも感じた。
優しいには裏がある人が大半だなあと感じたし、長い付き合いの人以外は気にしなくてもいいのかもしれない。
打ち明けた事が歪曲して伝わりそれがその打ち明けた人から事実とは違う形で真実として伝播されるということもあるので、人間関係は煩わしいし、何よりつまらなくなる。
選んだのは自分であるからわざわざ責めはしないし、自分の常識と相手の常識は違うということを念頭においてすり合わせなければいけないし、正直な話、合わないなあと感じる人とは心を護るために離れたほうがいいだろうなあと感じた。
感謝して黙って別れるというのが一番いいことだなあと思う。お互いに言葉を交わすこともないから、自分が正しいとか間違いないとかいわないけど、思想や言葉はきっと合わなくなっているだろうからね。
そういうのもあって死を選ぶというのは最終的な選択としては否定はしない。だが推奨もしない。僕は二度自殺未遂もして運よく後遺症もなく生きながらえたわけだが、恐らく何かきっかけがあればまた自殺を考えて実行するかもしれない。だからこそ死を選ぶ前に自分が立ち止まる人や、一緒に生きていたいひと、どんな苦難でもその人がいるから生きれるという人がいるなら考えてほしいとおもう。
そこに生きる理由があるなら、僕の場合長い付き合いの仲間がいたので三度目はなんとかしないですむけど、正直な話生命活動に飽きているというのもある。環境のせいにとか人のせいにとか思わないが、色々な人に会いすぎた反面、良い部分もみたが、それ以上に煩わしさを感じてしまったという事も強いのかなあとはおもう。
よって必要最低限楽しく想える程度、表現も元々ビジネスとか興味ないから、誰かに言われても付き合わない方向で自分が出来る範囲でしたらいいのかなあとおもう。
多分色々と話したりなんだりして煩わしくなったら今度こそ本当に死ぬだろうから。
誰かのためではなく自分のために心の平穏は常に保っておきたい。
自分だけの価値観で話すのは俺も嫌だし、それを話すだけの人も嫌だし、感謝はするが、結局何かをして最初から見返りなくてもいいといったはずなのに後から違う事言われたりもするのもいやだし、その人達を悪くいうつもりもないし、その人達の観点で色々といrってもらうのも構わないけど、今後は自分の幸せのために生活をする。
そのうえで死が楽になるなら選ぶだろうしね、自殺方法は大概苦しいものだろうから、安楽死導入されないかなあとかはおもうけど、人間として生まれた以上病や障害があっても満足いく死を選んだほうがいいとはおもうので、希死念慮を抱えながら生きて生きましょうかね。
まあ思い込んでしたことは大概嘘に聞こえただろうし、気持ちが落ち着かず行動したことは忠告無視したとかも思われただろうから反省材料ですが。
SNSをしていると距離感ばぐって意図とは違う事で受け止めて色々な観点でいってくるひとがいるので、twitter、今はXかやめました。
精神的に落ち着かなく簡単に死を考えるタイプはそういうのはむかないだろうし、ネットから知り合った大多数は基本的に中身がわからなくなる場合があるので、やめました。
現実的なとこで楽しい事見つけたほうがいいだろうしね、まあインスタとnoteくらいはしますが、そんなかんじですかね。
自殺未遂したとか色々いったらネットで仲良くなったひとのほとんどは現実で関わったとしても関わらなくなりましたし、そんなもんだなあとおもうので。
死ぬきっかけはどこにでもあるので僕もあなたたちもきをつけないといけないですね。
発達障害当事者の詩人が色々と経験しながら生きていくかんじです。興味あれば支援してくださるとありがたいです