グッナイ小形というひと

久しぶりにグッナイ小形というひとにあった。
相変わらず伸びやかな声で毎回新しい歌を歌うひとだなぁと思った。

Twitter時代、誰でも彼でもあっていた時代。
まだ垢抜けない彼にあった。

なんだか素朴で不可思議な彼がなんか気になり、会おうよ、会おうよとしつこいくらい言った気がする。

初対面で何故か銭湯にはいり、初対面で仲良くしてるご飯屋さんにも連れてった。

煌びやかな繋がりはまだ残っていて、ぼくは少しばかり体を壊しTwitterをやめたころ、いまはXか、Instagramとnoteをつかいだして。

彼は父親になり家族を得て新しい生き方をしている。

僕はつまづきをやめ、新たな歩きをするために休むことと改善することにきめた。

色彩という共感覚があったころ。
彼は優しい色をしていた。

色彩という力を失ったあとも
彼はきっと優しいままだ。

かつての仲間との縁はたぶんまだつながってるし、彼はきっとまた笑顔のまま新たな歌を歌うだろう、路上の世界は高円寺から変えたけど。

彼は暖かな陽だまりのように新しい誰かを魅せ続けるだろう。

出会えたのはきっと奇跡の連続だし、彼に出会ったことはきっと紛れもなく奇跡だし、他の仲間や友人たちにも同じことがいえるさ。

多分僕はこの奇跡的に出会えた仲間たちより先に死ぬだろうなあとおもう。

そんな時にグッナイ小形の歌声と好きだった仲間達の歌声があるといい。

またどこかであったなら
なにげない話をしてまた会おうといおう

発達障害当事者の詩人が色々と経験しながら生きていくかんじです。興味あれば支援してくださるとありがたいです