不死人 「茨城」

なんとなく様々な場所を渡り歩いて、茨城の空気感があったような気がする。

ひたちなか市の気風もなんとなく気があったし、海側のローカル線も好みだ。

車は扱えなくても多少の不便があるだけで東京にいける。なんだかんだ片道2時間くらいか、特急で、鈍行だと3時間くらい?

体感的にはというところか、噂では3大ブスの町がある県とか言われてはいるが、なんだかんだ県特有の美人はいるとは感じる。

何故かこの土地には俺の同族は少なく、女性の同族の方が多い。夜の街の職業が多く、俺は友人関係でもあるので、その手の職業の女の子は男に一時の夢を魅せるわけだから、すごいなとは思う。その手の職業はなったことないし、苦労を知るひとに関して分からないことを分かったように聞くのは失礼な気がするから、自分の観点で話せる時に意見を聞いてくれた時だけ返すようにしている。

どんなに歳を重ねようと不死だろうと男性的な観点からしてみたら女性という存在には傾聴が1番丁寧に返せる対応だとおもうからだ。

基本的に俺は夜のすっきりするような場所はあまりいかないし、どちらかというと、駅前のスナックだかBARや静かな店で飲んで友達になってだらだら過ごすのが好きだ。

童貞とか処女とかもしくは経験人数が少ない男女をバカにするような傾向もあるっちゃあるが。

ただ本気で愛したいひとがいないという風にもとれるわけだから、一概に固定概念で離さないでよいと思うがね。

茨城だって県の魅力が下の方だとかいったって、茨城が好きな人もいるわけだし、茨城で生まれ育ち好きで過ごしている人もいるわけだし、何故ランクをつけたがるのかわからないわけだ。

まあ話のタネにランクをつけるのはわからないでもないが、茨城を知らないひとに先入観をもたせて侮る要素をつくるというのがよくわからない。

それは俺自身の意見だし、大多数がランクという競争心が必要だというのならば仕方ないし、人間というものは競いあうのが好きな種類の種族だからな。

国民性にもよるが、少なくとも海外に関してはさほど興味はないので、興味がないというかメディアで見たらいいぐらいとい意味の興味しかない。

基本的に日本という国が好きだし、国内旅行で十分だなあとおもうからだ。外国からの旅行者と話す機会があるから外国の人は好きなんだがね。

とりあえず不死になろうとならなくても心地よいとこに居られたらいいだけだし。永く生きているなかで自分が興味あることを中心に学びたいのさ。

他の奴らは外国語習ったり技術習ったり、色々忙しいが、基本的キャッシュレスも苦手だからなあ、クレカも一応持ってはいるが、得意ではない。

スマホはAndroid一択だから、iPhone使える奴らはほんとうにすごいと思うわ。

基本的にAndroidは頑丈だから変えるつもりはないし、現金が死滅しないかぎりは現金を使い続けるがね。

人外と呼ばれる奴らの方が人間社会に馴染み、色々と稼いだりなんだりしているのがびっくりだが、このアナログテイストな生き方を俺は気に入っている。

技術革新に置いてけぼりだとか言われても、ぶっちゃけ精神的に学びたいという形じゃなければ習得は難しいし。

自分の考えてる話をしても相手が最初からこの人は分かってないという判断で通じないなら、結局自分が負担ない学びや認知をすればいいだけだ。

思い通りにならないことに逐一自分の感じる正論ばかりじゃつまらないだけさ。

合わないと感じたら感謝して離れるのが不必要な不幸せを避ける方法さ。

永く生きたって死に終わりがなくなって、命続く社会があるかぎりは精神的な健康を保つ要素は必要になるわけだし。

だれもかれも受け入れる善人になったら、潰れるだけだ。

正直な話、利用するのも無意識に利用されるのもごめんだ。

ネットに一時期ハマってた時期はネット越しで分かったような話になったりもしたが、建前と距離感が有耶無耶できちんと会って話せる奴とだけ、
シフトするようにしたな。

俺もなんだかんだひとはいいものだと信じてた時期もあって、痛い目みてしばらく安定剤のお世話にもなった時期もあったけれど。

メンヘラが悪いとかヤンデレが悪いというような認識もあったが、その要素を都合よくいじる奴らもいるわけて、その認識はやめた。

話を聞くくらいしかできないし、自分を変革するのは自分なので、出来る範囲でなんかしたらいいとおもう。

俺の仕事は便利屋だが、出来る範囲と出来ない範囲があるとははじめに言っとく。友達のようにはなれるが、友達にはなれないし、20年くらいたてば歳の取らない俺に首を傾げるから、そんときはまたなんかするけど。

名前も変えずにのらりくらりと生きる同族はすごい、深く繋がりすぎたあとの気持ち的に俺は無理だ。

少なくとも永く生きるのは孤独じゃないが、人間として生きるには色々と失うものがある。

だから忘れないように人の傍にいるのかもしれない。

不死になった多くの女子は夜の体触れ合う仕事にいくことが多い。人肌に触れ合うと安心するらしい。

水戸の駅前も歩いてたらそんな店もあるからなあ。

最近耳にしたのは俺たちの中にも肉体を再生する奴も現れたとか。

俺たちは人間としての進化なのか、亜種なのかはわからないが、少なくともなにかしらの分岐点ではあるらしい。

人との交配は可能で、人と同じ感情と理性がある。ただ肉体は頑強で、回復力も高い。加えて不死で不老、ランダムだが不死になる年代は疎ら、女子の場合は何故か20代で不死になることが多い。

言われてみれば俺と同じ年代はあまりみないかもな。

まあそんな永い人生を緩やかに生きて、茨城の海沿いで呑気に干し芋を食ってるのが俺ですわ。

正直な話、自分が面白ければいいから、今はそれだけでいい。

とりあえず茨城も民放あるといいよな、テレビ

発達障害当事者の詩人が色々と経験しながら生きていくかんじです。興味あれば支援してくださるとありがたいです