時代は荒川区だし築古雑居ビルじゃん、

トレンドを追わなくなって久しいが、しかし、なんとなく自分の肌感覚として時代の空気をつかむ力はある、と思っている。
ハイファッションのことはわからないし、ファッション自体に興味を持てなくなってからだいぶ経っているから、ファッションの話ではない。
人間の生活に必要なあらゆるプロダクト全体に漂う、テンションみたいなものの話である。

それがつかめると言ってみたのは、わたしセンスいいってことを主張しようとしてのことではない。
こういうもの求めてるよね、そりゃはやるよね、という感じのものを、一生懸命「これが流行ってるのか」と追わなくても、自分自身の内発的な心の動きとして注目できるし好むことができる、ということだ。
もしかして誰でももともとそうなのかもしれないけれど、わたしは子どもの頃はそれができてなかった。

いつだったか、月舟さんがマニーケースを販売され始めたくらいのころ、あ、ほしい、と思って、クリアの時代がくるなという体感があった。あとマチがなくなる時代がくるな、とも。
メッシュの時代も、数年前イヤホンを買った時についてきたメッシュポーチにときめいて、アクセポーチにしたら、やっぱりきた。

雑居ビルの時代は、たぶん3,4年前に新宿boilに行ったとき、あ、これだ、と思って、水道橋の千鳥とか、早稲田の古書ソオダ水とか、蔵前のSUNNY CLOUDY RAINYとか、行くたびにこれこれ〜と思っている。

ついでにBGMになんか洋楽とかジャズとかボサノヴァかけとく時代も終わったと思ってたんだけど(ジョアン・ジルベルトもなくなってしまったよ)、
5月に行った23区外のやっすい美容院でももうそんな感じで、あ、この流れはもうなかなか裾野までおりてきたな、と思った。

前かわい〜女の子が「クラスでカースト中間より下目の子が流行りものに手を出し始めたりジェネリックが出だしたら、自分が使ってた本物をラクマに出して次の波に行く」って言ってて、すげえ…クレバーつよい…と思ったけれども、でもたしかに、ある地点にまでおりてしまうと、流行は広く広げるための無理を被り変質を被って、当初の魅力をもう失っていたりすることは、あるな、と思う。
最高の思い出だけを大事にしたいなら、早め早めに手放すというのは、ありだ。

とりあえず今は、しばらく、スポーティとカジュアルとビジネスライクを混ぜました的なジェンダーレスデザインにはまってた(特にユニクロの折り畳み傘すきでカーキ買った)けど、飽き始めた。
実際のところずっと使っていきたいので本当に飽きてるのではなく、あ、この人たちの時代はこれから終わってゆくな、と感じているような気持ちである。
わたしの場合売る気はないけど、たぶん次の波がそのうちくるなという感じはある。次の波はなんだろう。

それからいまわたしは、荒川区の雑居ビル的なたたずまいの家に住んでいる。
荒川区いま一番オシャレやろ、西日暮里の時代きてるやろという謎の確信がある。
屋上とかあるし。ね。

でも、これについてもやはり、新しい物好きの人間にとってはいまが盛りだという気がする。原宿の黎明期というような感じだ。原宿の黎明期を知らないけど。
たぶんこれがもう少し経つと、無印良品にも荒川区とか築深ボロ和室アパートが売られるようになる。そのうちセリアにも置かれるようになる。
今からちょっとさびしい気持ちでいる。吉祥寺の人とか中目の人とか谷根千の人とかも、こんなふうにさびしかったのかな。

一時後輩に超のつくシティボーイがいたのだけど、彼のsnsの投稿をみると、2010年前後にはもうchillしてた。世の人がlも発音できないくせ(わたしもできません!)チルチル言い出すのより、5年以上早かったわけである。

わたしはそこまで早くかぎとれるセンスもないし、文化資本もないから、もしかしたら荒川区の時代来ないかもな、とは思う。
でもとりあえず今は、先走ってさびしい気持ちでいる。

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