体への信頼

学区指定の小学校は体育の研究指定校で、わたしはとても体育が苦手だった。
ぼんやりしてるし、何をしても遅いし、体もそんなに強くない。声が高いのが恥ずかしくって、大きな声を出せなかった。
そんなだから学校の行事や体罰だらけの方針にはいっこうついていけなくて、わたしは自分の体への不信感を根強く持っていた。

その小学校や先生のことが大嫌いだったもので、お前らの生徒はお前らのおかげでこんなに不健全で体を動かす喜びを知らないんだぞ、教師冥利に尽きるなざまぁみろ、とか思ったりしたが、
成長してみれば結局この体が自分のもの、というか自分自身として残ったわけである。
それは到底受け入れがたいことだった。なんでこいつが自分なのか、なんでこんなやつをわたしが引き受けないといけないのか。全くもって不服だった。


まあ何もかも小学校のせいにしてよい歳ではない。とりあえず、万一子どもができたら、歌やダンスを習わせてあげたい、自分の体に対する最低限の信頼をもたせてあげたいと思いはした。

(特に女の子の場合、生理がくる前に自分の体をある程度自分でコントロールする感覚を持つことができたら、きっと後々貴重な体験になると思う。自分の体に対して無力ではないと知ることは。)

そういう想定はわたしの失われた子供時代を後から癒すものではあったが、しかし現実には、まったくわたしにとって意味のあるものではなくて、そもそも自分の血を根絶やしにしたいとか思っていた。
まさか自分が自分の体と和解する日がくるなど、思いもしなかった。


きっかけは2017年の2月、つらくて仕方がなかったあることだった。それは本来ありがたいことなのだが、当時のわたしにそう思う力はなかった。それを一応こなしたその日から、体調を崩した。
まるで思いがけないことだったが、どうもそこそこ厄介な病気が疑われた。
結局最終的な検査にはひっかからなかったし、今も問題なく暮らしている。ただその頃は、4週間ほど、体がちょっと異様だった。
高熱や目立つ症状が引いた後も、日によってかわるがわる体のどこかが腫れて痛む。痛みのほどは、左手のときはスマホを持てない程度、みぞおちのときは声が出る程度。膝にくると椅子に座るのも正座するのも難しい。いずれも経験したことがなかった。


それが、わたしにはすごく嬉しかった。もちろん、その病気の疑惑そのものは喜べない。将来のことがとても怖くなったし、今も不安ではある。
でもとにかく、わたしが精神的にとてもおいつめられていたときに、体の方も一緒に苦しんでくれた。重たくて仕方がなかった心の痛みを、体が背負ってくれたように感じて嬉しかった。すごく救われた気持ちがした。

わたしにはこの体に苦しめられた記憶ばかりがあった。小学校の頃のこともそうだし、匿名ですら書けないコンプレックスも体のことだ。精神的な話を抜きにしても持病があるので、だいたい毎日何かしら苦しいし、痛い。加えて生理、PMS、ホルモンバランスの変動がもたらす心身への打撃ときたらもう。それなのに、そのお前が一緒に苦しんでくれるのか。

ずっとばらけていた心と体が、ようやく接点をもてたような気がした。それはとても大きなことなのだ。そのきっかけはそんなによいものではないが、それでもわたしは嬉しかった。これから先、なんか生きていけそうかもしれないとまで思ってしまった。


そんな次第で最近は努めて食事をとっているし、背骨や骨盤の歪みを直す運動とかもしてる。わたしのほうも体に気をつかってやっているわけだ。それが何だかちょっと楽しいので、なんて幸せなんだろうと思う。もしできるならば、この調子でまったく健康体になれたらいい。健康な人の美しさを、いやというほど知ったから。



ここまで書いていたのが2017年のことだ。

その後、2018年のわたしは、長年の悩みであった「冬のあいだ息が苦しくなって、時にはまともに喋ることすら困難になる」問題にけりをつけようとした。
結局病院でも原因はいまいちわからず、わからないままに例年よりもずっと楽にすごせてしまったので、もしかしたら精神的な思い込みによるものだったのかもしれない。

ただ何が原因にせよ、肺年齢89歳というすごい数がでた。それは学問的な数値ではなく、あくまで患者向けの目安だろうけども、とにかく肺活量が低いということらしい。生まれつき肺が小さいのと背骨・肋骨の変形が原因ではないかとのことだった。
詳しい検査をしたわけではないからお医者さんも歯切れが悪くて、確かではないのだが、とにかくわたしはこの肋骨を見つめ直した。


わたしはこの肋骨にたしかに悩まされてきた。肋骨というよりは歪んだ背骨が一番の問題なのだろうが、わたしは長年「まっすぐ」立てなかった。「まっすぐ」を経験したことがないからだ。
自分の体の左右不対称には高校に入るころにはもう気づいていて、足は右のほうが1サイズ上だし、制服のスカートは片側だけ上がってしまったが、そのままにした。そのままにしない理由がなかったから。ウエストの左右不対称も脂肪のせいだと思っていた。
そこから側湾症という自覚にたどり着いたのはいつだったか、覚えていない。


病名の自覚はさておいて、左右不対称な体型と大きく張り出した肋骨はずっとコンプレックスとなった。
わたしと会う人は、わたしのことをずっと足を露出したがる人だと思ってただろうが、実際は、上半身を見せられない人間だったのだ。いつもわたしは上半身のラインがわかりにくい服を選んだ。

だがわたしはとにかくここ1,2年で、肋骨をひっこめて、見た目だけでも左右対称に近づける努力ができるようになった。「何がまっすぐであるか」を覚えたので、ずいぶん「まっすぐ」でいられるようになった。
その過程は楽なものではなかったけれども、わたしはわたしの体に対して無力ではないと、初めて感じることができた。

レントゲンを撮れば骨は相変わらず急カーブを描いているし、肌の下には肋骨に加えて妙な骨も透けている。ふつうに座っているだけでも、いつもわたしの肋骨はお腹のあたりに食い込んでいて、なにかと干渉している。
たしかにまだ異様ではあるのだけれども、わたしは、自分の体を見るのがうれしい。もう、この肋骨のせいで息が苦しかったのだとしても、わたしはこの肋骨を恨まない。


近頃は生活から相当娯楽を排していて、体を動かすだけでも楽しいと感じられるようになってきた。小学校のときあれほどダンスがいやだったのに、最近は、少し踊ってみたいとさえ思う自分もいる。
この先に、わたしが自分を受け入れて、ようやく自己否定の輪から抜け出せる道があるのではないかという漠然とした予感がある。


つくづくと思う。わたしはおそらく自己肯定感が非常に足りていない部類だが、自己肯定感というのは、実は体への信頼なのではないか。この体を自分の器として受け入れることができるかどうかが。

いまわたしはその感覚を手に入れつつあって、慎重に、自分の声に耳をすませながらその過程を見守っているところ。


※一応申し添えますが、脊柱側湾症は治療が必要な病気です。わたしはそこまで重症ではないのと、成長期を過ぎてしまって年齢的に治療を受けるのがもう難しいため、現状を維持しています。
腰痛や神経痛がまれで、かつ耐えられるレベルなのも放置できている大きな要因だと思います。
(とはいえ世の中の姿勢を正すエクササイズとかやってみると歩けなくなるほど腰が痛むし、我流で見た目の矯正をはかっていたころもすごく痛かったので、おそらく知らず知らずのうちに歪んだ体と折り合いをつけて、腰を痛めない体勢を会得したのだと思います。)
足の大きさが左右違ったりウエストが左右不対称な人は病院へ。それ脂肪のせいじゃないです。

わたしがあなたのお金をまだ見たことのない場所につれていきます。試してみますか?