完璧主義ってこまるな

えっちなことが苦手である。

汚いとかいけないことだとか思ってるんじゃない。恥ずかしいとも思ってない。
性欲はおおいにあるし、それが暴力でないならば、皆さんおおいにやってくれと思っている。
(こういうとき、「わたしにだって」とか「性欲くらい」とか言っちゃわないように気をつけてる。わたしの照れ隠しのために人を踏んじゃあいけない。
この世にはAセクの人がいるのだ。)

なぜ苦手かといえば、背中の毛とか、おしりの形とか、下から見たときの顔とか、すぐ透けちゃう肋骨とか、肘のカサカサとか、そんなものが気になって仕方がないからだ。ちょっと毛穴が目立つようになっただけでもうわたし恋できない…このまま孤独死する…とか思ってしまう。

もっと気になるのは、これ相手はどう思ってるんだ、これされてどうなんだ、などといったこと。それがわからないので、とてもとても怖い。

よく「一つになる」とかいうけれども、わたしには、全くそんなふうに感じられない。
どこまでも別々の生き物でしかあれないものが、今2つここにいると確認する作業のように思える。

ふだんはけして寂しがり屋ではなく、どちらかといえば一匹狼だけれども、
でも、そういうときはわたしは今世界でひとりぼっちだと思って、この上なく不安で、よるべなくて、さびしい。
相手はなんか一生懸命な顔してたり、あるいはニコニコしてたりして、こんなさみしい場所があるのか、と愕然としてしまう。

だから、そんな余計なことを思わずに、当たり前のように楽しくできる世の人をとても尊敬している。
嫌味みたいに聞こえるかもしれないけど、「そんなに足太いのに人に見せられるの?しかもその相手好きな人なの?」「毛がちょっと生えてる自分も許せるの?」って、その心の強さに、すごい……すごい……ってもう感じ入ってしまう。
天国に住んでる人たちを見上げてるような気持ちだ。わたしはそこへは行けない、と思っている。

でも、いい加減いろいろ、具体的な、行動にあらわれる形で変わっていかないといけない。
だいたいわたしはもう長いことわたしをやっているとだから、いい加減自分の満点は65点くらいだと気がつくべきなのだろう。100点を目指してはいけない。
わからないことがあるなら聞けばいい、というのも知るべきだ。
さびしいのはどうしたら解決されるのかわからないけど、まぁどうせコミュニケーション不足が問題なんだろうと思う。

でも、こう書いてみながら思う。
私の満点65点じゃないだろう。
たしかにこの不恰好なおしりをなんとかするのは難しいかもしれないけど、肘のかさかさくらいはなんとかなるはずだ。

ずっとメイクもろくにしてなかったけど、昨日、部屋を少しきれいにしたら、めきめき力が出てきた。眉を整えてみた。
なん年ぶりかに二重にしてみた。
もともとは奥二重だったのだけど左右不対象で面倒だし、頭痛も悪化する(ような気がした)から嫌になって、以前、両方一重になるように癖付けたのである。

でも思い立って少し意識してみたら、奥二重にはすぐ戻せた。手で触れずに二重にもできるので、これうまくいけばけっこうぱっちりアイズを手に入れられてしまうかもしれない。
連日ストレス性の微熱続きなのに、なんだか気持ちが明るくなってしまった。

完璧主義はたしかにこまるけど、ここ数年の、じゃあもうなんもやりませんって、リップとアイラインと眉毛(いちおうかろうじて)書くだけってのも極端で、それもまた完璧主義の別のあらわれだろう。

その他のとこがどれだけ変われるかはわからないけど、まず形から入っといて、目から入るノイズを減らしとくのは悪くない。
わたしの満点は80点、80点、それを目指してがんばる。

#日記 #エッセイ #完璧主義



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