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椰子に登る男、液糖を作る女

 「昔、サヴ島では、グラ・サヴ(ロンタル椰子の液糖)が主食だったんだ」と、サヴ人、マカッヤが言った。

 いやいや、おいしいけど液糖、このどろっとしたのが? 水で薄めたグラ・サヴを飲みながら、少し彼を疑う。

 マカッヤ/ma ka'yaとは、彼のサヴ名で、おじいさんの名前からとったそうだ。maは「男」を意味するamaから、ka'yaは「取る」。ということは「取る男」といった感じか。おじいさん、または、おじいさんが名前をとった、もっと上の先祖の誰かは、猟/漁の名手だったんやろか? などと想像する。
 幼少期の数年をサヴ島で過ごした彼が、先祖の島について語る時は、いつも得意げだ。

 グラ・サヴを飲み続けて数カ月、雨季が始まろうとする時、海を渡る機会が訪れた。私にとっては初めての、マカッヤにとっては約20年振りの故郷、サヴ島へ。

***

 インドネシア共和国、東ヌサ・トゥンガラ州(以下NTT)、州都クパンをフェリーで午後12時半に出航、サヴ海を西へ西へと進む。午前1時15分、セバ港に到着。真夜中の港に、友人YPが迎えに来てくれた。「もう雨降りだしてる?何回くらい?まだロンタルの樹液採ってる人いる?」とYPに尋ねる。雨季にはグラ・サヴの原料となるロンタル(オウギヤシ)の樹液採りはしない、と聞いていたので心配だったのだ。サヴ島に興味を持ち出した理由「グラ・サヴ」、その作っているところをぜひ見てみたい。 YPが「セバのあたりでは、4〜5回降ったかな。まだ樹液採りしているよ」と言うので、ホッとする。その夜は、YPの働くオフィスの床に転がって朝まで眠った。


 翌朝、マカッヤの親戚がいるメニアへとバイクを走らせる。家でグラ・サヴも作っているはずだという。道路を外れ、ロンタルの茂みに入り、少し行くと、メディ一家の住まいがある。家の敷地の東屋で、カマドを見つけ「ここでグラ・サヴを作るにちがいない」と期待を膨らます。ところが、「不幸があったから、今季はもう作るのやめたんだよ。妻の母親が亡くなってね」と一家の大黒柱、ハエッさん︎。

 アテは外れてしまったけれど、グラ・サヴ作りをしてる家庭はいっぱいあるはずだ。米食にとって代わったとはいえ、元来、サヴ人の主食、グラ・サヴである。「サヴ島を出航する船で、グラ・サヴを詰めたポリタンクを手にしていないサヴ人はいない」と言われるグラ・サヴである。クパン在住のサヴ人なんかは、家のそれが残りわずかになるとオロオロしだすグラ・サヴである。そう、とにかくグラ・サヴは彼らのソウル・フード(ドリンク?)なのだ。

 サヴ島の西へ東へとバイクで走りまわるマカッヤと私。彼は訪れる先々で、出会う人たちに見境なく顔を近づけ「キス」してまわる、それも老若男女問わず、だ。そして「まあまあ、ウチ寄ってきなよ」といった感じに誘われ、グラ・サヴなどをいただくのだ。「取る男」、名前に恥じぬ引き寄せ力だ。といっても、実はこれ、cium hidung(鼻のキス)/cium sabu(サヴのキス)と呼ばれるサヴ式の挨拶。互いの鼻をそっと擦り付け合うので、慣れないと少し恥ずかしい。この挨拶をすると、とっても喜ばれるので、サヴを旅する人はぜひキスしてまわってほしい。鼻の下を少し伸ばすのがポイントです。

 そんな調子で、いくつかの村でホームステイをしたり、食事をいただいたりして、話を聞くと、確かに、ひと昔前までグラ・サヴはサヴ人の主食だったようだ。いや、正確には主食の一つだった。グラ・サヴのほか、ソルガム(イネ科の穀物)や緑豆が伝統的な主食であった。今でも、グラ・サヴで1回の食事をすます人もいる。ソルガムは脱穀に手間がかかるなどの原因により、今では衰退している。グラ・サヴ主食説、マカッヤの少し「盛った」話ではなかったようだ。

 そして、帰りの船が出る前々日、ハウ・メハラ郡・テリウ村に住む一家のところでグラ・サヴ作りを見てみることになった。島の南側の海-インド洋-が見渡せる丘の近くに住むビレさん一家。夕陽が沈み出した頃、到着すると、甘い香りがうっすらと、たちこめていた。椰子の葉を重ねた屋根の東屋の下、大きな鍋から立ちのぼる白い湯気。家の女たちが、ちょうど夕方に採ったばかりのロンタルの樹液を煮詰めているところだった。ロンタルに登り、樹液を採るのは男の仕事、その樹液から液糖を作るのは女の仕事だ。樹液を採るのは朝夕の一日2回。今、煮詰めているものは、その日の早朝にロンタルの花軸などに専用ナイフで切り込みを入れ、滴る樹液をhaik/ハイッ(ロンタルの葉でできたバスケット)に溜めたものだ。夕方に切り込みを入れたものは、翌朝の回収となる。お父さんに「何本切り込みを入れてきたか」と尋ねると、20本だという。木と木の間隔が狭い場合は、そのまま隣に移る場合もあるとか。そういえば、マカッヤが「サヴの男はロンタルに登って、樹液採りができるようになれば一人前なんだ。ロンタルさえあればサヴ人は生きていける」と語っていた。見たことないけどな、君がロンタルに登っているのは。

 煮詰めたてのグラ・サヴは、今まで口にした、どのグラ・サヴより美味しかった。どう美味しいか?を言語化しようと、「花のような風味」とか「優しい甘さ」とか、言葉を思い浮かべてみたけど、しっくりこない。言葉にするとしたら「0.5秒の味」があること。指ですくって舐めると、口に入れて0.5秒後くらいに、一瞬、口の中に広がる風味がある。それは、0.5秒以前の風味とも、0.5秒以後の風味とも違う。今まで口にしたものには「0.5秒の味」はなかった。できたてのグラ・サヴだけが持つ味だろうか。「0.5秒の味」の味を求めて、何度もなんども、それを口に運んだ。
 できたてのグラ・サヴのあとは、絞めたての地鶏スープをご馳走になり、早々と高床式の伝統家屋︎の寝床に入った。明日は、樹液採りについて行ってみよう。

 夜明け前、4時半に起床すると、お父さんは、すでに出発済み。飛び起きて、うす暗い空を背景にしたロンタルのシルエットに目を凝らして探してみるも、見つからない。あきらめて、家に戻ろうとすると、ビレ︎一家のおじさんが「おーい、あっちで樹液採りやってるよ」と連れて行ってくれた。道を外れて、デコボコした草地を少し行くと、お父さんが、10メートルはあるんちゃうの?というロンタルに登るところだった。その後ろでは、ちょうど朝日が輝きだしていた。すいすいっと登って行くお父さん、朝日が当たってロンタルと一つになって見えた。

 お父さんが樹液を持ち帰ると、昨日と同じように、そして、ずっと昔と同じように、家の女たちが、それを煮詰め出した。甘い香りがあたりを包む。

"Tree of Life"

と、得意げに言うマカッヤの顔が思い浮かんだ。

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