直さん

 直さんは写真が好きだった。ニコンの一眼レフを愛用していたのを覚えている。私が小学生の頃には、デジカメなんてないので、もちろんフィルムカメラだ。いつだったか10何万円だかする望遠レンズまで買っていた。被写体は主に、3つ歳の離れた兄、2つ歳の離れた妹、そして私だ。直さんが運動会にでも来ようもんなら、私たち兄妹は恥ずかしくて、しょうがなかった。友達のお父さんらは、コンパクトカメラや使い捨てカメラで手元がすっきりしているのに、直さんは学校公認のカメラマンみたいな顔してグイグイ来るんだから。それも「バズーカ砲みたいな」とまでは言わないけど、望遠鏡みたいなカメラを持って。あの、海賊とかが胸元から出して、海の向こうを見るような、ああいう望遠鏡。

「Tちゃーん!こっちこっち」

 グイグイ、グイグイ望遠鏡が迫ってくる。しかも、なぜだか頭にはバンダナを巻いている。周りが怪訝な顔しているかと思えば、そんなことはなかった(気がする)。本当に学校公認カメラマンだと思われていたのかもしれない。

 直さんにはアドリブと「それらしい振りをする」天才的な才能があるのだ。直さんが若かりし頃通っていた、京都の某俳優養成所で練習風景を見たことがある。「こういうのは度胸が大事や」とかなんとか言って、子ども3人と妻をぞろぞろ引き連れ「お疲れ様でーす!」と関係者以外立ち入り禁止の中へグイグイ入っていく。木刀だったか竹刀だったかで打ち合っている人たちを、うっすら覚えている。直さんには、時代劇の役者になる夢があったのだ。私は、直さんと「暴れん坊将軍」を見るのが好きだった。番組終了15分前になると、直さんと「チャーンチャチャーン、チャチャンチャチャーン」といいながら、手足を縦に横に振りまくっていた。小さな頃から私は直さんとウマが合い、いいコンビだった。

 運動会以外でももちろん、直さんはバシャバシャ撮っていた。思い返すと、ほとんどが子ども、家族だった気がする。しかし、子どもらが大きくなるにつれて、愛機を持ち出すことはなくなった。仕事が忙しかったり、フィルムカメラの時代じゃなくなったり、家族そろって出かける機会が減ったり、いろんな原因だと思う。

 大人になって、私は日本とアジアをフラフラするようになった。たまに実家に帰ると、直さんは携帯電話のカメラで、私の写真を撮った。外から帰った時だったり、出かける前だったり、いろんなタイミングで。同じく日本と海外を行ったり来たりしてる、兄や妹にもきっとそうしてるだろう。

 ある時、母に「直さん、もうフィルムカメラ使わへんのかな?昔はよく撮ってたのに」と言うと、「多分ね、なっちゅん(母は夫をなっちゅんと呼ぶ)は、写真が趣味だったんじゃなくて、子どもが趣味だったんよ」と言った。それを聞いて妙に納得した。直さんは、陽気な父だったが、穏やかとは言い難い性格でもあった。しつけに厳しく、子どもの頃は怖かった。特に、食事のマナーには厳しかったので、箸からぽろっとなにかこぼそうものなら、「ヒョオオオオオオ!どやされるうううう」っと背筋が凍る思いだった。

 写真を通して、直さんは子どもへの愛情を表現していたのかもしれない。そう思うと、愛されていたんだ、愛されてるんだなあ、と心がキュッとなった。今では、すっかり丸く穏やかになり、ひょうきんにおどけ、笑いを取る。「お父さんって呼ばんといて。直さんって呼んで」なんて言っている。

 来月、妹が結婚する。それも日本から遠く離れた場所で。直さんはきっと、泣くだろう。笑いと泣きを行ったり来たりするんだろう。私は、通訳を担当しなければならないので、「事前に大体でいいから原稿ちょうだい」と頼むのだが、即興・アドリブでやるらしい。直さんなら、突然ミュージカル風アレンジを加える可能性もある、ギャグもはさんでくるだろう。その面白さ、私、伝えられるか? ふむ、オッケー。私たちコンビの腕の見せ所である。

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Tayu

インドネシア在住もうすぐ二桁(アチェ/ランプン/ジャカルタ/ティモール/スラウェシ)。沖縄生まれの兵庫育ち。TEXT AND PHOTOGRAPHY ARE COPYRIGHT © TAYUKO MATSUMURA
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