スーッと理解できて、受け入れられるようになってきた。

2016/8/7

祖母が来てから、自分のやることが増えたのでまぁまぁ忙しい。

ここに書いておきたいと思ったことはここ数日だけでもたくさんあった。

祖母が来てから私と一緒にいる時間が一番長いのもあり、私が一番祖母の気持ちを理解していると思う。今日まで特になんの苦も難もなく、むしろ来てくれてよかったぐらいの気持ちでいる。祖母のことをいろいろ知れたから。

それでひとつ不思議なことを話してくれた。祖母がうちの仏壇に手を合わせようとすると、何故だかわからないが涙が勝手にボロボロ出てきて手を合わせられないんだとか。それで頭を下げることが精いっぱいだと言ってた。

祖母は特に信仰の深い人でもないし、祖母の家にだって仏壇はある。それでもうちの仏壇に限ってそうなるようだった。そしてこの話をする間にもまた勝手に涙がボロボロでてきていた。悲しいとか怖いとかそういう感情が湧きおこるわけでもないらしい。

ちょっと前までの私はこういうことに懐疑的な気持ちでいたけど、最近はなぜだか自然な感じで受け入れられるようになってきた。

ちょっと前は、神なんていない。だから神社仏閣なんて意味のないものだ、と言う風に思っていたけど、最近はまた考え方が変わってきた。それは自分の中ではまたひとつ上の?段階に来たのかなと思ってる。

金曜日にTVでもののけ姫がやっていたので初めてまともに観てみたけど、あれを観てても、駿の言わんとすることがなんの違和感もなくスーッと入ってきて理解できた。

あれも今観るべくして観たような気しかしなかった。ものすごく、わかる、わかる!と頷きたくなるような話だった。私もサン側の人間だなぁと思った。

あの映画の真髄の部分はフィクションじゃないと思った。もちろん、「作品」である以上誇張していたりわかりやすく表現されているけれど。

こないだ思ったのは、映画でも音楽でもなんでも良いけど「表現者」っていうのは、人の気持ちに寄り添って癒すことのほかに、「伝承者」という役目もあるのだなぁと思った。駿の作品にはそれを強く感じる。人々が社会的な暮らしをしていくうちにどんどん忘れてしまいがちなことを教えてくれて、警鐘を鳴らしているんじゃないだろうか。

駿に限らずそういうタイプの表現者はたくさんいる。みな個々で感性も異なるので表現も変わってくるけれど真髄の部分は同じ。それでそういう表現者はどんな時代にも必ずいるんだろうなぁということに気付いた。

#不思議 #同居 #表現者

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たゆたいびと

わたしはたゆたう。気の向くまま、流れるままに、抗うことなく、たゆたう。たびびとならぬ、たゆたいびと。過去のこと・今思うこと・感じることを書いていこうと思います。since2019.3.3 ©︎たゆたいびと

たゆたっていた過去 引きこもり期

引きこもっていたころの心身の状態、 そこからどう変わっていったのか、 2016年から自分のために非公開で書き続けていたものを ここに整理し、公開します。
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