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興味の泉は湧き、渇き、また湧く

「多才だね」

楽器を何種類も演奏して、中国語をぺらぺら喋って、竹細工の仕事をしている私は、こんな言葉をしばしば頂く。

それはそれでありがたい褒め言葉だけど、どこか寂しい。

なぜかというとその後に大抵こんな言葉が続くからだ。

「私なんてひとつのことも…(以下略)」

全く関連性のない(ように一見すると感じられる)いくつものスキルを持つ私の特殊性と希少性は、いつもどこか突き放した感じで褒められる。

「いや、誰だってやればできるはずなんですけどね…」

なんてことをうっかり口走ろうものなら、

「それはあなただからできるのであって、大半の人は…(以下略)」

的な言葉がケツ食い気味に帰ってくるのが必定である。

寂しい。

私のことをどこか地続きの存在として疎外せずに興味を持ってもらえたら取りつく島もあろうものだけど、大抵はこんな感じで会話は終わる。

寂しい。

とはいえただ寂しい風に吹かれていても仕方がないので、私の特殊性と希少性の所在を少しだけ考えてみる。

思うに、私は基本的に凡庸な存在である。

何か飛び抜けた才能を持っているわけでもないし、特筆すべき特技があるわけでもない。特に誰からもとりわけ評価されることもない、平凡な少年時代、思春期を過ごしてきたことからも、それは明らかだ。

だが私の育った環境で、ひとつだけ極めて稀有なことがある。

母親が興味の赴くままに生きていたのだ。

今年の5月11日に68歳の若さで急逝した私の母は、自身の湧き出る興味に対して、一切の制限をかけず、興味の赴くままに様々なコトやモノと関わり続けた。

母は、

自宅で英語教師をしながら、シルクフラワーの職人として働き、木工で子供3人に机、椅子、ベッドを作り、私に合計6足の靴を作り、毎日のように泳ぎ、中国語を学び、合唱団で歌を歌い、折り紙や宙吹きガラスに精を出し、尋常でない量の本を読んだ。

母が私に作った椅子と机


母は、私にとって唯一の母であり、世の中の母も同じ感じで動き続けている、と私はイノセントに信じていた。

そして母は、子供3人に対しても、興味の赴くままに生きるよう促した。それは言葉によってではなく、自身の手や背中を見せることによって。

だから3歳でヴァイオリン、小学生でピアノ、高校でギター、大学でトランペット、留学で二胡と好き勝手に楽器を弾き散らす私に対しても、母は「楽しそうやなぁ」と笑うだけだったし、転職を8回しても毎回「好きにしいや」としか言わなかったし、39歳で竹細工を習いに別府に行っても「面白そやな」と励ました。

これが私にとっての“普通”の母親であり環境だった。

でもふと周りを見たら、せっかく湧き出た興味に栓をするような人が多いことに気づいた。

過去の失敗体験や、かつて家族や他人から投げかけられたふとした一言や、社会的な評価や、その他様々な理由が付けられて、ぽこっと湧き出た興味は無きものにされていた。

そして私は三十路を超えたあたりから急激に、「興味の有り難さ」を感じるようになった。

なぜなら、興味は誰によっても操作ができないからだ。それはまるで泉のようで、突然湧き出たかと思うと、知らないうちに干上がっていたりする。「興味を持て」と強制しても人は興味を持つことはできないし、そもそも興味は「湧き出るもの」で「持つもの」ではない。

そして何よりも、私の興味はレアだった。

ヒト、モノ、コト問わず、ほとんど興味が湧かなかった。だからこそ、せっかく湧き出た興味を疎かにすることはできなかった。歯を食いしばってでも、しがみついてでも、興味が湧き出るままに動いた。

さらに周りを見渡すと、かつて湧き出た興味に拘泥している人が多かった。すでに干上がった興味の泉で渇きを癒した幻想に浸っているように私には見えた。

私は興味が枯渇するのを無視することもできなかった。しかし干上がった興味の泉を埋めてしまうことはせずに、大事にした。いつまた湧き出すかもわからないから。

干上がった興味の泉に拘泥する人と同じくらい、干上がった泉を埋めてしまう人も多かった。またいつ湧き出すかもしれないのに、なんて勿体ない。

興味の泉は、総じて疎かに、そして蔑ろにされていた。

しかし私は、母が自らの生き方で示した通りに、興味の泉が、湧き出たり、干上がったり、また湧き出たり、に身を任せて生きてきた。

私の育った環境の特殊性と希少性はこの一点に尽きる。

ノーベル平和賞を受賞したマララさんの父親の言葉を思い出す。

私はマララの翼を切らなかった

同様に、母親は私の興味の泉を、自身の興味の泉と同様に、最大限尊重した。私の今があるのは間違いなくそのおかげだ。

それが簡単ではないことは私も重々承知で、私も親として3人の子どもたちの翼を切ってしまってないか、いつも不安になる。

だから言葉や働きかけではなく、母がしたように、自らの手と背中を見せ続けるしかないと思っている。私のこのぷにょぷにょで苦労知らずの手と、私からは視認できない、恐らく不格好な私の猫背気味の背を、子たちに見せ続けることしか、私にはできない。

興味の泉は今日もどこかで、湧き、渇き、また湧いている。

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私もスキです
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39歳三児の父。竹と音楽で生きていく。楽しくないことはやらない。

コメント7件

ほざくさん

大人になること=好奇心や興味にフタをすること

こんな社会なのに大人が子供に「何事にも興味を持て」とか言っちゃうとことか、悲しすぎますね。
様々な発信、とても興味深く読ませていただいています。

前々から興味があったから、一度やってみたかった仕事だから…と転職活動しているのですが、ちょうどいま違和感に包まれているところでした。
この違和感は「かつて涌き出た興味の泉」にとらわれていたからかもしれません。

興味の泉を観察し続けることは大切ですね。

自分を整理でき、励まされました。
ありがとうございます。
ぴこりんさん

いつも拙文を読んでいただいてありがとうございます。

転職は、現在の仕事をやめると決めてから転職活動をすると、どうしても転職先にポジティブバイアスがかかるので、私は最後の転職の時は、あえて退職を決めない状態のまま転職活動してみました。そうしたらだいぶ強気な交渉ができたし、冷静に判断することができました。

私は少なくとも日本ではもう会社勤めには戻れない気もしますが…
レイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』、そのままですね。

レイチェルは、「子どもがセンス・オブ・ワンダーを保ち続けるには、センス・オブ・ワンダーを保ち続けている大人の助けが必要だ」と述べています。

となると、「寂しさ」は奇妙です。
ワンダーを保ち続けることができた幸運は、優越感に転化しても不思議ではないように思えるのに。

優越感ではなく寂しさへとなることこそ、ワンダーのワンダーたる所以なのでしょう。そして、寂しさを解消するために外へ働きかけようとする心を「慈悲」というのだと思います。
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