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リムジンに乗り損ねて小便を漏らした夜

かつて豆腐の移動販売をやっていた。

軽の冷蔵車に豆腐や厚揚げやがんもやゆばや豆乳やおからなどを積んで、ラッパを鳴らしながら売り歩く仕事だ。

「売り歩く」と書いたが、移動は車で、車から降りているときは佐川男子よろしく常に走っていたので正確ではないけど、雰囲気的にはやはり「売り歩いて」いた。

「販売員」という名目での人員募集だったので生協さん的な平和な感じかと思いきや、入社してみたらむしろガチの「営業員」で、客の年齢層が高いせいもあって、常連さんだけ回ってたら「自然減」で売り上げは減る一方なので、会社は「活動」という名の所謂「営業」を奨励していた。つまりインターホンを押して突然訪ねてきた初対面ののおっさん(客の年齢層が高いので五十代でも「お兄さん」だが)から豆腐を買ってもらう「活動」をせよ、と。

あえて「奨励」と書いたのは、販売員は現場に出たら一人なので、「命令」をしたところでそれをウォッチできる上役がいるわけでもないので、会社的には「奨励」以上の働きかけはできなかった。

思い返すと、客数や新規客の件数など、会社にとってバイタルなデータはほぼ全て、裏付けの取りようがない自己申告ベースだった。その数字に一喜一憂する上役を滑稽だった。だって「増やせ!」と凄みさえすれば、自己申告である以上、数字は本当に増えるから。売り上げ以外は、だけど。

毎日結果が数字として残るシビアな仕事だった。平和な「販売員」かと思って入社して即座に辞めていく同僚も多かった。

私も入社3ヶ月くらいで売り上げが頭打ちになり頭を抱えていたが、上司からの一言で目が覚めた。

「買わない客は切っていい」

客が私を選ぶのではない。私が客を選ぶ。移動販売ならそれができる。そう割り切った途端、私は買うか買わないかのボーダーにいた客を全て諦め、空いた時間を使って「活動」に明け暮れるようになった。

「ラッパの音でお騒がせして申し訳ありません…今回新たにこちらのエリアを回ることになりまして、どうしてもお騒がせしてしまうので一軒一軒ご挨拶に回っているのですが…ちなみに、本日も、できたてのお豆腐とか厚揚げなんかも持ってきてまして、すごく美味しいので、もしよければお味見いかがですか?」

という自ら練り上げたスクリプトを、モニター付きのインターホンであれば完全にカメラ目線で披露する。

淀みなく話すと逆に怪しまれるので、なるべく途中詰まったり、言い淀んだり、溜めたりすることで相手のガードを下げつつ、「すごく美味しい」の部分で主観的感慨の塊をモニター越しに一気に投げ込む。

明らかに相手が怪しんでる場合は「いきなり来て怪しいですよね…」と先手を打つ。「本当に怪しい人は自分のことを怪しいとはまず言わない」という事実を逆手にとる巧妙な手口だ。

枝葉末節でウソをつくのは構わない。良心へのダメージは少ない。幸運だったのは「すごく美味しい」の部分でウソをつかなくて済んだことだ。私は、当時売っていた大豆商品の大半を心底美味しいと感じていた。

売り上げはみるみるうちに伸びた。

1日の売り上げが10万を超えることもザラだった。一丁210円の豆腐を売り歩くおっさんが、日商10万を超えるなんて誰も想像しない。お客さんもどこか憐れみを湛えた目でいつも私を見ていた。

ほどなく営業所の売り上げトップをひた走るようになった。「理屈っぽいインテリ販売員」「いきなりタメ口の無礼な販売員」などと私を揶揄していた営業所内の声は気がついたら消えていた。

年に一度のレセプションパーティーがあるという。全営業所の全スタッフを集めた全社的なお祭りだ。

話に聞くとそこでは売り上げ優秀者は壇上に上げられ表彰されるらしい。「もしや俺も」という名誉欲が頭をもたげたが、入社からの期間が短いから上位に食い込むのは難しそうな情勢に見えた。

レセプションパーティー当日。

都内のど真ん中のホテルの大広間を借り切ってのパーティー。ド派手な演出。That'sベンチャー的な代理店上がりの敏腕社長のスピーチ。

さぁお待ちかね、売り上げ優秀者の発表だ。

なんと全営業所の3位で私の名前が呼ばれた。

壇上ではここぞとばかりにみなの士気を鼓舞するような話をして会場を盛り上げた。

さらに廃棄率優秀者で、私は2位だった。

これは我ながら驚いた。売り上げを上げるためには果敢な発注が必須で、売り上げを上げてても廃棄率が高い販売員も多かった。一方私は、食べられるものを捨てることが大きなストレスなので、冒険はせずに緻密に着実に発注を増やしていた。それが奏功した。

売り上げが3位で、廃棄率が2位ということは、総合的な会社への貢献度は実質1位であるに違いない、というような偉そうな口を壇上で叩いた。

敏腕社長に呼ばれ「きみ、勢いがあるな」「自分から動けばその分何か結果が出るということがわかりました」「はっはっは、それは頼もしい」みたいな、ガイアの夜明けや情熱大陸で出てきそうな、空疎なやりとりを交わした(どちらも観たことはない)。

リムジンに乗れるらしい。

成績優秀者のみに与えられた特権らしい。

田舎臭いニンジンのぶら下げ方だとは思いつつ、話のネタとしても社会科見学としても乗らない手はない。しこたまビールを飲んだためふらつきながら会場を後にし外でリムジンを待つ。

リムジンが来ない。

気がつくと周りに同僚もいない。

都会のど真ん中で来ないリムジンをひとり待ち続ける私。

ふと猛烈な尿意に襲われる。

リムジンを諦め最寄りの駅構内のトイレへと走る。

走る。

リムジンだけじゃなく、トイレにも間に合わなかった。

太腿をつたって、着慣れないスーツのズボンの裾から暖かい液体が流れ出すのをなすすべなく見つめる。

次は涙が頬をつたって流れる番かと思いきや、豈図らんや、私はこの上なく柔和な笑顔で安心感に浸っていた。

ちゃんとバランスが取れてよかった。

調子に乗っ取られずに済んだ。


その後、全営業所のトップにまで上り詰めて、すぐに会社を辞めた。

せっかく取れたバランスが崩れてしまうのが何より怖かった。足元の暖かい尿が蒸発してしまわないうちにどうしても辞めたかった。

販売員として走り回った1年1ヶ月は、今も誇りと恥が絶妙に釣り合った状態で、私を支えてくれている。





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