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真因と他責の誤解

他責はけしからん、自責で圧倒的当事者観を発揮するのだよ、諸君。
というのはよく聞く話です。
この他責、実は誤認のパターンもあるのではないか、ということを最近感じているので、それについてまとめます。

ビジネスの文脈において好ましくないとされる他責はおそらく以下ではないでしょうか。

・問題を他人の責任にして、自らは他人ごとを決め込む

これは、仮に本当にその相手に責任があってもなくても、同じ組織内の問題を他人事にしている状態が好ましくないという考え方です。
他者の責任だっとしても、それは本当に自身の関与で改善できないのか?
変更できないなりによりよくする方法はないのか?
そういった考えを持っていない人に対して「他責はよくない」というのが、よくある話でしょう。
その中でも2種類に分けるとしたら

1. 自分の責任だが、他人の責任にする
2. 本当に他人の責任なので、自分は他人事を決め込む

前者の「自分の責任だが、他人の責任にする」という状態が「最悪の他責」ということになりそうです。

一方、本来は「問題の原因の所在が他者にあるが、それを理解しつつ自分ごととして考えている」状態は自責のはずです。
しかし、問題の所在を他者においている状態を「あなたは他責でよくない」と非難するケースを見聞きするように思います。
あくまで責任ではなく原因を追求しているにもかかわらずです。
実際には、そういう状態では問題の所在は、その「他者」が好ましくない振る舞いをせざるを得なくなっている環境にあります。
その環境の問題解決を自分ごととして考えている状態は他責ではなく自責という形になります。
これは、物事を全体で捉え始めるとよく出会うもので、逆に自分ごとの範囲が狭いと見えにくい領域です。

例えば、部署Bで起こっていた問題は実は前段階を担当する部署Aで起こっていた。
これは部署を横断するワークフローという組織の仕事のまわす仕組みそのものの問題です。

視野が広く真因が見えるようになるとこういった考えにたどりつくことがあると思います。
逆に、症状のみと戦っていると、こういった根本解決に向けた動きが「他」に責任を押し付けて眼の前の責任(症状に包帯をまくこと)から逃げているように見えるようです。

そのため、全体が見える人は「他者の責任」ばかり追求する他責の人、と誤解されることがある、という問題がありそうに思っています。

Being the sole systems thinker in a linear thinking organization can be a lonely place.

The Systems Thinker – Making the Jump to Systems Thinking - The Systems Thinker より

この文章の持つ意味の1つはここにもありそうだな、と思いました。

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