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ダイアナ元妃没後20年 生涯取り組んだ人道支援

外信部 豊島歩(JNNロンドン支局)

今年は、イギリスのダイアナ元皇太子妃が亡くなってちょうど20年となります。美しい笑顔とファッションで当時日本でも「ダイアナフィーバー」が起きましたが、ダイアナさん本人が力を注いでいたのは人道支援でした。外信部・豊島歩記者の報告です。

あの日、宮殿前を真っ白に染めたのは、捧げられた無数の花と涙・・・。その人は、人々の心に寄り添う存在でした。

「プリンセスじゃなかったら人々の心の闇を取り除く人でいたかった。手を置いて、助けたい」(ダイアナさん)


貧しい人、病の人。わけ隔てなく語り、笑顔で手を取り続けました。そして、ダイアナさんが死の直前まで訴えたのが「地雷の除去」でした。危険な地雷原で自らの命をさらして歩き、人の命を救うよう世界に求めました。

 「地雷で無実の人が死んでいます。私は世界の地雷禁止のため働きます」(ダイアナさん)

そして、亡くなる3週間前にいたのは戦場。20万人もの死者を出し、3年半にわたる戦乱が終わったばかりのボスニア。この戦争による行方不明者の遺体は、専用の施設に今も集められています。

戦争が終わって20年ほど経ちましたが、身元の分からない人が大勢います。引き取り手のない遺体は1000体以上。今も肉親を探す人々が大勢います。あの戦争で、この国は200万個もの地雷に覆われました。

「爆発のとき見たのは、金と黄色の光でした」(マリッジ・ブラダリッチさん)

20年前。マリッジさんが地雷で足を失ったのは、わずか11歳の時。足のないまま、この先どう生きればいいのか。「自分にはもう生きる価値がない・・・」。少年から笑顔が消えました。そんな時、現れたのがダイアナさんでした。

「私の息子もワンパクなの」(ダイアナさん)

笑顔。そして一人の人間として話してくれる姿に、マリッジさんの心は不思議と和らいだといいます。

「ダイアナさんは・・・、歩く天使のようだった」(マリッジさん)

そして、今も忘れられない約束をしてくれました。

「必要なとき、いつでも私はあなたを助けてあげる」(ダイアナさん)
「あれ以来、“自分は無価値だ”とは思いません」(マリッジさん)

実家の壁にあるダイアナさんの笑顔と約束を支えにここまで生きてきたといいます。こうしたダイアナさんの活動が世界に大きな影響を与え、対人地雷禁止条約の締結として実を結びました。しかしその矢先・・・。

1997年8月31日、ダイアナ元皇太子妃死去。あれから20年、ボスニアでは今も100万平方メートルに散らばる地雷の処理が続いています。

こちらの川で見つかった地雷です。踏んでしまうと足首から先がなくなってしまうそうです。(豊島歩記者)


今年も、すでに6人が地雷に命を奪われました。自分の指で地雷がないかどうか調べる作業員。現在、ボスニアではこうした地道な手作業が続いています。

一日で処理できる数はわずか30個。しかし、戦争に傷ついたボスニアは貧しく、危険な作業をする人を雇ったり育成したりする金はありません。

その貧しさは、地雷処理場で穴を掘り破片の金属を売って生計を立てる人もいるほどです。さらに、年齢で変わる体とともに義足は定期的に変えないと体にかなりの負担がかかります。しかし、職がなく、義足も買えず、病院にも行けない人が数千人もいるのです。

マリッジさんもそんな一人。無いはずの足が痛む「幻肢痛」にも苦しみます。自分で直すしかない義足。もし今、ダイアナさんが生きていたら・・・。

「ダイアナさんに今聞くなら“どう人生を続けたらいいか?”です」(マリッジさん)

ダイアナさんの地雷撲滅の願いは潰えたのでしょうか。ダイアナさんとともに微笑むもう一人の少年がいます。ザルコ・ペレッチさんです。ダイアナさんは、地雷で足を失ったザルコ少年にこんな誓いを残したといいます。

「私は、あなたを決して忘れない」(ダイアナさん)
「その時、なぜか続くのだと思いました。誰かが継いでいくのだ、と」(ザルコ・ペレッチさん)


2010年。かつてダイアナさんが歩いた地雷原に立ったのは、息子のヘンリー王子。

「母はボスニアの少年に“決して忘れない”と言った。その約束を私に守らせてください」(ヘンリー王子)


母の遺志を継ぎ、世界の地雷の除去を誓った息子。そのそばにはマリッジさんもいました。

ダイアナさんが亡くなって20年。一人の女性が遺した地雷撲滅と世界への希望は、彼らの中に今も生き続けています。