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15+5  ゴビンダさんの20年 (後編)

JNNドキュメンタリー ザ・フォーカス 2017年12月15日放送

※前編はこちらをクリック

~新聞記事~『遅すぎたDNA鑑定』『やっと鑑定 批判必至』『爪にも別人のDNA型』『決定的証拠 検察白旗』『東電社員殺害 無罪へ』『検察、有罪撤回』

新たに行われたDNA鑑定で、被害者の女性の体内に残された精液から、ゴビンダさんとは違う「第三者」のDNA型が検出された。しかも、そのDNA型は犯行現場に落ちていた体毛とも一致した。被害者の爪からも別人のDNA型が検出され、「ゴビンダさん以外の男」が犯人である可能性が浮上したのだ。
再審無罪に向けて、事態は動き出した。

2012年6月東京高裁前 「ゴビンダさんは無実」の垂れ幕が揺れる
裁判所から弁護士が駆けだしてくる

「再審開始です!」
「再審開始になりました。あと、刑の執行停止も認められました!」

涙を流すゴビンダさんの妻ラダさんと娘。


空港で飛行機のタラップを昇るゴビンダさん
「マイナリさんが車から降りてきました。マイナリさんが飛行機に向かっています。これからネパールに出発します」

そして、再審でゴビンダさんの無罪が確定した。日本に暮らしたほとんどの間、名前の下には「容疑者」とか、「被告」とか、「受刑者」がつけて呼ばれていたけれど、ようやく晴れて「ゴビンダさん」と呼ばれるようになった。

事件発生から再審無罪が決まるまでの15年間は、僕にとっても後悔と自責の念を抱え続けた15年だった。警察や検察の言うことを鵜呑みにしていた人達は、ゴビンダさんが無期懲役になろうが、何とも思わなかったかもしれない。

でも、僕はそうはいかなかった。自分の取材では、ゴビンダさんは冤罪だと確信しているのに・・・

結局、救うことができずに刑務所に入れてしまった。肩の上にずっと重い物を背負わされている。そんな思いの15年だった。

それから、5年がたった。釈放されてから初めて来日したゴビンダさんがスマホを見せてくれた。ネパールに帰ってから5年間の写真が保存されていた。

「住んでるコミュニティーです、これ」丸山「あ、ゴビンダさんが住んでる街?」「カトマンズですね。この家です」丸山「これ、ネパールのうち?」「はい、ぼくのうち」丸山「お母さんが亡くなったのは帰ってからですもんね」「そうです。1年2、3か月たってから」丸山「お母さん、よろこんでらしたでしょ。ゴビンダさんが帰ってきて」「そうですね。その1年ちょっとが、ほとんど入院」丸山「ずっと入院してたんですか?」「そうです。ガンとか、いろいろ」丸山「看病できたのが良かったですね」「そうですよ」

「帰れて」「できたので、僕も安心しました」丸山「娘さん達は、今どうしてるんですか?」「娘たちは、もう結婚してね、海外に」「(長女の)ミティラがヨーロッパのオーストリア」「これがミティラですね」丸山「あ、これがミティラさん。旦那さん?」「旦那さんですね。エリサ、これが私ですね」丸山「ミティラさんは、いくつになるんだろう?」「26」

「(次女のエリサさんの写真をさがす)「エリサ、エリサ、エリサ、エリサ・・・」「これ、(次女の)エリサ」丸山「エリサの旦那さんですね」「オーストラリアの人ですね」

丸山「これは、あれか 再審開始の時の新聞?」「はい、再審開始の時」丸山「今も携帯に入れてとってるんだ」「はい」

丸山「再審が決まった時の新聞ですよね。日本の。あっ、これ、もしかして?」「丸山さんが」丸山「僕が作ったDVD、テレビで撮ったやつ」「これ、僕が作ったDVDをちゃんと入れてくれてるんだ」「ほら、(映像をめくる)これもそうですよ」丸山「僕が作ったDVDですよね」「全部、すべてあります」

胸の奥が、熱くなった・・・。

肩の荷物が、少しだけ、軽くなった気がした。

@琵琶湖 「日野町事件第10回全国現地調査」の会場

この日、ゴビンダさんは滋賀県にいた。

主催者「1984年に起こった事件ですので、指を数えてみますと、もう34年目を迎える、ということになりました」

冤罪を訴えている「日野町事件」の現地調査に参加するためだ。

~日野町事件とは~  
1984年に酒店の女性店主が殺害された日野町事件。元受刑者の阪原弘(ひろむ)さんは裁判で無期懲役が確定したが、「自白は強要されたものだ」と無実を訴え再審を求めていた。阪原さんは服役中に亡くなってる。

@『日野町事件』現地調査 バスからゴビンダさんが降りてくる


マイク持つ人「まず、被害者宅の家の前まで行きます」

真剣に聞き入るゴビンダさんとラダさん。

「こちらが鴨居がありまして、こちらが和室があります。そこがですね、阪原さんが被害者を殺害したとさせられている現場です」「暮れのことやから金があるよろうと思って、金庫を奪って、奪おうと思って、はつさんを殺したと」
「それからね、もうひとつはレジスターがあるんですね。お金目当てだったら、完全にお金の出入りがあるレジスター触りますよね。一切、触っておりませんし、指紋もありませんし、盗まれたお金もありません。ありません」

ゴビンダさん「いろいろ歩いて、見ました、聞きましたね」「本当に(自分も)同じ気持ちで、ずっと15年間生活したことがあったので、同じ痛ましい心で、毎日毎日生活していたと思います」

ゴビンダさん「また、機会があったら、他の事件のことも、こうやってね、ホントかウソか、捜査段階はホントの犯人捕まったか、逮捕されたか、作り話の証拠か、他の県も行ってみたいです、知りたいです」

現地調査には、1967年に起きた「布川事件」で逮捕され、再審無罪となった桜井昌司さんも参加していた。

桜井さん「やっぱり、彼自身の中で、自分がこうなった怒り、っていうんですかね。そういうものに対して何かに伝えたいっていう意志は前から持ってんのわかったんで、彼の改めてそういう意志が行動になったんだなあ、と思ってますけどね」「やっぱり、その部分にね、冤罪体験者として二度とそういうのを起こさないようにしようよってだけの事なんでね」

逮捕されてから再審で無罪になるまで15年。釈放されてネパールに帰ってから5年。20年かけて、ゴビンダさんは今、ようやく、立ち上がろうとしている。自分でNPOを立ち上げて、冤罪に苦しむ受刑者や家族達の力になろうと考えている。

ゴビンダさん「ネパール政府から許可もらって、ウェブサイト作って、みんなに支援のお願いしますと。海外にいるネパール人、冤罪で刑務所にいるネパール人、日本人、どちらの国の人でも、家族たちに少しでも慰めるように、学校に行けるように、薬とか、いろいろいろいろサポートしたいと思います」