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殺人実行者との対話 記者として、 障害児の父として(後編②)

「調査情報」2018年7-8月号 no.543より

神戸金史
RKB毎日放送 報道制作局次長兼東京報道部長

生産性の論理と〝時代の子〟


北九州でホームレス支援を続けている東八幡キリスト教会の奥田知志牧師と会う約束は、その日の午後だった。私は「ごく普通の青年で、むしろひ弱な、気弱な感じを受けた」と言い、植松被告とのやり取りを口頭で伝えた。

奥田さんは「ホームレス支援を30年以上やっていて、『いつかこういう時代が来るんじゃないか』と思っていた。ついに来たか、嫌な予感が当たったと思った。これから何が起きるのか。正直すごく恐ろしく危惧される事件です」と言った。

「彼自身がやったことの残忍さに、この社会全体が何となく動じていない。極端なことを言うと、容認しているのではないか」

そう、そこにこそ私たちは戦慄したのだ。植松被告について、奥田さんは「そんな社会から、自分は認められていないと感じていたのだろう」と話した。

奥田 当時26歳の若者が、この社会において、仕事をしないで存在し続けるというのは、それは相当なプレッシャーがかかる。そんな中で、彼は非常に誤った結果を、自らの論理で組み立てちゃっているわけです。つまり、「自分は役立つ存在だ」「意味がない命ではない」という存在証明を、ある意味、あの事件に込めてしまったのではないか。

だから彼は胸を張って、衆院議長に「自分を派遣しろ」「国家の言わばミッションとしてやらせてくれ」と書いた。それは「日本と世界の経済を救うためだ」と。そこでは〝生産性の圧力〟というものが、加害・被害関係を巻き込む形で、渦を巻いている、と感じました。

植松被告を、異種異様、異常な存在として済ませてしまうのではなく、あの事件から「私たち自身の生き辛さ」みたいなものが見えるかっていうことを考えなくては。町中から障害者をどこかに隔離することで、いかにも問題や課題がなくなったかのように勘違いさせて生き延びようとしている一部の人たちがいる。そういう我々のあり方自体が、実は問われているのでしょう。

奥田さんはこう話した上で、私がFacebook上に書いた文章について触れた。

「老いて寝たきりになる人は、たくさんいる。事故で、唐突に人生を終わる人もいる。人生の最後は誰も動けなくなる。誰もが、次第に障害を負いながら生きていくのだね」と私は書いていた。事件直後に広く拡散した文章を、奥田さんはかなり早い段階で読んでいたという。しかし、私の考えに欠けている点を奥田さんは指摘した。

奥田 これから先、高齢者が社会のお荷物になる時代になる。その時にどうするか。悪いけどみんな年寄りになるんですよ。神戸さんが書かれた通りで、私たちはまさにいずれ動けなくなる。その人間の本質、人間そのものを無視して生きるわけにはいかない。自分にもいずれ「助けて」と言う日が来る。だから「今助けて」と言わざるを得ない人たちを将来の自分の身として考えようという話も大事です。だけども、実は、誰も一人では生きていけない。生きるのに「助けて」が必要なのが、人間の本質なのです。

植松被告は、事件の加害者なんだけども、一方で〝時代の子〟であることは確かだと思います。彼は〝時代の子〟であり、しかも私もそうだ。そこのところに踏み込まないと、この事件はやっぱり関係ない事件だとみんなでスルーしてしまう、そんな感じがしますね。

1時間の報道ドキュメンタリー番組『SCRATCH 線を引く人たち』は、相模原事件を縦軸とし、ヘイトスピーチや沖縄差別などを盛り込む想定だった。植松被告と共通しているのは、「ある人々と自分の間に勝手に一線を引き、線の向こう側の人々の存在や尊厳を否定する行為」であることだ。

ナレーションの収録予定は4日後に迫っていた。植松被告との対話が実現したことで、沖縄の基地問題や福岡でのヘイトスピーチ取材などは、台本から落とさざるを得なかった。日本社会の「SCRATCH」として番組に残したのは、相模原事件を除くと、東京・新宿のヘイトデモと、関東大震災における朝鮮人虐殺事件を否定する動きだけとなった。

植松被告役の吹き替えは、実際に面会に立ち会ったTBSラジオの鳥山さんが担当した。実は、声の質が植松被告とかなり似ていたのだ。ナレーション原稿に、こう書き加えた。

「奥田さんの話を聞いて、私も植松被告も、この時代に生きている〝時代の子〟なのだと思いました。私の中で、彼との間に知らず引いていた一線が薄くなった気がしました」

読み手は、RKBの坂田周大・TBSの長岡杏子の両アナウンサーにお願いし、2017年12月29日夜、RKBラジオとTBSラジオで放送した。このほか、沖縄、北海道、関西、岩手の系列局でもOAしてくれ、かなりの反響を呼んだ。

植松被告からの問いかけ

植松被告との面会による精神的なダメージは少なかった、と思っていた。恐怖よりも、あまりに浅薄な考え(なのに重大な決断をしてしまっている)に呆れていた。面会の最後に、TBSラジオの鳥山さんは立ち上がりながら、「また会ってくれますか」と聞いた。植松被告は、「もちろんです」と答えていた。

しかし、なかなか次の面会を申し込む気になれなかった。何でもない日常、突然植松被告の顔が浮かぶことがある。手紙を書く気力がわかない。2カ月近く経って、はっと気付いた。「実は、少なからずダメージを受けていたのだ」。そう自覚してパソコンに向かうと、すらすらと手紙が書けた。

2回目の面会は、3月27日に決まった。新たな精神鑑定のため、横浜から立川拘置所(東京都立川市)に移っているという。面会の段取りは調っていたのに、植松被告から改めて手紙が届いた。それは、私への質問状だった。

【質問1】国債(借金)を使い続け、生産能力のない者を支援することはできませんが、どのように問題解決を考えていますか?

【質問2】自分が糞尿を漏らしベッドにしばられドロドロの飯を流されても、周りに大きな迷惑をかけ続けても生きたいと思いますか?誰だって死にたくありませんが、最低限度の自立は人間の義務であります。

【質問3】奥様は、私の主張をどのように考えていますか?

【質問4】金佑さん(注:私の長男)は、今どのような日々を過ごされていますか?

【質問5】半年ほど前、旦那を殺害遺棄した妻が「デリートッ!!消除するぞっ!」と意味不明な発言から不起訴になりましたが、このような化者(ばけもの)がのうのうと社会で暮らす現実をどう考えていますか?

5つの質問に対して、面会した時に答えてほしいという。今度は妻と子か……。「なかなか、簡単にはいかない」と嘆息した。

立川の拘置所は、市役所の隣にあり、桜がきれいに咲いていた。3カ月前の横浜と同様の手続きを経て、植松被告と再び対面した。私は【質問3】に対する答え、つまり妻の言葉から始めることにした。

「あなたの言っていることは、100%間違っているとは思わない、と妻は言っていました」と言った。植松被告は満足げに私の目を見て頷いたが、続いて「だけど、完全に優生思想であると――」と言いかけたところで、遮るように「ちょっと、言い方にとげがあると思います」と早口で言い返してきた。

植松 優生思想っていうと、ナチスと直結するじゃないですか。全然違いますよ。

神戸 どうしてナチスと違うと言えるのですか。

植松 理性と良心を持っていられるか。持っていれば生きていられるので。

神戸 つまり、あなたは、理性と良心のない人を殺した。そこがナチスと違う、と言うのですか。

植松 そうです。

神戸 妻は、優生思想の意味を大きくとらえているようです。「優生思想は誰の心にも少なからずある」とも言っていました。学歴や収入もあるかないかで言えば、ある方がいい。健康もそうだろうし。

植松 その通りです。

神戸 その意味で「あなたの言っていることは、100%間違ってはいない。でも、頭の中で考えるのはいいが、やってはだめです」と。

植松被告は、少しむっとしたようだったが、口調はあくまで謙虚に「はい、それが今の答えなんだと思いました。大変な機会を乗り越えていらっしゃったので、それはご苦労様でした、ということで」と、失望感をあらわにした。

続いて、私は【質問4】の長男の現状について説明した。19歳になったこと、就労移行支援事業所で作業にいそしんでいること、楽しそうに暮らしていること――。すると、植松被告は「違う」と遮った。

神戸 いや、楽しそうですよ。にこにことしている。

植松 それは、仕事をしているわけではないから、楽しそうなんですよ。

神戸 いや、しているみたいですよ。

植松 しているといっても、職員の方がやっているんですよ。そこのところを線引きしないと。

神戸 何を線引きするんですか。

植松 自立できるのか、できないのか。

神戸 うちの息子はできないと?

植松 情報が少なすぎるので何とも言えませんが、ギリギリのところにいるのかな、と。

神戸 でも、仕事をしたいという意欲はありますよ。二十歳の誕生日にはiPhoneを買いたいと言っている。5000円ずつお金を貯めて……。

植松 それは自分でiPhoneが欲しいと言ったのですか?

神戸 そうですよ。もうちょっと、もうちょっと、と楽しそうにお金を貯めています。

予想と違ったのだろう。植松被告は「それは、よかったです」と極めて無感情な様子で言った。話題を変えたいようで、自ら【質問5】に話題を振った。「夫を殺害して意味不明な発言から不起訴になった人のこと、どう考えていますか?」。私はどの事件かよく分からなかったので、この話題は進まなかった。

そして問題の【質問1】へ。

神戸 あなたは、国の借金を使って養うこととか、生産性ということに関して、とても考えているようですね。生産性のない人というのは、どういう人のことですか。

植松 年金受給者や生活保護受給者にも当てはまると思います。国の借金が増えるばかりなので。

神戸 どうすればいいと考えているのですか。

植松 国が、仕事を作らなければいけないと思うんです。でも、面倒くさいじゃないですか。皆「金だけ渡していればいい」と考えていて。だから生産性がもてないんですよ。すべて借金なのに。

神戸 最初はあなたと話すことに抵抗がありましたが、今は感心するところもあります。何歳くらいから、そういうことを真面目に考えるようになったのですか。

植松 いや、それは(少し照れたふうに)26歳になってからですね。

神戸 あなたが「心失者に理性と良心がない」と考えたのもそのあたりですか。

植松 だいたいそのくらいからの考えですね。

神戸 その頃、いろんなことに気が付いた?

植松 そうですね。身体を鍛えなくちゃと、スポーツジムに行ったことがあるんです。その時、老人に「若いんだから働かなきゃダメだよ」って言われて。「あんただって働けるでしょ」って思いました。そういうところ、老人だらけですよ、年金受給者の。国の借金で、ジムとかでお金を使っている。

自分の「正義」を、植松被告は譲らない。今回は、感情的になる場面もあった。

神戸 妻は昔「車を運転していて、事故を起こして子供と2人このまま死ねたら楽だな、と思ったこともあった」と言っていました。

植松 ですから、そういうことです。それが不幸なのです。生かしていることが。

神戸 でも、妻は「産んだのだから、私には責任がある。守らなくてはいけない」とも言っています。

植松 だから!そんなのは医者たちの洗脳です!それで不幸になっているんですよ。生かしているから。

神戸 今が不幸だとは思いませんね。植松(違うと首を左右に振りながら)思っている、思っていないとかじゃなくて、その年金は人からもらっているものなので!!

神戸 あなたは、どちらかと言えば正義感の強い人なんじゃないかな。

植松 そう言ってもらえたら光栄ですけど。

神戸 自分は正しいことをしているつもりで事件を起こしたんですよね。

植松 そうです。

神戸 だけどあなたは、刑に服すための準備期間にいる。裁判で、重い刑を受けることにもなるかもしれない。それを今、どうお考えですか。

植松 それは考えていないというか。想像がつかないですね。

神戸 当初は刑を受けるとは思っていなかったんでしょう。逆に、ほめられるというか。

植松 そういうこともあっていいんじゃないか、というか。

神戸 だけど実際は賞賛されることはなかった。

植松 やっぱり社会は甘くはないなと。悪いことをした方が、金が儲かるということですよね。

神戸 あなたの正義と、社会の正義が違っている?

植松 そうかもしれません。あと、お伺いしたいことですけど、神戸さんご自身が糞尿を垂らして周りに迷惑をかけても生きたいと思いますか(【質問2】)。

神戸 僕自身は、迷惑をかけても生きたいかと言われるとそうではないです。ピンピンコロリというか、そんな死に方ができればいいけれど、そうはならないかもしれません。それは生きている人にとっては苦痛かもしれませんよね。

植松 はい。

神戸 尊厳死・安楽死という考え方を、私は必ずしも全否定するわけではありませんが、それはその人自身がそういう状態になっても生きていたいかどうかで決めることであって、他人が決めることではないのではないですか。

植松 ですから、みんな死にたくはないじゃないですか。だけど、理性と良心が働いて「私は迷惑をかけてしまうかもしれない」と思うから、死ぬわけじゃないですか。自立ができなくなったら、それを誰かがやればいいわけです。

神戸 じゃあ、理性と良心がなく、自立ができない人は、誰かが介助してその命を断ってもいいということですか。

植松 その通りです!

神戸 それは、誰がすればいいと?

植松 それは、精神科の奴がすればいいけど、今の精神科医ができるかと言えば、できないでしょうね。

神戸 義務にすればいい、と?

植松 社会がそうあるべきだし、人間がそうあるべきだと思います。

2回目の面談は、植松被告が感情的になる場面が何度かあった。また、私の質問に対して、間髪を容れず、すぐに返答する姿勢も目立った。また、親御さんの様子を聞くと、「迷惑がかかるから」と、嫌な顔をした。

植松被告の言うことを、全部否定するのは簡単だ。彼は福祉施設に勤めていたのに障害者福祉の知識もなく、歴史も知らない。おそらく、読書量はとても少ない。でも、私はもう少し耳を傾けてみようと思う。アクリル板の向こうに座っている〝時代の子〟植松被告を見ることは、合わせ鏡に映った自分の顔を見ることなのかもしれないからだ。

かんべ・かねぶみ/1967年生まれ