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大リーグを呼んだ男「秋沢志篤」を知っているか 子どもの未来にかけた人生(後編)

TBSテレビ報道局 社会部長 武石浩明

コンビニ業界に旋風を巻き起こし、日本初の大リーグ開幕戦を実現した秋沢志篤(あきざわゆきあつ)。その後、秋沢は子どもたちの将来を考え、ヒーローとともに次の時代を担うリーダーの育成や、養護施設で暮らす子どもたちの支援などの活動に乗り出す。その活動が軌道に乗り始めた2009年12月15日、秋沢は倒れた。脳梗塞だった。

右半身が麻痺、医師からは一生車イスでの生活と言われた。糖尿病と高血圧の合併症と診断された。秋沢は健康にまったく無頓着だった。スポンサー集め、心拓塾の講師との打ち合わせ、次々に持ち込まれる相談事。朝、昼、晩と2回ずつ食事をしながら相手と話し合うこともしばしば、スケジュールはびっしりだった。

秋沢は不屈の闘志でリハビリに取り組む。深夜1時、右半身が麻痺した体で、病院の地下から10階まで往復。右側に杖、左手は手すりにつかまりながら階段を上がる。手すりを握る手がこすれて、階段の壁には血がこびりついていた。「子どもたちや、賛同いただいた仲間を裏切ることはできない。休んでなんかいられない」。活動を再開することへの強い意志がリハビリを後押しした。

秋沢は3ヵ月後に退院、食事・睡眠・運動の生活習慣を見直すとともに、連日厳しい筋力トレーニングに取り組んだ。そして、半年後にはついに歩けるまでに回復したのだ。秋沢は脳梗塞になって、それまで以上に弱者の気持ちがわかるようになったという。秋沢はさらに精力的に活動を始める。

そんな最中の2011年2月22日、ニュージーランド・クライストチャーチで大地震が起き、駐日ニュージーランド大使から、現地の養護施設を助けて欲しいという依頼を受けた。

その直後の3月11日、東日本大震災が起きた。秋沢は「民間復興支援青年隊」を組織、翌4月には自由の効かない右足に力を込め、宮城、福島、岩手、茨城の避難所を回って、被災者の健康相談やマッサージなどに取り組む。

芸人や歌手を連れて行き激励も行った。そして6月、ニュージーランドと東北の被災地のため、チャリティパーティーを開催。そのときニュージーランド大使から、「同じ被災者として、ニュージーランドで東北の子どもたちの心の声を聞いてあげたい」と、ホームステイの提案を受ける。

東北の被災地の子どもたちが、ニュージーランドの被災地に。悲しみを分け合い、心を癒すことが目的だった。しかし秋沢の予想に反して、帰ってきた子どもたちは激変していた。ふるさとへの愛情や感謝の気持ちが芽生え、困難に立ち向かう力強さが生まれていたのだ。

東北の復興を担う未来の意志を育てるため、「Support Our Kids(サポート・アワー・キッズ)」が立ち上げられた。子どもたちの逆境を力に変える。秋沢は「Support Our Kids」を通じて、被災地の子どもたちの自立支援活動にのめりこんでいった。

今日までに12カ国の大使館が協力、375人の子どもたちが海外へのホームステイを経験した。ニュージーランド大使の仲介で、世界最強のラグビーチーム・オールブラックスの伝説的選手、ダン・カーターやリッチー・マコウも支援活動のために来日した。

ホームステイを終えた子どもたちが、同世代の子どもたちを支援する「HABATAKI」のプログラムも、子どもたちの中から自発的に始まった。一つ一つの支援がしっかりとつながり始めていた。しかし、2017年、再び秋沢は倒れた。そして9月11日、その激動の人生を終えた。

「子どもには夢を、若者には志を、大人には誇りを」 「その時に、その国でしか味わえない体験をさせてあげたい」 「率先して社会を担おうという意欲が、子どもたちや若者にわいてくる環境を」 「ひとつひとつの支援を繋げる。子ども達の声を集める。伝える。広げる。この手を抜いてはいけない」 
「自分の役割を見つけること。それが自立だと思うんですよ」

偲ぶ会の会場には、秋沢が残した多くの言葉が飾られた。「Support Our Kids」で海外ホームステイを経験した子どもたちが、会場の運営を手伝っていた。その中の1人、福島県出身でアメリカにホームステイをした現在大学4年の女性が、秋沢から伝えられた言葉。

「過去と他人は変えられないが、明日と自分は創ることができる」

過去にしがみつくのではなく、プラスに変える。自分が成長できるか、常に目標に向ってチャレンジ精神を持つことが大切だと、秋沢から教えられた。人とのつながりを大切にしながらがんばろうと、彼女は思ったという。偲ぶ会では、秋沢の活動を紹介するVTRとともに、サイモンとガーファンクルの名曲『明日に架ける橋』が流された。その歌詞の中には・・・「激流に架かる橋のように君の心の支えになってあげるよ」。まさに秋沢の人生を表わすかのような言葉だった。VTRの最後にはこんな言葉が示された。

「あなたのおかげで私たちは出会えた」

Support Our Kidsの活動は当初から10年間続けることが目標にされ、活動は2020年まで続く。秋沢の思いのこもったバトンは、確実に手渡された。

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筆者も、「みのもんたの朝ズバッ!」のチーフプロデューサーだったときに、Support Our Kids第2期生について放送、ささやかながら活動のお手伝いをしたことがある。その時、被災した子どもたちのために、絶対に活動を成し遂げるんだという秋沢さんの強い意志を感じた。改めてご冥福をお祈りいたします。

Support Our KidsのURL
http://support-our-kids.org