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福島・浜通りを走る焼き鳥屋

Nスタ ふくしま 1月24日放送より 取材:田勢奈央

去年3月、帰還困難区域を除く地域で避難指示が解除された福島県浪江町。

およそ10ヶ月が経ちましたが、これまでに街に戻った住民は震災前の人口の2.2%にとどまっています。そんな浪江町に「温かいものを届けたい」と
毎週町を訪れる移動販売の焼き鳥屋を取材しました。

「何本ですか?(8本)8本でしたら、10分くらいで・・・」

美味しそうな焼き鳥を焼くのは、田村市の白土勝美さん、44歳。

3年前、移動販売のスーパーをしていた父親が亡くなったことをきっかけに移動販売の焼き鳥屋を始めました。

「焼き鳥屋は始めて3年目(その前は違う仕事を?)溶接工やってました」

浪江町に通うようになったのは、去年の夏。町で行われたイベントに出店したことが始まりでした。

「何回か行ってるうちに・・・情がわいた、じゃないですけど、『浪江町のためにやってくれよ』みたいな感じでお客さんに言われて・・・」

浪江町は去年3月、帰還困難区域を除く地域で避難指示が解除されました。
しかし町に戻ってきた人は震災前の人口の2.2%にあたる482人にとどまっています。

町内にはコンビニ2軒と仮設商店街があるものの、閉店時間は早く、食べものを買える店は限られています。

「行き始めたときに『久しぶりに温かいもの食べられた』って言われて、あ、それが現実なんだなって。自分が浪江から帰るときに、まず自販機がない。夏場だったので、喉カラカラになって帰ることが多々あって」

白土さんは浜通りを中心に移動販売を行っていて、火曜日と木曜日はここ、川内村を訪れます。

(もう5本買ってくわ)鳥皮ですか?」
(Q:これ、お父さんの一週間に一度の楽しみ?)
「楽しみ、楽しみ・・・これで焼酎飲むんだ」

浪江町を訪れるのは毎週水曜日。田村市から向かう道のりに、やるせなさを感じると言います。

「あっち(浪江)は行くまでに心折れそうになりますもんね。やっぱり誰もいないし、バリケードだらけなので、これが(震災の)爪痕なんだなって思いながらいつも行ってて」

この日はあいにくの雨ですが、浪江町での営業です。場所は浪江町役場の敷地内にある仮設商店街、「まち・なみ・まるしぇ」の横です。

「鳥レバー2本と、ももニンニクを2本・・・

仮設商店街で働く人もお客さん。白土さんもここで、毎回帰り道に飲むコーヒーを買います。

(お店)足りないどころじゃないですよ、この状況で町民に帰って来いっていうのは厳しいと思います」

住民がなかなか戻ってこないなかでの営業。お客さんの多くは町役場の職員といいます。

営業時間は午後3時半過ぎから夜9時頃まで。お店がまだ少ない浪江町では、焼き鳥屋は重宝がられます。

「毎週水曜日はここきてるのわかってるので買いにきてます。焼き鳥がすごくジューシーで、お店で食べるのよりおいしい」

「町内に夜買うところってコンビニしかないので、焼き鳥屋さんが来てくれるのは楽しみの一つ、ありがたい」

お客さんのなかに、浪江町でコンビニを経営している人がいました。

「行く時に『とっと庵さん 見つけた』って、焼き鳥食べたいと思って 笑」

大熊町出身の、植杉泰介さん、27歳。地元の近くで復興に携わりたいと、浪江町でコンビニのオーナーになりました。

浪江という場所でやっていることで、安心して戻ってくる人もいると思うので」(植杉さん)

「すごく楽しみにしてもらっているのは実感できる。そこはすごくモチベーション上がる。自分が住んでるところ、不便だなって思ったけど、浪江町とか川内村に住んでる方にしたら恵まれてるって思ったので」(白土さん)

通い続けることで見えてきた浪江町の現状。少しでも住民が安心して暮らせる環境になり、賑わいが戻ってくれたらと白土さんは願っています。

「とにかく役に立ちたいっていう一心ですね。浪江が元気になって、自分が必要じゃなくなったら・・・でも使っていただけるなら、ずっときたいなと思ってるんで」

移動販売の焼き鳥屋にいっぱい詰まった、浜通りへの思いをのせて・・・白土さんは、今日も車を走らせます。