0428_風18

2019/4/28 風をよむ「平成から令和へ」

●象徴としての天皇

●慰霊の旅

●戦争のない時代「平成」

23日、両陛下は昭和天皇が埋葬されている武蔵野陵を参拝し、 今月30日の退位を報告。<平成>は、残すところ、あと三日となりました。

昭和34年、民間人の美智子さまを妃殿下に迎えた皇太子殿下。
親子が別々に暮らすという、それまでの慣習にとらわれず、3人のお子さまを手元で育てるなど、時代の流れに沿った子育てを実践、新たな皇室像を示されました。

藤森宮内庁長官「吹上御所において崩御あらせられました」

昭和64年、昭和天皇崩御。これに伴い、55歳で即位した陛下はその翌年の記者会見で天皇としての抱負を、次のように語られました。

天皇陛下「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴として現代にふさわしく天皇の務めを果たしていきたいと思っています」

日本国憲法のもとで、初めて誕生した「象徴天皇」。平成の30年間は、「象徴天皇」のあり方を模索する道のりでもありました。

平成7年の阪神・淡路大震災では被災地を訪れ、避難所の硬い床にひざをついて被災者一人一人に同じ目の高さで話しかけられた両陛下。

皇后さま「どうですか?体の具合は?」「お大事にね・・・」

さらに、東日本大震災でも両陛下は避難所などをたびたび訪問。

被災者「握手をしていただいて。とっても暖かい手で感激して本当に涙が出てきそうです」
  

きびしい自然災害に、再三見舞われた、この30年。その都度、 人々を励ますため、両陛下は被災地に足を運ばれてきたのです。

国民との直接のふれあいを、大切にされた両陛下。即位後、全ての都道府県を2巡されました。

さらに、両陛下が大事にされてきたのが、<昭和>の時代の戦争で犠牲となった、戦没者の慰霊と、平和への祈りの旅でした。

戦後50年を迎えた平成7年には「慰霊の旅」として、 長崎、広島、そして沖縄などを訪れた両陛下。

戦争被害者への慰霊の旅は、海外の激戦地にも及びます。

戦後60年にはサイパンを、また、戦後70年にはパラオのペリリュー島など、太平洋戦争での激戦地を訪問、戦争で命を奪われた全ての人々への、哀悼の祈りを捧げられました。

その一方、戦争により、不幸な歴史を作ってしまった国々にも両陛下は心を寄せられてきました。

それが垣間見えたのが、平成12年のオランダ訪問。この時、両陛下を出迎えた人々の一部から上がったのは、強い抗議の声でした。

オランダで陛下に向けられた抗議の声。背景にあったのは、戦時中、
オランダの植民地だったインドネシアを日本軍が占領した際、多数のオランダ人を捕虜にした歴史から生まれた、反日感情でした。

こうした空気の中、元抑留者を含む多くの市民が見つめる前で、戦没者慰霊碑に向かい、長い黙祷を捧げた両陛下。

さらに、障害者施設を訪問したり街角で学生たちと言葉を交わすなど、両陛下の気さくな姿を、地元メディアは「友好な関係への第一歩」などと、報じました。
             
そこには両陛下の、平和へのひたむきな願いが、うかがわれます。 

平成28年、陛下は、象徴としての天皇について・・・
  
天皇陛下「天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を、果たすためには、天皇が国民に,天皇という象徴の立場への理解を求めると共に,天皇もまた,自らのありように深く心し,国民に対する理解を深め,常に、国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を、感じて来ました」

困難な営みを、常に寄り添い、支え合いながら歩んでこられた天皇・皇后両陛下。

   
退位後、天皇陛下は上皇に、皇后陛下は上皇后となられます。

去年12月、平成最後の天皇誕生日に際して、この30年間の思いを、次のような言葉で語られました。

天皇陛下「平成が戦争のない時代として、終わろうとしていることに心から安堵しています」

<平成>から<令和>へ。その日まで、あと3日です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?