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2019/07/14 風をよむ「テレビとアイドル」

・アメリカ生まれのジャニー喜多川さんが育てた日本の"アイドル文化"

・映画からテレビへ スターは雲上人から身近な存在へ

・テレビが広げる”応援”~政治の世界にも…


金曜日、行われたジャニー喜多川さんの「家族葬」。弔問に訪れたのは、1980年代から現在まで、日本のテレビ界を彩るおよそ150人のジャニーズ事務所所属のアイドルたちでした…。

ジャニーズ事務所の社長であるジャニー喜多川さんは1931年、ロサンゼルス生まれ。美空ひばりさんら、訪米した歌手の公演を手伝ったりしたあと、1962年、ジャニーズ事務所を設立。その後、数々の男性アイドルグループをデビューさせたのです。


テレビが登場する以前、戦後しばらくは「娯楽の王様」といえば「映画」。多くの人が映画館に足繁く通いました。

そして銀幕を彩る「大スター」は、庶民には手の届かない雲の上の存在、憧れの対象だったのです。 

しかし、1953年、日本で「テレビ放送」が開始されると、街頭やお茶の間に置かれたテレビの映像に、人々は夢中になりました。

映画と違い、日常的に目にすることのできるテレビ。こうした日常のメディアであったテレビは、映画スターとは違う、新たなスター、いわゆる「アイドル」を生み出します。

そのアイドルブームの火付け役となったのは、渡辺プロダクションの「三人娘」…

あるいはホリプロとサンミュージックのアイドルからなる「花の中3トリオ」でした。

そうした中、これまでにない男性の歌って踊れる「アイドル・グループ」をデビューさせたのが、ジャニーズ事務所でした。

相次いでデビューする若いアイドルたち…彼らはお茶の間の視聴者たちの圧倒的人気を博します。

テレビは、手の届かない「銀幕のスター」に代わって、スターを自分たちに身近な親しみやすい存在へと変えたのです。

碓井広義・上智大学教授(メディア文化論) 
「スターと呼ばれる人であってもだんだん近しい存在になってくる。若い人たちをひきつける存在としての“アイドル”と呼ばれ始めた。アイドルとテレビの“親和性”みたいなことでいえば、アイドルと言うのは決して完成形ではないんです。デビューして歌も踊りも成長していく。ジャニーさんもまたそんな“テレビの特性”をよく分かっていて、その成長のプロセスをきちんと提供していくということを意識してやってらっしゃった」

視聴者に親しみを感じさせ、多くの人を引きつけたテレビ。「アイドル」はまさにそうした「テレビの申し子」でした。

そしてこうした「テレビの申し子」は、アイドルだけではありません。例えば政治の世界では…

1960年、アメリカ大統領選史上初めて行われたテレビ討論。視聴者はニクソン氏に比べテレビに映ったその若々しい姿に引きつけられ、ケネディ氏が勝利しました。アメリカ国民はその後も、テレビに映るケネディ大統領の姿に
強く心を引かれ続けたのです。

そして日本でも、テレビを通して、視聴者を引きつけ、人気を獲得した政治家が次々と現れました。
        
視聴者と時間を共有し、その一挙手一投足を見続けることで、いつしか、より身近で親近感を覚える存在へと対象を変えていく、そうしたテレビの特性が、まさに「時代の寵児」たちを生み出していったのです。
 
碓井広義・上智大学教授(メディア文化論)
「日常的なメディアだからこそ、たとえ政治家の方であれ、アイドルもそうかもしれないけど、頑張れという応援、声援ができるメディアなんですよね、テレビって」

こうしたテレビの特性を生かして、ジャニーさんは、若い男性たちを、時代の「アイドル」へと変えていきます。   
 

TOKIO城島茂さん

「なかなかジャニーズの子どもたち、自分たちもそうですが、ジャニーさんに見いだされたタレント一同が集まるってなかなかない。最後にジャニーさん、粋な演出というか、最高の舞台をしつらえてくれた」

おととい、そうしたアイドルたちに見送られたジャニー喜多川さん。その軌跡は、改めて「テレビとは何か」ということを考えさせてくれます…。

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