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【全日本実業団陸上2日目②】

引退する男子棒高跳のレジェンド、澤野のメッセージは?
引退後も日本の棒高跳を押し上げる存在に

 男子棒高跳のレジェンド、41歳の澤野大地(富士通)が全日本実業団陸上(9月25日、大阪ヤンマースタジアム長居。5m20で7位タイ)をもって現役を引退した。
 今も残る5m83の日本記録を跳んだのは05年。その年のシーズン世界8位記録で、同年の世界陸上ヘルシンキ大会でも8位に入賞した。世界陸上跳躍種目では日本人初の入賞だった。
 世界陸上は03年パリ、05年ヘルシンキ、07年大阪、09年ベルリン、11年テグ、13年モスクワ、19年ドーハと出場し、ヘルシンキの8位を含め4回決勝に進出。オリンピックは04年アテネ五、08年北京、16年リオと3回出場し、リオでは7位入賞した。
 澤野は後輩に「記録だけでなく強さを身につけてほしい」とメッセージを残した。今大会に5m50で優勝した竹川倖生(マルモト)、東京五輪に出場した江島雅紀(富士通)ら若手選手に、澤野の意思は受け継がれていく。

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●澤野の試合後の一問一答。「長居は思い出深い競技場」

 澤野は“思い出”のヤンマースタジアム長居で、5m20を1回でクリアした。その時点で8位以内は決定。引退を決めていたが、全国大会で入賞する力はまだ十分持っている。
 だが5m30は3回とも成功することができず、中学から30年近く握り続けて来たポールを置く瞬間がやってきた。
 現役最後の試技を終えた澤野には、スタンドから温かい拍手が送られた。競技終了後には長女や選手仲間とともに記念撮影を行い、何百、何千時間を過ごしてきた棒高跳ピットに別れを告げた。
 競技後の会見での一問一答は次の通り。
――現在の気持ちは?
澤野 中学から始めて28年間、本当に幸せな競技生活でした。周りで支えてくれたたくさんの方々のおかげで、41歳まで競技を続けられました。感謝のひと言です。ありがとうございました。競技人生は幸せと感謝、この2つかなと思っています。今日も元気な体でバーを越えられて、若い選手たちと一緒に競技ができて幸せでした。
――長い競技生活で難しいと思いますが、思い出の試合を挙げてもらえますか?
澤野 思い出の試合は全部といえるのですが、今、ここにいる長居は私にとってすごく思い出深い競技場です。2007年の世界陸上(大阪大会)は全身痙攣を起こして記録なしをやってしまいました。12年のロンドン五輪最終選考会の日本選手権は、大雨の中で山本聖途選手(トヨタ自動車。当時中京大)とジャンプオフをして、2~3時間、雨の中で跳び合いました。(それに勝った山本がロンドン五輪代表入りし、澤野はA標準を破っていたが選考されなかった)。あれがあったからリオ五輪(7位入賞)につながったし、東京五輪も目指すことができました。

●「記録を跳ぶことも大事ですが、強さを身につけてほしい」

――後進の棒高跳選手にメッセージを。
澤野 若い選手たちが今、力を付けて5m40、50、60、70を跳ぶ選手が増え、日本の棒高跳は底上げができています。全国の棒高跳関係者、コーチの方々が努力されている賜だと思っています。もちろん若い選手が高く跳びたい思いが形になってきていることはうれしいことです。(棒高跳選手へのメッセージとしては)1つは記録を跳ぶことも大事ですが、オリンピック、世界陸上、ダイヤモンドリーグなどを通じて強さを身につけていってもらいたい。私自身2005年から海外を転戦した中で(現在のダイヤモンドリーグの)ファイナルに残りました。(飛行機でポールを運搬できず)海外の空港をポールとスーツケースを持ってうろうろするなど、さまざまな経験を通した中で棒高跳の結果を出す強さを身につけました。そういった強さを身につけることが私の日本記録やアジア記録(5m93)の更新、6m突破につながっていく。先日(9月11日)フィリピンのオビエナ選手が5m93を跳びましたが、彼はヨーロッパを拠点にずっと海外転戦を行っています。そうした世界のスタンダードを考えて、強さを身につけてほしい。
――すでに日大のコーチとして活動されていますが、自分の育てた選手が日本記録を超えてほしい思いがありますか。指導者としてどんな存在になりたいですか。
澤野 今後は指導者として、教員として、そこを中心軸に自分が成長していけるように頑張っていきます。指導者としてはまだまだこれからという身ですが、勉強して、選手としっかり向き合って、先ほど言った強さを持った棒高跳選手を育てていきたい。いきなり、オリンピックや世界陸上で戦える選手を育てたい、ということより、色んな選手が自己記録をしっかり伸ばせるようにしたい。たくさんいる高校生が大学に来て、上を目指して頑張る中で、私も色々アドバイス、コーチングをしながら、彼らが伸びるように真摯に向き合っていきます。その先に日本記録を超える選手が出てくれたらうれしいですし、そういった選手が育っていけるように私自身も成長していきたい。

●優勝した竹川と五輪代表の江島が澤野の日本記録更新に意欲

 全日本実業団陸上を5m50で制したのは、法大を出て2年目の竹川だった。
 3年前に5m60を跳びアジア大会代表にも選ばれたが、本番では5m00で11位。セカンド記録も5m40で自己記録とは20cm差があった。
 19年、20年は5m50がシーズンベストだったが、今季は初優勝した日本選手権の5m70を筆頭に、5m65が1試合、5m50が4試合と、大きく底上げがされている。小柄な竹川は澤野とは別の跳躍タイプと思われるが、竹川なりに努力をして、3年前よりも強さを身につけることに成功している。
 今大会は「最低でも5m50は跳んで、5m70以上」を狙ってた。「日本選手権後の疲労が抜けきらず、調整不足で脚が重い調整不足状態で臨んでしまいました」
 まだ国際大会で実績を残すところまで来ていないが、アジア大会で大敗した3年前と比べれば、強さを身につけつつある。
「5m80は7月の練習で跳ぶことができているので、自分の中では条件さえ整えば、日本記録はいつでも跳べると考えています。そのためには踏み切り動作と助走が他の選手に比べてできていないので、脚が流れない助走ができ、しっかり踏み切れるようになれば見えてきます」
 澤野超えの有力候補の1人が、しっかり結果を出して澤野を見送った。
 東京五輪代表の江島雅紀(富士通)は、日大から富士通と、澤野の後輩にあたる。関係者も驚くような高校記録を出したことも共通点だ。日大時代には澤野のアドバイスも受けていたことがあり、澤野が現役のうちに日本記録を破ることが目標だった。
 それをかなえることはできなかったが、澤野が引退したことを、江島なりの視点でとらえている。「もちろん“お疲れ様”なんですが」と、考えながら次のように話した。
「日本記録はずっと保持されていて、プログラムを開いたら必ず名前が載っています。僕の中では引退しても、超えるべき存在の選手であることに変わりはありません。“お疲れ様”なのですが、自分が超えてから“お疲れ様”でしたと言いたいです」
 日本記録は遠くない将来に、今いる選手の誰かが更新するだろう。それが江島なら、気持ち良く“お疲れ様”と言えるようになる。
 だが次は、オリンピックと世界陸上の決勝進出6回や、五輪&世界陸上のダブル入賞などの実績が、日本の棒高跳選手たちが超えるべきところとなる。これからも澤野は、日本の棒高跳を世界レベルに押し上げる存在であり続ける。

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TEXT by 寺田辰朗
写真提供:フォート・キシモト

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