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鏡よ鏡

最近は「もっと自分のことを知りたい」と思っている人が多いと思う。

「自分にしかない何か」というやつを、自分の中の引き出しのあっちこっちをひっくり返して、必死に探している。

それは結局、「幸せとは何か」というテーマがボヤけてよく分からなくなってしまった今の世の中で、「何とか自分の背丈にあった分だけでも幸せになりたい」という人々の思いが反映されているように感じる。

不安に突き動かされている。


自分探しの旅というものをする人が、今、どれくらいいるのかは知らない。

個人的には、日々の生業から解放されて1人でゆっくりと人生を見直してみるというのも悪くはないと思う。

ただ、それと同時に、その旅で自分が求める「自分らしさ」を見つけるのは難しいようにも思う。

現実的に「自分」は自分のいるところにしかいないのであって、それは物理的な距離の問題ではないからだ。


「自分とは何か」という問いの本質は「自分が他人とどう違うのか」という点にある。

つまり、「自分らしさ」というものがあるとすれば、それは自分自身の中に元から存在するのではなく、他人との比較によって浮かび上がる差異にこそ見出すことができるものだ、と考える。

これは自分が他人と比べて、どう優れていて、どう劣っているか、という優劣の話ではない。

フラットな目線で「他人とどう違うのか」を見つめることによって、他人の持つ特徴の裏返しとして、自身の姿を見つけることができる、ということだ。


この意識を持ちながら、日々の生活で様々な人に出会い、違いを見つけていくことが、漠然とした「自分らしさ」の形を掘り当てていく近道なのではないか、と思っている。

だから、初対面の人と会うのはとても楽しい。

初めての人と会うということは、初めての自分と会うことだと思うからだ。

それは、鏡に似ていると思う。

自分が鏡を見ようとすることで、初めて自分の姿を見ることができるという仕組みが、とてもよく似ている。


大事なことは、限られたコミュニティーの中にある限られた枚数の鏡にとらわれずに、大小色形の様々な鏡に自分を映してみることだと思う。

世の中には、美しく澄んだ鏡もあるだろうし、歪んだり、ひび割れたり、ぼやけた鏡もあるだろう。

それでも、それぞれの鏡に自分の姿を映してみることに、きっと意味があるはずだ。

その小さな積み重ねをしてみることで初めて、無数にぶれて見えていた「自分らしさ」の像にピントが合ってくるのではないだろうか。

もし、あなたが「自分」というものが分からなくなっていて、不安で眠れない夜を過ごしているのであれば、ぜひ一度この心の置き方を試してみてほしい。

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