僕が写真を撮る理由
写真を撮る。
朝、ベランダから見える天気が良い日の空、
家の前から見える、赤でもなくオレンジでもない、言葉で表現できないような美しい夕焼け、
降ったりやんだりの雨で霧がかかった山、
学校を包み込む大自然、
そこら辺の道。
初めて1人で歩き、多くの自然に触れ、自分の何百何千倍もある大きな建物に驚き、必死に逃げ、踏みつぶし、やっつけようとしても消えない自分の影に、泣きわめく。
見るもの全てに何らかの感情を抱いていた幼少期。
綺麗!美しい!とテンションが上がるものを目にしたとき、
わっ!と感動するその心の振れ幅が狭くなったような気がする今。
足元にある、小さいながらも一生懸命生きる花に気づかなくなったのはいつからだろう。
これが大人になった証か?視野が広がった証か?
そんなこと気にしてられないと余裕がなくなったのか?
歳を重ねて得る経験が僕らをそう(無関心に)させるなら、人間はなんてつまらない生き物なんだろう。
周りの目など気にもせず、何だあれ!と思うものには他の何よりも興味津々で、立ち止まる。
今、これほど感情が動くことがあるだろうか。
自分の目にする多くのものが、1度は見たことはあるものになっている。
何の感情もなく、見過ごしてきたもの達にもう一度目を向けて
幼少期のような、あの感覚を思い出したい。
日常のありとあらゆるところに気づきはある。
歳を重ねた今だからこそ、足元の小さな気づき(幸せ)を大切にしたい。
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