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【Mother-006】相対性格理論〜イチかバチかエコかケチか〜※投げ銭方式


「ハヤクシロハヤクシロハヤクシロハヤクシロ」

 これは中々かからない車のエンジンの音ではない。【Mother-003】で書いたが、僕が小さい頃、母があの”ルート配送”という”ドライブ”によく誘ってくれた際、”せっかち”な母は、準備が遅く”鈍臭い”僕を見ては、常々言っていた言葉だ。だがあの頃の僕には、スタートダッシュを決めたい母の車のエンジン音のように聞こえていたのかもしれない。

昔から僕が、家族全員から言われてきたこと、
「おまえは本当に鈍臭い、何をやらせてもノロマなんだから」
と。僕から見たら、うちの家族は全員”せっかち”だ。

 僕は、新しく出会う人に、一番言われるのが、
「落ち着いてらっしゃいますよね〜その落ち着き欲しいな〜」
という褒め言葉だ。

また、こうも言われる、
「あなたと話すと、凄く落ち着く」
と。

 ここでタネ明かしをしよう。実は僕は"人より慌てるスピードが遅い"のである。まあ現代人ぽく言うと"テンパり方が、人より少々ラグがある"のだ。そして、科学的に言うと、

「かの有名な相対性理論を、脳内の神経伝達のメカニズムに応用させ」

「であるからして、Aから見たBの慌て方は遅く見え、やがては細長くなり、ついには紐状に」

…えっ?ひも!?

怖く、、いや長くなりそうなので割愛させていただく。

それにしてもどこまでが”落ち着き”で、どこまでが”鈍臭さ”なのだろうか。


 久々会う友達に、よく言われる言葉がある。
「君はいつ会っても変わらなくていいね」
と。

それは信念というプライドを持って生きてるからなのか。しかし、プライドが高いが故に頑固なので、行くとこまで行ってしまい、よく行き詰まる。

そして人生に行き詰まりを感じたときに、よく自分に言い聞かせる言葉がある。
「今は大きく変われるチャンスだ、頑張るぞ!」
と。

いったいどこまでが”頑固”で、どこまでが”プライド”なんだろう。

 皆さんもこういうように、自分の、あるいは周囲の人の性格で悩んだ経験はないだろうか。いったい、どこまでを変えて、どこまでを変わらないようにすれば良いのか、分からなくなることがある。自分の性格だって変えるのに大変なのにまして人のなんて…ね。

 僕自身、悩みの性格ベスト上位は「ノロマとプライドと時々おかん」である。今の流行りで言えば「ひろぼとプライドのドン・クサ王」かな。

「ゆずぅ〜れなぁい〜♪もぅ〜のがぁ〜あるぅ〜♪…プルゥアイドゥ♪…」
僕の大好きな歌。僕の耳には相対性理論を応用するとこのように聴こ…以下割愛。

C&A…最高。(また元気な姿で復活して欲しいです。)

【Mother-004】にも書いたが、あの母から言われた、
「おまえはプライドが高くて人を見下す心がある」
という言葉。

そして父からも、何かに失敗するたびに、今だに言われる、
「おまえは傲慢だからな、足を掬われないよう気をつけろよ」
と。

 そう。僕はずっとその言葉に悩まされて来た。これからも悩み続けるだろう。悩んで来て良かったと今は思える。もし誰からも相手にされなくなり、言われなくなったら、もうおしまいだと思う。

が、何故だろう、父から言われると凄くイラっとする(笑)

 同じ言葉なのに母から言われた時は、厳しく聞こえなかったのだ。怖かったけどね(笑)何処かに優しさと言うか、温かさをあの時感じたからかな。その違いは何なのだろう。

 ふと今、この物語を書きながら疑問に思ったので、このまま書き進めて自分なりに整理してみようと思う。

 ”リフレーム”というカウンセリングの手法がある。これはアメリカで日本人セラピストとして、成功を収めている西尾和美先生が提唱し、現場で活用されている手法だ。

 直訳すれば”差し替え”という意味合いだが、具体的に言うと、その人(クライアント)が持っている自己の性格のネガティブな捉え方(フレーム)をポジティブに差し替え(リフレーム)て相手が本来持っている自己変革力を引き出す、というようなやり方である。

 例えばタイトルにも書いたが、”ケチ”は捉え方を変えれば節約上手、つまり”エコ”になる。”傲慢”は”誇り”にもなりうるし、”鈍臭い”は”落ち着き”になりえる。性格とは”捉え方”次第で良くも悪くもなるのだ。つまりは絶対的ではなく、相対的…また出てきた…ここまで来ると”しつこい”→リフレーム→”執念”である。

 有名な「北風と太陽の話」がある。黒いコートを着た男性を”北風さん”と”太陽さん”がどちらが、黒いコートを脱がすことが出来るかを競争する話だ。

 ”冷たい風”と”温かい光”の勝負は、寒さではいよいよコートを締め、暑さで遂にそれを脱いだ男性によって決まったのである。

 言葉には温度がある。父と母の同じ言葉、しかしそこには温度の違いがある。父の言葉は”心配”というネガティブで冷たい温度で僕の耳へ届く。母の言葉はいつも”期待”というポジティブで温かい温度で僕の心へ届いていた。まあどちらも愛情には変わりないのだが。

 母はどこまでもポジティブな人だった。根っからの楽観主義者だ。母の存在それ自体が”アルコール依存症”という、世間一般のネガティブなフレームをぶち壊し、”明るく一緒にいて楽しい飲んべー”という超ポジティブなゆるキャラで最後まで生き続けた。

 そんな母の周りにいつもいた人というのは、あの母の太陽のような温かい空気に包まれ、心のコートを脱いでしまう人たちだった。

 また母がそれだけ、たくさんの人たちの心を、ネガティブからポジティブな方へ”リフレーム”していたからだろう。母に悩みを話すだけで心が軽くなった僕が言うのだから間違いない。

 結局、僕が今回辿り着いた答えは、

「性格は”相対的”なのでプラスマイナスがある、見方も捉え方も人それぞれ。なので立ち止まって悩んだって仕方がない、つまり性格をどう活かすかは自分次第」

「ただし、楽観主義は”絶対的”なのでどんな最悪なときでも、常に前に進める人生であり続けることが出来る」

あの母のように。つづく

今回は投げ銭方式にしてみます。

「あなたのチャリ〜ンが明日のnoteを創り出す」

byよーこ麦汁ゆめ募金

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