仮面ライダークウガReviewⅤ“青空”

シリーズ構成の荒川稔久によると、『クウガ』のテーマは「人間の中の暴力性」であると言う。もっというと「非暴力」がテーマの根幹にあり、それを体現しているのが主人公・五代雄介なのである。荒川はクウガのドラマは雄介のドラマではなく、雄介と知り合った人々の物語とも語っている。しかし筆者は、クウガのテーマは五代雄介を以て初めて明確になると考えている。今回は雄介の人物像と、物語のテーマである「非暴力」を照らし合わせて分析していきたい。

 そもそも雄介は第2話「変身」の段階で、自身の暴力の行使に不快感を覚えている。第1話「復活」で初変身、初戦闘をした雄介だが、桜子に下記のように心情を吐露する。

雄介「好きになれないから、あの感触は」
第2話「変身」より

 雄介がクウガに変身し戦う目的は、「誰かの笑顔を守るため」である。この雄介の信条は首尾一貫している上に、物語の前面に出てくる。しかし前述した暴力の行使に対する不快感は、物語前半ではさりげない描写ですまされている。前半のさりげない描写を後半25話以降で回収し、雄介の中にある“非暴力”という考えが、後半の物語の肝である「究極の闇をもたらす者」、「凄まじき戦士」と形容される“アルティメットフォーム”に変身するかどうかという縦軸のドラマに交わっていくのだ。

前半から雄介/クウガが「戦うためだけの生物兵器」に変貌してしまうのではないか、という不安は妹の五代みのりや沢渡桜子、椿秀一らが抱いていた。しかしその都度、雄介の人間性によって解消されていた。そもそも極端に言ってしまうが『クウガ』は性善説のドラマである。基本的に登場する人物は善人である。

松倉本部長「もう心の中で彼らも了解しているさ」
第33話「連携」より

クウガの力が増大化し甚大な被害が出た事から、マスコミのバッシング(第31話)が始まり、当初クウガ用に開発していたバイク・BTCS2000を警視庁はクウガに与えない方針を取る。一条は現場判断で雄介にBTCS2000を渡すが、一方で松倉本部長(石山雄大)も上層部に掛け合っていた。
上記の台詞は、まだはっきりとした回答が得られてはいないが、上層部から許可が得られると踏んだ松倉の台詞である。

クウガ終盤は、強敵ン・ダグバ・ゼバ(浦井健治)との闘い、そのためにクウガが前述した“アルティメットフォーム”へ変身するのかを縦軸に、シリーズ前半のクウガが「戦うためだけの生物兵器」になるのではという問題が再浮上する。

雄介「ベルトの傷、まだ治ってませんでした。だから狙うんならここにして下さい」
第48話「空我」より

最終的に雄介が下した結論は自身がダグバに近い存在になった場合、一条に自身を撃たせる、つまり死を選んでいるのだ。

「非暴力」というテーマに則れば、グロンギと闘ってきた雄介の暴力についても問われなければならない。荒川稔久は元々、“人殺しを続けてしまった雄介が最後に自らの命を封印してすべてを終わらせる”という結末を想定していた。この結末はあまりに悲劇的すぎるとして最終的に選択されなかった。

しかし第48話「空我」、第49話「雄介」を見直すと、雄介が死んだようにもとれる。
第47話「決意」・第48話「空我」でダグバを倒した後、再び冒険に出ると決意した雄介は椿や榎田、桜子らに挨拶回りをする。何処へ行くかは明言されていない。

雄介が自ら行使した暴力に対して自身の「死」という決着を着けたようにも見えるのだ。冒険の行き先を明言しないのも、旅立つ先が「あの世」、つまり死を意味しているように見える。

第48話の雄介とダグバの最終決戦だが、共にベルトの傷により生身の姿になった二人が血を流しながら殴り合うというもの。倒れた雄介に対し、一条が「五代!!」と叫んでEDが流れる。48話の段階で、雄介の生死は明確に描かれていないのである。

第49話は最終決戦の3か月後からいきなり始まり、雄介はラストシーンにしか登場しない。登場人物が、事件の終結後それぞれ雄介やクウガについて語っている。これは見様によっては故人を偲んでいるように見える。

そして問題は、最終回での雄介の描かれ方だ。海外で子どもにジャグリングを披露した後、海岸を一人歩く雄介が映される。最初はフルサイズ(全身)を映されているが、途中カットが変わり、雄介の足元は映されない。EDが流れる中、雄介はフレームアウトし最後青空が映され物語は終わる。この海外にいる雄介は死後の世界にいるようにも見えるのだ。フレームアウト後と直後の青空も、雄介の死を暗喩しているのではないだろうか。

君を連れて行こう 悲しみのない未来まで
君がくれた笑顔だけ ポケットにしまって
僕は… 青空になる

ED『青空になる』(作詞:藤林聖子/作曲:佐橋俊彦/唄:橋本仁)

もともと『クウガ』は『ティガ』みたいなことをやろうと思って作られた企画だから
別冊映画秘宝編集部・編『平成特撮の夜明け』

脚本家の會川昇はこのように指摘している。実際筆者も『クウガ』放送開始当初、どこか『ウルトラマンティガ』に似ていると感じていた。その感触は、今回改めて全話視聴した際も変わっていない。しかし終盤に行くにつれ、『クウガ』と『ティガ』ではヒーローというものに対する考え方が違うという結論に至った。では、両作の共通点をまず見てみよう。

ウルトラマンティガ
誕生経緯:超古代文明遺跡の巨人像と一体化
敵:古代から蘇えった怪獣(但し、宇宙人やその他の怪獣も登場)
その他:フォームチェンジが可能。
仮面ライダークウガ
誕生経緯:超古代遺跡から出土したベルトで変身
敵:古代から蘇えって戦闘民族・グロンギ
その他:フォームチェンジが可能。

こう並べてみると、似通った設定が多い。また、それぞれの第1話の展開も共通点が見られる。勿論、シリーズ物の第1話とは基本的に設定・世界観を説明する役割が大きい。似通った設定がある以上、展開が似てしまうのも免れないのではと思う。これが前述した筆者が感じた両作の似た感触である。ReviewⅠでも述べたが、そもそも言うなれば両作とも過去のヒーロー番組の現代的なリブート企画であり、シミュレーションドラマという点でも共通している。

しかし前述したようにクウガとティガ、2人の英雄は全く違う着地点に落ち着く。

 レナ「ウルトラマンはたった一人で地球を守り続けなくちゃいけない義務でもある訳?」
ウルトラマンティガ 第50話「もっと高く! 〜Take Me Higher!〜」より

まずティガの方から見てみよう。最終回(第52話「輝けるものたちへ」)で、ウルトラマンティガは光を失い石像に戻り海中に沈んだ。ティガを思う子どもたちの光がティガへと届き、子どもたちと同化する形でティガは再起。邪神ガタノゾーアを撃破し、変身者のマドカ・ダイゴ(長野博)は仲間たちの元へ戻るというものだ。

つまり『ウルトラマンティガ』はヒーローを希望の光と捉え、肯定的に描いていると考えられる。

一方前述したようにクウガは、あくまで雄介=クウガが一人でン・ダグバ・ゼバに挑み撃破後、仲間たちの元へは戻らずどこかへ行ってしまう。非常に対照的な結末である。
クウガのOPの歌詞には次のような一節がある。

英雄はただ、1人でいい
OP『仮面ライダークウガ!』(作詞:藤林聖子/作曲:佐橋俊彦/唄:田中昌之)

当初は独善的に感じたが、最終回後あらためて聞くと違う意味が帯びてくる。英雄というものは非常に辛い役割は雄介が1人で背負い込むという意味に思えてくる。つまり『仮面ライダークウガ』は『ウルトラマンティガ』に比べ、否定的なニュアンスで描いているのだ。

そもそもビジュアルとしてティガとクウガは対照的なのである。ティガが光を帯びて変身するの。雄介が決意のもとクウガに変身する第2話「変身」では、雄介/クウガは逆光で影を帯びて変身する。光と影、2人のヒーローの根底にあるものの違いを表している。

『ウルトラマンティガ』についての詳しい考察は別の機会に記したい。ただ、平成に復活したウルトラマン、仮面ライダーの2大ヒーローが似た経緯で誕生しながら、対照的な結末に至った事は非常に興味深い。

放映から18年……。放映当時よりも現在(2018年)においての方が、『仮面ライダークウガ』で描かれたテーマを痛感させられる。

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森谷 秀

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