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「走る」「曲がる」「止まる」そして「温まる」

昔、車のタイヤのテレビの宣伝で、「走る」「曲がる」「止まる」をキャッチコピーにしたものがあった。

車が走るって、その三要素か!と感動したのを覚えている。

その頃、自転車でツーリングするクラブのキャプテンをやっていて、旅という自由を求める性質のものと、部活という集団行動の規律の間(矛盾)で悩んでいた。

大学を卒業した後だろうか。この「走る」「曲がる」「止まる」がポイントだったと、気づいた。

走る楽しさの基礎には安全とメリハリが大事だ。

予想外の事が起きても、それを乗り越えられる基礎体力、スピードの出る下りや滑りやすい路面でのカーブを安定して曲がれる技術、危険を察知したり予想していつでも止まれる自転車と自分の性能の限界を知ること。

基本的な事が、チームでできていれば、達成感、充実感、信頼感が増し、事故なくかけがえのないツアーになるだろう。

そして、この「走る」「曲がる」「止まる」は、自転車だけの話ではなく、クラブの運営でもそうだ。

何となくのノリに任せていては、緩慢な部活になってしまう。一部の人だけが盛り上がり、安全性すら後回しになるかも知れない。

安全性の欠落や、部員の一部に極度の負担が生まれれば、危険を察知して「止まる」が必要になる。

時代が変わり、道路状況や自転車の性能が変われば、その時代にあった、楽しいツーリングを追求する「曲がる」が必要になる。

そして、高い次元で、楽しく安全性も確保できれば、思いっきり全力で「走る」。

この考えに気づいたのが遅く、部活には活かせなかったが、これは国家や自治体の運営でも一緒じゃないか。

時代に合わせて柔軟に政策を変え、進むべき道が間違っていたらうわむやにせずしっかり止まり、市民が納得した状態で未来に向かって進んでいく、というのができる国家は、小さくても強いと思う。

ところで、今日は25年ほど前に買った手作り自転車のオーバーホールが終わった連絡が来たので、お店に行った。

早速、軽くお店の近くを走る。

力が伝わる。
ハンドルをきると反応が速い。
軽くブレーキレバーを握っただけでスッと減速する。

2週間前の乗り心地と全く違う自転車に蘇った。

25年も乗っていると、動きの多いところほど部品交換が必要になり、少しずつ部品が入れ替わっていく。一抹の寂しさと、新たな出会いの喜びがある。

部品は私のために酷使され、すり減って、その生涯を終える。ありがとう。今度、供養という飲み会をしたい。

オーバーホールをしてくれた後輩と、今後の自転車のことなどについて立ち話をして、雨が上がりかけた木場を背に走り始める。

お腹が空いた。
今日はいつもの山手線一周をしよう。
木場からだと、新橋あたりでご飯かなあ。

寒い。ガタガタ震えながら、時々立ち寄る揚州商人へ。

ほぼ満席で、自分が担々麺を頼んでから、ずいぶん待った。耳の周りが冷たいままでなかなか暖まらない。時間がかかるということは、手間暇がかかっているということだ。

ようやく来る。すする。温かい。温まるなぁ。

一杯のラーメンにも作り手の手間を感じて、一層温まる。

自転車のオーバーホールも、作業してくれる人が自転車の部品を単に交換するだけでなく、微妙な繊細な調整までの行程に思いを馳せると、心が温まってくる。

こんな世界にいられて、ありがたいことだ。

再び走り出す。

慶応大学を過ぎると、アップ・ダウンが始まる。

ゆるい登り坂では、まるで電動アシスト付きでは、と思うほど、力が伝わってスピードが落ちない。

私の自転車が遅かったのは、自分の脚力と体重のせいだけではなかったのだ。

特に、チェーンは力がかかり、こすれ続ける部品なので、これを新しくするだけでも変わるらしい。

本当にそうだ。今までの古いチェーンは劣化して、ゴムで出来ていたみたいに伸びて、力を吸収していたのだろう。

今、いつもの休憩スポット、コース中間点の中目黒のフレッシュネスバーガー。

ここからは一層アップ・ダウンが激しくなる。

後半戦も楽しみだ。

乗り心地も静かで滑らかなのに気づいた。
これは、前輪のハブという中心のところを25年ぶりに交換したからのようだ。走行している時にゴツゴツとした振動は、そのハブがガタついていたからであり、地面とタイヤのぶつかる音ではなかったのだ。

ハブが新しくなったことで、乗り心地が良くなり、ハンドルのキレが良くなり、スピードも落ちなくなった。

最高の気分でゴールまで行けそうだ。

帰ったら夕飯の支度が待っている。
こんな日は、クリーミーでなめらかな、温かいシチューでも作るか。

皆さんも、よい「走る」「曲がる」「止まる」、そして「温まる」を。