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「住み慣れた自宅での最期」 〜母を見送った娘の葛藤と現在~

こんにちは。今回、弊社、いきいき訪問看護ステーションの利用者様のご家族の方に、自宅でお看取りされた時のお話を伺いさせていただきました。ご自宅で大切な方との最期のときを過ごすということは、迷いや不安など多くの葛藤があると思います。これから大切な方をご自宅でお看取りされることになった方のお役に立てればと、ご自身の経験と、その時の想いをお話くださいました。


ー 本日は話をお伺いする時間をいただきありがとうございます。今回、ご自宅でお母様をお看取りされたそうですが、それまでの経緯と自宅で看取ることを決めた時の気持ちをお伺いできますか?

こちらこそ、よろしくお願いします。

私はもともと母の最期の時がきたら、漠然とですが自宅で看取ろうと思っていました。でも、いざその時になってみると、急なことで時間もなく、選択肢も限られるなか、迷うこともできない状況で不安だらけのなか決断しました。というのも、旅行に行こうと出かけたら母の体調が悪くなって、救急病院へ行ったんですが、あまり良くない状態だからちゃんと調べた方がよいと言われて、その時はできる範囲での処置だけしてもらって。帰ってきてから近くの病院で検査したら思った以上に状況は良くなく、医療的な処置はもう何もできない、もって2か月ですと思い掛けない衝撃的なことを言われてしまったんです。そのあとは、病名を確定させるために検査入院になったんですけど、そんな病名を確定させるためだけに入院をするなんて私には耐えられず、1分1秒たりとももったいないと思ったんです。どうせ病院にいても何も治療ができないのであれば、住み慣れた自宅で一緒に過ごした方が私たちにとって幸せなのではと思い、自宅で看取ろうと決めたました。

ー もともと何かあった時はご自宅で看取ろうと決めていたとおっしゃっていましたが、いざその時になった時はどんなお気持ちでしたか?

そうですね、、、母の苦しむ姿を本当に私は受け止めることができるんだろうか、ってすごく不安だったかな。病院だったら面会の時だけ会えばいいけど、自宅だとずっと一緒に居て苦しむ姿も見なきゃいけないかもしれない。それも、もう治らない病気だし、何もしてあげられない状況でも私は一緒にいれるか不安でしたね。

でも、それでも一緒にいたい、離れたくないという気持ちが強く、何ができるかわからないけど、とにかくやるしかないという思いで、母との最期の時間を過ごしました。

ー いきいき訪問看護ステーションの看護師が介入してどうでしたか?

訪問看護師さんにお世話になるのも、そもそも自宅に他人が入ってくるということも初めてだったので本当に不安でした。母は気を使いやすいタイプで、自宅に人が入ることを好まない人だったんですよね。最初は気丈に訪問がある時は服に着替えて、大丈夫です、どこも悪くないですとか言っていましたけど、皆さん全員が優しく丁寧に寄り添っていただけたので、すぐに心を開き、すっかり母も頼りきっていました。

母の身の回りのケアだけでなくて、私の精神面までも物凄く支えてもらっていましたね。

ー 最期のご様子はどうでしたか?

実は私、最期のときに動画を撮ったんです。看護師さんに動画撮ってもらっていいですか?ってお願いして。

ー (看護師)そうなんですよ、私もSさんと一緒にお看取りに立ち会ったんですが、動画を撮ってもらっていいかと急に聞かれて少し驚きました。でも、それぞれのご家族の過ごし方や受け入れ方があるんだという気づきになったんですよね。

動画を撮るなんて不謹慎かもとは思ったんですけど、母の姿を忘れたくない気持ちがあったので、退院してからも何度か動画や写真を撮っていたんです。最後は眠るように亡くなっていきましたが、そんな辛い姿だけど、生きていた証として形に残るものが欲しくてお願いしました。

ー そうだったんですね。。。退院されてから1ヶ月はどんな様子でお過ごしになられたんですか?

毎日、熱や血圧を測り、食べたもの、飲んだものの時間と内容を細かくノートに書いていたんです。その時は夢中で書いていたんですけど、今思うと母の為にやっていたのではなく、自分の為にやっていたんだなぁって思います。母はそんな私の為に最後までつきあってくれてたんだと思います。もっと手を握ってあげたり、体をさすってあげたり、話したり、じっと見守ってあげたりできたのにねぇ。。。

母の介護をしているというと、とかく母からも周囲からも大変だねぇ、偉いねぇ、優しいねぇと言われますが、24時間ずっと介護していたわけじゃなくて、私は私でお腹が減れば食事をとるし、こんな状況下でも普通にグーグー寝てるし、言い争いやケンカも最後までしていたし、とにかくひどいですよ。偉くも優しくもないし、介護しているのではなく、私はただ母のそばにいたかっただけなんだって思っています。今思うと一番辛かったであろう人の痛みや不安な気持ちをわかってあげたり、寄り添ってあげたり、思いやりのある言葉をかけてあげることができなかったなぁと後悔しています。

ー 看取りを終えてみてどのような心境ですか?

反省と後悔が9割ですかね。。。もし、どんなにこの1ヶ月をやりきったとしても後悔が残るんだと思うんですけど。

現実を直視できずに今までと変わらない日常を過ごしてしまったんだと思います。亡くなってからじゃないと気づかないんですね。とりかえしのつかないことってあるんだという事をイヤというほどわかりました。これも母の教えとしてこれからの人生に役立てるしかないなぁと思ってます。

今は毎日、遺影に話しかけています。やれなかったことを謝ってみたり、私はこれからこうしてくよ〜と伝えてみたり。その時間に思い切り泣くことで、私の日常が始まっていくんですよ、泣いてる暇はなく、忙しい日常が今まで通り過ごせるようになるんですよ。

ー お写真なども整理されてると伺いました。

そうなんですよ。生前の写真を整理して母の生前史をまとめていきたいと思っています。母は写真を撮るのは好きではなかったので、ここ何年かの写真はほとんどないんですけど、半年ほど前にみなとみらいのホテルでランチに行った時の写真がありました。2人が一緒の写真はこれ1枚きりです。

これから少しずつ母との思い出を辿るように写真や動画を整理して、母の歴史を1冊の本にしたいなぁと思っています。


Sさん、今回はお話をいただきまして、本当にありがとうございました。

最後に、いきいき訪問看護ステーション看護師より。

死亡総人口の約7割がエンディングプラン(今後の医療やケアについての意思)を親族へ十分に伝えられていないといわれる中、S様のケースでは同居されている娘様が母の希望を「想起して決定する」といったケースでした。認知症の進行もあり、「ご本人が何を考え、思っているか」が明確に分からない状況下での決断は深い関係性と絆に基づいた「察しと想いやり」がないと実現できないことだと思います。
インタビュー中に娘様がお話しして下さった介護上の不安や分からないことに関しては、娘様と都度話し合いを重ねながら無理のない範囲で介護が継続できるようにサポートしていくことに看護師間で注力しました。「死期が近い母と対話したい、希望を少しでも叶えてあげたい」という娘様の想いとは裏腹に、病状の進行が更に娘様の葛藤を生むといった状況でしたが、そんな中でも懸命に介護を続ける姿から母に対する想いがとても強く、愛情深い印象を受けました。また、その娘様の母に対する想いはS様ご本人との明確な意思疎通が図れなかったとしてもS様に十分に伝わっていたのではないかと第三者ながら感じています。

年々、ご自宅でのお看取りが少しずつ増えてきている中、住み慣れたご自宅で最期の時を迎えるその局面に携われるというのは訪問看護師としてとても光栄なことだと思います。これからも弊社訪問看護スタッフ一同、支援の在り方を追求し成長できる様に努めていきたいと思っています。


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