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驚きの紅茶の歴史3選(イギリス人が紅茶を知る~アヘン戦争)

今回は紅茶の歴史についてお伝えします。

『歴史』って聞くと、
学生時代のあの暗記だらけの時間を思い出してしまい、歴史と聞くだけで耳も脳も塞いでしまい思考停止になってしまう。
そんな経験はありませんか?

かという私もそうでした。でも、大好きな『紅茶』にフォーカスすることで、カタカナだらけにあんなに苦労した世界史がとっても身近になって、各国で起きたひとつひとつの出来事がストーリーのようにつながっていきました。

ということで、今日は紅茶の歴史の中から、
イギリス人が紅茶を知って飲むようになり、中国と争うまでに至った経緯について、
『今聞くとビックリするけれど、当時は当たり前だった3つの出来事』を通してお伝えしますね!

ちなみに、私は「じゅんじゅんの紅茶教室」という紅茶チャンネルやティーアテンダント協会という紅茶教室を運営しており、紅茶の選び方に関しては熟知しております。私はこれまで40,000以上の紅茶を飲んできていて、カフェのメニュー提案もしていますので疑問等ありましたらなんなりと質問してくださいね!

動画でも解説しています。


1.驚くべき事実その1:ソーサーから音を立てて飲んでいた!?


まずはこの写真を見てください。

紅茶をソーサーに注ぐ
ソーサーから紅茶を音を立てて飲む

こんな風に、手元のソーサーに紅茶を注ぎ、ソーサから直接音を立てて紅茶を飲んでいた時代があります。

今見ると、とっても行儀が悪い所作ですよね。でも、こんな飲み方が流行っていた時代がありました。

1-1. 音を立てて飲んでいた時期があった!?

ヨーロッパにお茶が入った時代のことです。
ヨーロッパで一番最初にお茶を手にした国は『ポルトガル』でした。

ポルトガル

当時は、ポルトガルやオランダ、スペインがチカラを持っていて、海を渡ってアジアの珍しいものを手にしていました。

次第にポルトガルの力が弱まり、オランダが強くなっていたころ、オランダがお茶を口にします。オランダはお茶を栽培していたインドネシアを植民地にしていたため、お茶を自由に採ることができました。そのような背景がありいち早くオランダはお茶を飲むことができました。

とはいえ、まだまだお茶はものすごく高価なものでした。

1-2. お茶は高貴なセレモニー

キリスト教の布教のためにヨーロッパから多くの宣教師が来日しました。彼らは、はじめてお茶の文化を目にしました。
お茶は、飲むだけのものではなく、心・礼儀・文化を育てるものなのだと知り、「この高貴なお茶のセレモニーとはいったい何なのだろう?」「わたしたちの国には存在しない」と、嫉妬心もありつつ憧れのまなざしでお茶を見ていました。そして、何十倍にも膨らんだお茶への憧れと共にヨーロッパにお茶が伝わりました。
そう、ヨーロッパの人たちにとって、お茶とは、特別なもので、珍しいもので、すごいものとして広まっていきました。

一方で、
インドネシアからオランダへお茶の輸送はとても大変なものでした。半年もの月日を要したそうです。

それほどまでに高価で、そして、なかなか手に入らないお茶なのだから、飲んでいるところを人に見せびらかせたい!そう思っても不思議ではないですよね!

そのような背景があり、
私は今、あの高価で入手困難なお茶を飲んでいるんだよ!」というアピールのために音を立ててお茶を飲んでいました。

そのほかにも、
当時はまだヨーロッパにはティーカップがありませんでした。そのため、日本や中国の茶器を使っていたため、ハンドルがありません。茶器をそのまま持つには熱かったため、ソーサに移して冷まして飲んでいたという一面もあります。

2. 驚くべき事実その2:偽物のお茶が出回る!?

その後、イギリスはオランダからお茶を手に入れます。でも、イギリスはオランダと争っていたため、オランダからお茶を入手することを禁止しました。イギリスはオランダを負かしたい。でも、オランダの勢力はとどまることを知りません。

そこで、『敵の敵は自分の味方』ということで、オランダの敵のポルトガルとイギリスは仲良くなります。その1つとして、チャールズ2世はポルトガルのキャサリン・オブ・ブラガンザと政略結婚をします。

チャールズ2世

チャールズ2世はキャサリンに「銀」を要求しました。でも、キャサリンが持ってきたのは、船一杯のお茶と砂糖、そしてインドでした。そのほかにも北アフリカのタンジールも持参金として持ってきましたが、中でもポイントになるのがこの「お茶」「砂糖」「インド」でした。

キャサリン・オブ・ブラガンザ

よほどの身分でないと手に入れることが出来なかったお茶を毎日のようにキャサリンは飲んでいました。この姿にあこがれ上流階級の人たちが真似をするようになり、さらに、その上流階級の人たちを真似る人たちが増え、紅茶を飲む習慣が広がっていきました。

イギリスでお茶の消費量が増え始めていきます。しかし、イギリスは寒いのでお茶を育てることができません。そのため、イギリスは中国からお茶を買っていました。


当時、イギリスは周辺の国々と戦争をしていました。戦費の捻出のために税金を上げるようになります。その税金の対象に多くの国民が飲むお茶が選ばれました。ピーク時は50%もの税がお茶に課せられていました。

そうなることで困ったのが、紅茶を販売していたトワイニングです。

トーマス・トワイニング


創業者のトーマス・トワイニングは言います。「こんなにも茶葉が高いと、誰もウチから買わないじゃないか!」「正規のルートで茶葉を買わないじゃないか!」


正規ルートで購入すると50%もの税がかけられる。そこで現れたのが密輸です。

2-1. 密輸業者の横行

フランスやオランダなどぼ周辺国が購入した茶葉をこっそり買い、それを売る密輸業者が増えました。イギリス以外の国が中国から買い取った茶葉の半分はイギリスに密輸されていたとさえ言われているので、どれだけの量がイギリスに密輸として流れていたのかが想像できるかと思います。(参照元:「茶の世界史」角山栄)

更に、密輸だけにとどまらず、横行したのが偽茶の存在です。
密輸の紅茶に別の葉を混ぜたり、一度使われ亜出がらしの茶葉を集めさせ、乾燥させたものを混ぜて粗悪な茶葉を販売していました。
それだけではなく、茶ではない葉を天日で乾燥させたものを足で踏んで細かく砕き、その葉に羊の糞を水で溶かした樽に浸した後、更に乾燥させて仕上げたものや日本の土をまぜたものもありました。

想像するだけで、恐ろしいですよね…。でも、それがまかり通ったには理由があります。

2-2. 粗悪な茶葉が出回った背景

本来のお茶の味を知らなかったこともありますが、当時、お茶は中国から船で半年以上もかけて届けられていました。それだけの長い期間、海の上にいると雨も降るし風も吹きます。そのような中で茶葉が変質したり劣化することが多くありました。このように劣化した茶葉を上質な茶葉に混ぜることで茶葉の品質を保っていました。すべてが上質な茶葉ばかりではなかったのです。


以上のように、正規ルートの茶葉は高くて手に入れられない。出回る茶葉は他国からの密輸品だったり、偽物の茶という状況が続きました。

「このままでは、茶の品質を保つことができない」とトーマス・トワイニングは心配します。そこで、政府に茶税の引き下げを申し入れました。「このままだと正規のルートで茶葉を買う人がいなくなり、政府も税金収入がなくなりますよ!」「税金を下げれば、正規のルートの茶葉が売れるので、流通量分の税金が政府に入りますよ!」と。この言葉に納得し、政府は減税を実現しました。

税金によって跳ね上がっていた茶葉の価格が下がり、密輸業者からの茶葉との値段の差がなくなることで、粗悪な密輸品や偽茶は姿を消していきました。

この時の茶葉のブレンド技術が今のイギリスのブレンド技術を培ったという一説があります。

3. 驚くべき事実その3:イギリス人が紅茶を飲みすぎて経済危機に!?


紅茶をたくさん飲めば紅茶が売れるので国が豊かになるような気がします。が、真逆の状況に陥ることになります。

なぜなら、イギリスの紅茶はほぼ中国から輸入していたからです。

3-1. 清(現在:中国)との茶貿易

当時、文化は清の方が豊かでした。清の皇帝は言います。「イギリスのもので私たちが欲しいものなんて何もない。あなたたちが持っているものはすべて私たちは持っている。お茶が欲しいのであれば、銀で支払いなさい。」

イギリスは銀と中国のお茶を交換していました。
イギリスの茶の消費量が増えれば増えるほど、銀が中国に流出していきます。かといって、イギリスの国民的飲料になったお茶を飲まないことは考えられませんでした。

そこで困ったイギリスはキャサリン・オブ・ブラガンザが持参したインドのアヘンに目を向けます。

3-2. アヘン貿易

清はアヘンを禁止していました。しかし、イギリスはインドのアヘンを清に送ります。アヘンは清の銀と交換するのでインド経由に中国から銀がイギリスにもどります。その銀で清からお茶を買う。アヘンの使用量が増えるにつれ、清に支払った銀が戻ってきました。

3-3. 清の反撃

清にアヘンが蔓延し、アヘン中毒者が増えていました。更に、中国の銀が流出していました。このままでは国力が下がる!そこで、アヘンの取り締まりのために林則徐が動きます。

林則徐


アヘンに高い関税をかけようという案が出ますが、彼は、断固としてアヘンの使用を禁止しました。アヘンを商売にしたものは即刻死刑と、業者に一筆書かせるまでに。更に、危険を感じてマカオに避難したイギリスの外交官を締め出すために、マカオを封鎖しました。


このような強硬にイギリスが反発しました。それがアヘン戦争です。
結果はイギリスが勝利し、清の5つの開港と香港の譲渡。
これによりイギリスは中国から茶葉を手にしやすい状況になり、一層、イギリスの茶の消費量が上がりました。


まとめ

イギリスはオランダからお茶というものを知り、更に、ポルトガルからお茶を飲むスタイルが入ってきました。この頃はお茶を飲むことはステータスでお茶を飲むことはごく限られた人にしかできませんでした。そのため、お茶を飲んでいることを見せびらかすために音を立てて飲んでいた時代がありました。


少しずつお茶が広まっていき、お茶の消費量が上がるころ、イギリスは戦費を稼ぐためにお茶に高い税金をかけるようになります。その額はなんと、50%。ただでさえ高級な茶葉に50%の税金がかかることで正規ルートで茶葉を購入することが難しくなります。そこで横行したのが、他国が購入した茶葉を販売する密輸や、使用済みの茶葉や土、その他の葉を混ぜた偽茶でした。この状況を憂い、茶葉の販売をしていたトーマス・トワイニングが政府に減税を要求します。減税により正規ルートの茶葉を誰もが購入することで、流通分の税収が確保できるようになりました。これにより税により跳ね上がっていた茶葉の価格が下がり、密輸茶との価格差がなくなることで密輸や偽茶が姿を消しました。

それでも、イギリスの茶の消費量はとどまることをしりません。清から銀と交換して茶葉を輸入していたイギリスは、銀の流出に困っていました。そこで銀と茶葉の確保のために、インドのアヘンを使うことを思いつきます。
清はアヘン中毒と、銀の流出に困り、林則徐の強い取り締まりがはじまります。この強硬な態度に反発して起きたのがアヘン戦争です。イギリスの勝利により、清は5つの開港と香港を譲渡します。

このように、イギリスは国内のお茶の消費量を確保するために色々なことをします。

これだけでは国民の紅茶の消費量を賄うことができず、そのほかにも茶葉を確保するために多くの国へ出かけていき、時には戦争になることもありました。このお話はまた別の機会にお伝えしますね!


100年余りのことをざっくりとお伝えしたので、ご不明な点があれば、質問してくださいね!いつも色々なメッセージを楽しく読ませて頂いています。

ちなみに、わたしは「じゅんじゅんの紅茶教室」という動画チャンネルと、「ティーアテンダント協会」というおひとり様限定のオンライン紅茶教室を運営しています。動画では、美味しい紅茶の淹れ方や茶葉選びのポイントなど、紅茶初心者さんが日常に紅茶を取り入れる方法をお伝えしています。

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