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【修士論文】現代茶人の人類学

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『流派と「茶道団体」を横断する :若手社会人茶人と「伝統」の共存』(2017) * 2018年3月末に,国際基督教大学アジア文化研究所発行の学術誌『アジア文化研究第44号』に抄録… もっと読む
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共著の英語論文が公開されました。

共著の英語論文が公開されました。

大学院時代の指導教官との共著論文が先日ようやく公開されました。

論文の概要掲載されたのはNational University of Singaporeが発行する『Asian Journal of Social Science』で、
タイトルは「Body-mind discipline for life: The non-conformity of contemporary Japanese t

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題辞(エピグラフ)

題辞(エピグラフ)

(この記事は修士論文の一部ですが、このnote単体でも読めるようになっています)

ついこのあいだ、ある理想のために殉教した人たちのことについて話していたとき、
私にこんな質問をした人がいました。
「その人たちが命をささげたのは、なにもかもむだだった、
無意味なことだった、なんて、ひどいとお思いになりませんか」。

私は、無意味だとは思わないと答えざるをえませんでした。
たとえ無意味に思えても、命

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共著の英語論文を出します

共著の英語論文を出します

ニュートンの三大実績は全てペスト禍の18ヶ月で為されたらしいが、論文を書くのはいい「おうちじかん」の過ごし方だ。

たとえば過去のGW、2017年は修論締め切り前(6月卒業)で排泄以外は部屋から出ず、2018年は修論をnoteにアップし続けるだけで連休を終え、2019年は祝日休みではない職場で普通に連勤だった。

今年は尻から根を生やしつつ論文を書いていたが、世界中の人が一緒に自粛してくれていたの

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文化人類学から学んだこと。

文化人類学から学んだこと。

生涯忘れない言葉大学院生だったころ,指導教官が受け持つ学部生向けの授業に参加したことがあった。

人類学は主に人類(多くは自分以外の誰か)を調査する学問だが,その大前提として,自分と違う文化を侵害したり変化させたりする目的はない。

その話をしていたとき,学部生の一人が「そのフィールド(研究対象)の文化が間違っていると感じたとき,人類学者は何もしないんですか?」と言った。

例えば成人儀礼として女

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運命を前に,私は何を「選択」できるのか

運命を前に,私は何を「選択」できるのか

宮野さんが『急に具合が悪くなる』20年以上「偶然性」に向き合ってきた哲学者・宮野真生子さんが,ガンと闘いながら人類学者・磯野真穂さんと書簡を交わし,結論を出してひと月もしないうちに亡くなる。
つまり長年研究してきた結論が,死の直前の書簡の中に示されている。そんな文字通りの魂の交換が,そのまま書籍になったのが『急に具合が悪くなる』。

「選ぶの大変,決めるの疲れる」もし決定論が正しければ,ガンに

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4.1.1. ケーススタディ(1) 「給湯流茶道」

4.1.1. ケーススタディ(1) 「給湯流茶道」

戦国時代の武将が戦の合間に抹茶を飲んでいた景色をそのまま,現代のサラリーマンとOLが戦うオフィスビルへと持ち込んだと自認する「流派」がある。

会社の給湯室を茶室に見立てたことから始まり,抹茶を点てるのに最低限必要である茶筅 [注16] 以外の道具を全て「見立て」ている。

茶道において一般に「見立て」とは,本来は茶道用の道具ではないものを茶道具として取り込むことを指す。
千利休の師であったとされ

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修士論文 目次

修士論文 目次

修士論文「流派と「茶道団体」を横断する:若手社会人茶人と「伝統」の共存」(2017) の目次です。要約が出版されたのち,note用に全文書き直しました。

どのページから読んでいただいても構いませんが,茶会の事例からお読みいただくと,研究全体の雰囲気が掴めるかもしれません。

お急ぎの方はいきなり第6章から読むのも推奨しております。リサーチクエスチョンに沿ったまとめや,言いたかったこと,結論を一

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修論をnoteで公開してよかったこと

修論をnoteで公開してよかったこと

修論をnoteで公開するまで修論が完成したのは去年で,学術誌に載せるように指導教官に勧められ,査読が通って2018年の春に出版されることになった。

いざ春になると,出版された学術誌3部と,自分の記事部分だけが印刷された抜き刷り30部が送られてきた。
「30部も!」と思ったが,ふと我に返る。

学術誌は全国の大学図書館などに置かれるはずで,興味のある人には読まれるはず(現代の一般茶道修練者の研

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賞賛も批判もせずに「解釈」するということ

賞賛も批判もせずに「解釈」するということ

批判的な文章が溢れているのは学術界ではなく,ネット上だ。

例えば論文では,先行研究のような他の研究者が書いた文章に対し,どの視点が足りないなどと指摘し,自分の観点をその上に重ねる。この過程とネット上の批判は,どのように異なるのだろう。

自分には理解できない出来事に出くわした際に,私たちはどのような態度をとれるだろうか。

3つのアプローチ方法
ある人々の文脈を汲み取ろうとする文化人類学や社会学

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あとがき:「お茶」の無意味さをめぐって

あとがき:「お茶」の無意味さをめぐって

この論文を書いた人

本稿がどの視点から書かれたかについて,最低限の素性を述べたい。

筆者の茶道歴の始まりは,学部時代の同好会だ。
筆者が入会する前から教授者が不在であり,伝統的な茶道教室の雰囲気からは遠く離れた環境だった。

茶道教室ではない場所で茶道歴の大半を過ごした筆者にとって,「茶道とは何か」という問いは,流派の教授者の元で茶道をしていた人々とは違う響きを持っていた。

同時に,筆者

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6.2. 結びに代えて

6.2. 結びに代えて

「自己流」が批判的な意味を持つ世界

インフォーマントは茶道教室以外のお茶の在り方を示し,人々に「こんなお茶があるのだ」と思わせてきた。
同時に,「これは(私の知っている)お茶ではない」という反応も引き起こしている。(4.4.1.1.参照)

ここでまず,「これはお茶ではない」という言葉が,なぜ皮肉を含み,批判的な意味を持つのかを考えたい。

「お茶とは何か」という問い

「お茶とは何か」という哲

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6.1. リサーチクエスチョンへの応答

6.1. リサーチクエスチョンへの応答

第1章(1.1.1.)で示したリサーチクエスチョンは,
「2010年代の若手社会人がなぜ『茶道団体』の活動を行うのか」
「彼らの活動は茶道(修練者)史にどう位置づけられうるか」
「彼らはどのように『伝統』や流派と共存しているのか」
の3つであった。

これらの問いに対し,ここまでのデータと分析から述べられる範囲の結論は,以下の通りである。

なぜ「茶道団体」の活動を行うのか

まず本稿のインフォー

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5.3. 小括:「働き方」と「自分の人生」

5.3. 小括:「働き方」と「自分の人生」

茶道界の「働き方改革」

これまで「茶道」を仕事にする最も一般的な方途は,茶道教室の教授者になることだった。
もちろん教授者以外にも,茶道具屋や,茶道体験ができる施設に勤める人々など,茶道そのものを本業にしている人々も少なからず存在する。

こうした人々に共通しているのは,社会に出る前から「茶道」を仕事にすると決めていた点だ。

本稿の主要なインフォーマントの場合は,新卒時に「茶道」と関係のない職

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5.2.4. 専業という選択:茶道の教授者以上の働き方をする場合

5.2.4. 専業という選択:茶道の教授者以上の働き方をする場合

茶道界での「新しい働き方」

従来では,「お茶」だけで生きる人々といえば,茶道の教授者や茶道具商,道具職人といった伝統的な職業に就く人々を意味していた。

茶道そのものに関わる職に従事している人々は,茶道教室に通っている割合もとりわけ高く,茶道教室を運営している(できる水準である)ことも多い。

しかし本稿では,「お茶」一本で生活している人々が,必ずしも茶道の教授者と一致するとは限らない。

それ

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