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あとがき:「お茶」の無意味さをめぐって

この論文を書いた人

本稿がどの視点から書かれたかについて,最低限の素性を述べたい。

筆者の茶道歴の始まりは,学部時代の同好会だ。
筆者が入会する前から教授者が不在であり,伝統的な茶道教室の雰囲気からは遠く離れた環境だった。

茶道教室ではない場所で茶道歴の大半を過ごした筆者にとって,「茶道とは何か」という問いは,流派の教授者の元で茶道をしていた人々とは違う響きを持っていた。


同時に,筆者が楽しがっていたのは,人々が「茶道」と呼んでいるものではなかったようにも思われた。

むしろ,楽しみつつも時折不合理を感じていたのは,「茶道」と呼ばれる世界ではなかったか。



だからなのか,「なぜ茶道をしているのか」という質問に答えられない。

答えられなかったからこそ,同じ現代人が茶道をする理由と,そこに見出している価値を知りたかった。


「お茶」が好きで研究を始めたのではない。
好きだと答えられなかったから,論文が生まれた。

ただその「答えづらさ」と向き合うために,学部時代からこの研究主題を選び,院を出た。


茶道の無意味さを生きる

フランシス・フクヤマは,人々が茶道の「無意味さ」によって人間であり続けていると主張した。

日本人は獣のように本能的に恋愛や享楽を追求する代わりに(最後の人間に成り下がる代わりに),一連の完全に無意味な様式的芸術──能楽,茶道,華道──を発明することによって人間であり続けることができた。〔1992: 320〕


それほどまでに「茶道」は,直接的には意味が見出されにくい。

その「茶道」を研究対象にした筆者の学士論文では,以下のように結論づけた。

日常生活という固着した価値観からはみ出た行為は,その一般的な生活における安定した価値観では理解できないことが多い。わざわざ手間をかけてお茶を飲む行為に対する『何をしているんだろう』という価値観をずらそうとすること,その意志の働きがあることの喜びを見出すところに茶道の意義がある。〔矢島 2015: 40-41〕


つまり茶道そのものに意義を期待するのではなく,意味や価値は人間の中で生み出すものだという立場を,筆者は取り続けてきた。


「意味づけ」の意味

一方で村上〔1993〕は,「無意味の意味」を主張した。
美術は意味を付与することによって延命を図ってきたが,ゆえに行き詰まったとして,美術を意味から解放し,再びその危うさゆえのパワーをもたらそうというのだ。

論文であれ,日常会話であれ,「なぜ茶道をしているのか」という問いに答えようと躍起になればなるほど,茶道には意味がないと証明しているようにも感じられる。


「お茶」に普遍的な価値があるという立場を取ってもいない本稿は,何を残し,誰に喜ばれるというのだろう


「意味」よりも確かなもの

ただし,自分のすることは,誰にとっても意味のないことかもしれないが,意味のなさにどうしようもなく突き動かされる自分を,誰も止めることはできない。

その事実は,〈私〉が「お茶」に固執した理由であり,〈私〉にとっての「お茶」の意味だった。


欲求や他者といったものも〈私〉を動かし得る。
しかしここで,「意味」とは「〈私〉が動きたいと思うより前に〈私〉を動かすもの」だと再定義したい。

そしてこの定義が正しければ,本人が「意味」を自覚しようとしまいと,「意味」の有無を巡る議論など置き去りにして,足と筆を動かし続けることはできるのだ。


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起こったことは,全て正しい

あるインフォーマントが「起こったことは消せない」と語ったように,「起こったこと」は「意味」の議論以上に雄弁で確実である。

そして第6章(6.1.2.)の中では,「この世界に実際に起こっている『お茶』を肯定すること」に触れた。


現実に起こった行動/現象は,起こらなかったもの──理論上もっともらしい意義や,形にならなかった理想──よりも,「それが起こったこと自体は正しい」のではないか。

了解不可能な誰かの思想も,好きだと言えなかったほうの「茶道」も,各々の合理性や正義の元で,それぞれ意味をもっている。


そこでは「批判」も「否定」も,役に立ちはしない


本稿のインフォーマントの発言を引用する度に,「(流派の)批判は目的ではない」と繰り返した理由は,ここにある。

「起こったことは全て正しい」というのが,本稿の真の帰結だ。

もう「肯定」しか,世界を変えられないのだ。


ある現象──流派とは別に「自分のお茶」をする,誰に頼まれずとも茶道修練者の論文を書く等々──が起こった時点で,それを解釈することは可能だ。

しかし,その事実を否定することも,存在しなかったことにもできない。


その圧倒性を前に,「意味づけ」に躍起になる必要性から,解放された気分である。


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