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人生の「小ささ」について

今の生活の小ささを,私はずっと認めたくなかった。

誰かと比較されたり,嫌なことを言われたりするたび,そういう扱いをされるのは自分がちっぽけだからだと思っている。大して言い返せない自分の小ささに耐えられない。

そうやって自分が小さいと感じる理由を,いつも誰かのせいにしてきた。

私は向上心を振りかざして,大きく大きくなろうとしている。
一緒にいる誰かが私を「大きく」見せてくれたらそりゃ助かる。
「大きい」かどうかも他人に依拠しているようだ。


散々小ささを責めて気づいてきたのだが,買ってきてもらった焼きたてのパンが泣いてる間に冷めていたような,瞬きしたら冷めてしまう類いの,小さな温かさでできているのも同じ世界だ。

そういった「小ささ」も「温かさ」も相対的でしかなく,必ず他人との間に生まれる感覚。
世界に自分一人だったら,小さいかどうかなんて気にしないからだ。

それならば「大きく」見せてくれるかどうかなんてどっちでもいいから,自分の小ささを気にしないでいられる人といたい
むしろ「小さい」という言葉がポジティブな意味であるような人といたいのだと思う。

「小ささ」を否定する必要もないような。

そんな私の小さいTwitterアカウント。何をどう解釈してもいいのは,存在が小さいからゆえ。

記事のタイトルはセネカからとっています。この↓バージョンは本文が見開きの片方にだけ載っていて,すぐ読めておすすめ。


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