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言葉の深呼吸

この2ヶ月、毎朝座禅をしているお話をしておりますが、座禅というのは「体を調え、呼吸を調え、心を調え」ます。

心を調える準備として深呼吸をして、座禅の最中は普段よりゆっくりの呼吸を行いながら、意識をその呼吸に向けて心を調えます。

誰でもしたことのある「深呼吸」や「呼吸」。毎日、しかも意識的にし続けていたらあることに気づきました。

「吐くときは無意識に全部吐ききることができるのですが、吸うときは意識しないと全部吸いきれない。」

「吐くときは多少体勢が崩れていてもすんなり吐けるが、吸うときはちゃんと体勢を調えないと吸いづらい。」

やはり人間も生き物ですので、何かを体の中に取り込むということは危険が伴うわけです。そのせいかどうか体の機能上の詳しい話は知りませんが「吸う」という行為は自らに積極的に働きかけないと通常生きるために最低限の機能以上の能力を発揮させることができないんじゃないかなって感じたんです。

そんなことを考えていたら、これって呼吸だけじゃなくて、言動についても同じことが言えるんじゃないかなって思ったんです。

他人の言葉を受け止めると人は何かを感じます。全ての言葉が自分に温かく心地よいものなら問題はありませんが、時には傷ついたり心地が悪くなるものもあります。

自分を守るためでしょうか…無意識だとサッと吸い込み一気に吐き出す…これを言葉に置き換えると「感情的」な言動になりがちになります。

言葉のキャッチボールも呼吸を調えるが如く…意識的にとにかくゆっくり、でも目一杯相手の言葉を吸い込んでみる。でもそのときは疲れたり負担にならないように自分のペースで吸い込む。今度はゆっくりと自分の言葉を吐き出す。

これは会話に限らず、相手に何かを説明するときも一緒…相手の表情や態度などの雰囲気をゆっくり、いっぱい感じ取ってから、今度はゆっくりと自分の話したいことを話す…これが「余裕」や「和やかさ」を生み出してくれるような気がします。

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