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簡単な「夢」、身近な「夢」、普段着な「夢」を持つ

「最近の若い人は夢がない」

なんて言葉を近頃よく耳にしますが、本当にそうなのでしょうか?はたまた、夢がないといけないのでしょうか?

「あなたの夢はなんですか?」…こう聞かれた場合、あなたならどのように答えますか?

なんとなく「夢」というと人生をかけるような壮大なものでないといけないような気がしてしまいます。

でも私は「夢」とは「今現在の自分が持ち合わせていない経験や知識を得るために一歩踏み込んでやってみたいなと思っていること」程度の緩いものでいいと思っています。

「夢」を実現させるためには「目標」と「目的」を決めます。字のごとく、「目標」とは「目に見える標(しるべ)」、「目的」は「目に見える的(まと)」。

「目的」は「夢」の最終ゴール、矢で撃ち抜く的になります。

「目標」は「的」を撃ち抜くためにどのように矢を飛ばしたらいいか、どの軌道で矢を撃ち放てば「的」のど真ん中にたどり着くかの狙い処。

これって不思議なもので「夢」を何にするかによって「目標」になる場合もあれば「目的」になる場合もあります。

例えば、既に運動が習慣化している方が「60才になっても今と同じような体力を維持していたい」という「夢」を掲げたとします。その「夢」=「目的」を達成するための取り組み(「目標」)を「マラソンで3時間を切る」

ここ1年ぐらい走ることの魅力に取り憑かれた人。「もっと早く走れるようになりたい。」…アマチュアランナー憧れの「サブスリー」(3時間切り)を「目的」にします。それではサブスリーになるためにどうするかの「目標」は「毎日1時間ジョギングをする」。

同じ「マラソンで3時間を切る」という取り組みも、前者の場合は「夢」を実現するためのプロセスの1つ、後者の場合は「夢」そのものになるわけです。

「夢」というものはでっかい方がいいなどということはなく、「自己満足」の世界ですからどっちでもいいわけです。

人によっては「『夢』というのは実現不可能ではなく、頑張れば到達できるくらいがちょうどいい。」といいますが、私は「がむしゃらに頑張らなくて到達できてもいい」と思っています。

先程もお話ししたように、「『夢』とは、今現在の自分が持ち合わせていない経験や知識を得るために一歩踏み込んでやってみたいなと思っていること」。

極端な話をしますと…今日、ある本の5ページ目を読んだ。「よしっ、明日は6ページ目を読もう」というのも立派な「夢」だと思います。これは年に500冊も本を読んでいる人にとっては日常かもしれませんが、全く本を読む習慣がなくなった人が本を読む習慣を作りたいと思って1日1ページ読もうことを「目的」にするのなら結構壮大な「夢」ですよね。

「夢」というのはそこにたどり着いた時に次の「夢」の足掛かりにしてステップアップすることをできますし、その「夢」の状態をキープすることもできます。

それはプラスの面だけでなく「この『夢』を達成したけどこれは自分には向かない」と知ることも足掛かりです。

私は仕事上で常に心がけていること、ある意味仕事上の「夢」を「お客様をワクワクさせること」と思って何十年も仕事に臨んでいます。この「夢」はステップアップさせるというよりこの気持ちをキープしています。しかし、こちら側も立場や肩書き、要求されるサービスのレベルが変わってきますので、20代の時の「お客様をワクワクさせること」と50才手前の今の私の「お客様をワクワクさせること」とでは内容、質などは全く違ってますし、その間に色んな経験や勉強をしてきました。

人によっては「お客様をワクワクさせること」の次に「お客様をもっとワクワクさせてあげるには権限や人脈をもっと持たなければいけない」と、次へのステップアップの目標として「わが社の社長になる」を掲げる人もいるかもしれません。

ただ私はいまだに「お客様一人一人にその方の意向にマッチしたサービスを直接提供したい」という気持ちが強いので、経営者や管理者としてではなく現場の人間としてお客様に接したいなと思っているので、「夢」は今でも「お客様をワクワクさせること」なのです。(このことを「出世ができない言い訳」、「仕事ができないことの正当化」という方もおられるかと思います。でも、今は仕事での立場が上がること、給与が上がることを人生における第一の価値だと考えない人もいることをいます。また「わが社の社長になる」という考えを否定するものではなく、むしろ逆に素晴らしいと思っています。)

最後にもう一度…「夢」とは「今現在の自分が持ち合わせていない経験や知識を得るために一歩踏み込んでやってみたいなと思っていること」。

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