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デュエマが極神編で起こした変革 その1

デュエマは極神編までとそれより後とでゲーム性が大きく変わった。
これは新規カードと殿堂入りによる部分が大きいのだが、そもそも何故そうしなければならなかったのか?それまでの何がまずかったのか?
その意図を紐解いていきたい。

不死鳥編でのユーザー離れ

2006年3月(転生編4弾発売ごろ)に合併したタカラトミーがそれまでのデュエルマスターズのゲームバランスの不安定さを問題視し、不死鳥編で健全化を図ろうとしたというのは割と有名な話。
同時期に《ボルバルザーク》・《裁》、不死鳥編で《サファイア》・LO呪文と、環境の癌とされていたカード群を規制していき、環境内に明らかに飛び抜けて強いデッキはいなくなったが、転生編まで高水準を維持していた売上は文字通り半減。プレイヤー人口も大きく減少した。

※ソースはタカラ及びタカラトミーの決算資料。

「不死鳥編はデフレだったから受けが悪かった」「新弾の環境への影響が小さくてトーナメントプレイヤーへの需要がなかった」という点が要因に挙げられることが多いが、これは間違いではないものの一面に過ぎない。
あるいは無制限時から懸念されていた、子供に人気のある《ボルバル》禁止化によりプレイヤーが離れたことが原因なのかと言われると、これもまた一面でしかない。

突出したフィニッシャーを禁止化した結果、ゲーム体験が面白いものにならなかったことが大きな問題ではないだろうか。

面白くならなかった要因1. デッキ基盤の長期固定化

これは以前の記事で触れたが、聖拳編後半からのデュエマの環境上位デッキは【速攻】と一部の種族デッキを除くとほとんどが《大地》基盤か【除去】基盤に分類される。
更に言えばこの2つの基盤も、デッキタイプごとで差異はあるが使われるカードはある程度固定されている。例として、不死鳥編末期のトップメタである緑抜き【除去コン】の固定枠はこんな感じだ。

もっと言えばここまで固定してしまって構わないか。

《ロー》と《テルス》やら《ジェニー》《パクリオ》やら役割の被るカードの枚数配分が微妙に違ったりするが、大枠はこれに近い形だと思われる。
残った枠に《ボルメテ》系や《バザガジール》・ブロッカーを積めば【ボルコン】になるし、《ダフトヘッド》《ペトフレ》《マリエル》なら【ダフトコン】に、《ガッツンダー》《バジュラズ》《ペトローバ》で【アマコン】になる、という感じ。
基盤のパターンが限られるうえに、その中でもテンプレ部分が多く自由枠は少ない。そして、自由枠とされるものも実用的なカードは一握りで実質的には選択枠である。

これによる弊害はふたつある。
一つは、新規参入を阻害する点。強いデッキを組むのにこれほど固定枠が多いと、知っている・知らないことによる差がこの上なく大きなハンデになる。今ほどネット文化は普及していないし、《母なる大地》というカードの強さも【除去】基盤の安定性もすぐには理解しづらいため、より差が開いていく。
仮にそれを乗り越えても、基盤に長期間大きな変化がないことから何年も前に発売された(当時としては)高価なカードを多数集める必要があり、新規プレイヤーが勝てるようになるまでのハードルが高いものになっていた。
この当時の環境を「やればやるだけ勝てるようになる良環境」と高く評価する競技プレイヤーもいたが、そういったゲーム性はボリュームゾーンの子供には評価されにくい。

もう一つの弊害は、どのデッキと対戦しても同じようなゲーム体験しか得られない点。《大地》ならブーストとドローで高コスト帯に繋げ、【除去】なら軽量ハンデスと優秀な除去でイニシアチブを握る。という工程を踏むため、試合展開がパターン化されやすい。この二大基盤は聖拳編から3年間続き、尚更同じ流れがプレイヤーにインプットされてしまっている。
そして、一部の突出したフィニッシャーを規制すれば、当然勝敗やフィニッシュ方法は変わるが、そこに至るまでの流れやデッキ構造は大して変わらず、ただフィニッシャーの出力が落ちただけ。となりかねない。

極神編後半まで継続される《大地》か【除去】か【速攻】かというメタゲームは、さながら《アクアン》殿堂入り以降の【ボルバル】vs【除去コン】vs【速攻】の代理戦争のようだった。

面白くならなかった要因2. 主流フィニッシャーの性質

不死鳥編頃の遅いデッキの主流フィニッシャーを挙げてみよう。

《サファイア》とLO呪文、両者が消えてからは《ボル赤》《デル・フィン》《バジュラズ》あたり。これらに共通するのは「相手の可能性を潰す」ことで安全にフィニッシュするためのカードという点だ。当然万人受けはしない。

こうした勝ち筋が好まれた最たる要因は、軽量呪文の強さと重量級クリーチャーの強さが釣り合っていないことにある。
【ボルバル】系デッキが《ツインキャノン》を有力な《大地》の踏み倒し先として使っていたことや【茄子ゲート】が《サファイア》プレ殿で地雷デッキに陥落したことからなんとなく想像が付くかもしれないが、昔のデュエマはクリーチャーの質が今より格段に低く、特に高コストはそれが顕著だった。場に出てすぐにアドバンテージを取れるようなものは少ないし、決定力も貧弱だ(からこそ、《ボルバル》や《サファイア》はやばかった)。
それに比べて低コスト呪文のコスパは抜群で、なかんずく《大地》と《盾》の性能には目を見張るものがある。
この結果何が起きるかと言うと、遅いデッキ同士の対戦では互いにゲームを終わらせにくくなる。ファッティの多くはコストに働きが見合わず敬遠され、軽量クリーチャーを並べても中途半端に盾を割ると高品質な呪文であっという間にアドバンテージに変換されてしまうためだ。このアンバランスな力関係がゲーム展開の膠着、閉塞感を生んでいた。

それでは、コントロールデッキは優位に立った後どうやって勝てばいいのだろうか?
一番手っ取り早いのは、LO呪文を使い回して相手の有効札を全部抜いてしまうこと。手札を与えないし、盾だけでなく山からも可能性を摘み取っていく。
次に簡単なのは《サファイア》や《ボルメテ》で盾を焼いていくこと。《デル・フィン》や《呪紋》を《グロリアス》などと合わせて封殺するのも安全である。
もしくは《バジュラズ》や《バジュラ》でランデスを絡めながら盾を割っていき、返しで使えるマナを縛るのもよい。

一見するとこういった逆転を防ぐエンドカードは悪影響しか生まない危険な要素で、すべて規制してしまえば楽しいゲームになるように思える。それでは今度はこの類のカードが禁止化された場合にどうやって安全に勝つかを考えてみよう。
物量に決定的な差を付けて殴り切る、可能ならこれに越したことはない。
だがそれが難しいとき、質の低いクリーチャーで極力トリガーをケアしつつ盾を割っていくか、LOによる決着を待つしかない。

そう、とどのつまり子供受けは悪いし初心者には難しすぎるのだ。有利な状況から安定した勝利を手にするためには、地味で面白みのない時間のかかる作業が必要になっていた。それを代替していたものが無くなったからといって、閉塞感から逃れられるわけではなく、万人受けするゲームになるわけでもない。

面白くならなかった要因3. ビートダウンの衰退

06年3月の《ボルバルザーク》プレミアム殿堂から、各デッキは以前より受けトリガーを厚めに積むようになった。
これは《大地》基盤デッキから速攻対面におけるマナ加速→《ボルバル》の回答が失われ【速攻】が勢力を増したためだったが(【赤単】に速度の劣る【パシフィック青単】が増え始めたのもこの時期)、その結果【コントロール】を使って相手の盾の影響を最小限にするか、割り切って【速攻】で特攻するかの二極化が強まっていく。《ボルバル》の規制が進むにつれて、中間層の【ビートダウン】の立場は失われつつあった。
王道と言われた【青赤緑ビートダウン】は構築を後ろに寄せたり《ゲート》を搭載したりして《サファイア》を構える、あるいはそれに加えてランデスで縛ることを選ぶようになる。環境が《サファイア》に強い【除去】系だらけになるのも必然だ。

既存カードの規制を行えば大抵パワーバランスは均一に近付いていくが、それが面白いゲームに繋がるかは別問題である。カードプールから尖ったカードが減るにつれ、クリーチャー個々の性能の低さが表面化しはじめ、特にライトユーザーは要因1.と2.も相まって【速攻】以外での勝ち方を覚えることが難しくなっていった。
05年までの公式大会は、オープンクラスとレギュラークラスとで似たようなメタゲームが展開されていた。もちろん構築やプレイの練度に違いはあるにせよ、03年は【リーフ】を、04年は【アクアン】を、05年は【ボルバル】を、両クラスとも上位入賞者の大多数が使っていた。大きく異なるのは、RGには扱える人数の関係で【除去コン】がほぼいない点だった。
ところが06(殿堂環境)〜07年は様子が違ってくる。OPは【除去サファイア】【除去コン】【除去ガーディアン】といった【除去】系とそれに強い【ランデス】系が環境の中心になった一方、RG以下は【速攻】がトップメタで【ドデビル】が連なるという全く別の物になったのだ。
この年齢層による傾向の違い、言い換えれば隔たりは、好意的に捉えれば世代ごとの多様性だ。しかしその実情は、子供がメインターゲットのはずのデュエマにおいて、子供と大人の間に横たわる“格差“がくっきりと現れた結果だった。

某炎上店長は【ミッツァイル】期に「ボルバルの禁止運動をしていた時はボルバルがないと勝てなくなるからと反対する人も多かった。でも、今はプレイヤーが成長したからミッツァイルへのそういった意見は少数派」と発言した。しかし、現代は《ミッツァイル》やGR関係が規制されても他の強くて楽しいカードを選択できるだけのカードプールがあるが、《ボルバル》の頃はそうではなかった。
この発言は暗に規制に反対するプレイヤーは精神年齢の低いキッズだと主張しているだけであり、彼の「相反する考えの人間を公然と人格攻撃したがる」という昔からやめられない悪癖から来る言葉を真面目に捉えても仕方ないのだが、あえてその言葉を借りるならば、実際に成長したのはプレイヤーの精神性ではなくTCG側だったのだ。常に特定の強力なクリーチャーに支配されがちだったデュエマだが、当時はまだそれらを規制していくだけで面白いゲームに転換できるほど成熟してはいなかった。
《ボルバル》禁止時、これで暗黒の時代が終わり楽しいデュエマになると大喜びしていたのも同氏だったが、実際にはそれは暗黒時代の始まりだった。

不死鳥編の施策と限界

酷評されやすい不死鳥編だが、新たな試みが非常に多く見られたチャレンジ精神旺盛なシリーズでもある。ちびっこの大会参加を促すために小学校低学年対象のジュニアクラスを増設したり、アニメの主人公を交代したり、要望のあったDR入賞プロモ周りの改善が行われたり、公式サイトでハーフデッキの改造例を紹介したり、ローソンとコラボしてみたり。

そんな数多の試みの中には、上で挙げた要因を改善しようという努力の跡もあり、特に1.基盤の画一化問題の解決に関しては意欲的な姿勢が見られた。ブロック限定構築戦の新設、新規種族や【連ドラ】強化といった種族デッキ推し、《デル・フィン》に《ゴーゴン》に《マーキュリー》に《チューザ》と露骨な呪文メタ増加、構築済みデッキのクオリティの劇的な強化などがそうだ。
しかし、フィニッシャーの禁止化と新規カードのパワー見直しでバランスを整えられるものには限りがあった。デュエマにはもっと、抜本的な変革が求められていた。



続きはまた筆が乗ったら書きます

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