名前に『スキ』を押している

英語圏と比較すると、
日本では、「知っている人」と「知らない人」への SNS 上の評価に著しい差がある
という、ささやかな実験結果がある。

つまり、私たちは、「知っている人」や「形成された関係」に、過剰に甘いということだ。

(私自身がサンプルなので、確信している。)

この経験は、
『私たちは、知らない人の記事に目を留めない』
ということ
だけでなく、
『私たちは、知っている人の記事は、読まずに、名前に評価ボタンを押している』
ということ
も教えてくれた。

なぜなら、私は記事内に、明らかに歪んだ、嘘の情報を挟んでおいたからだ。

英語の SNS では、どちらの記事に対しても、誤謬を指摘するコメントが入った。

日本語の場合は、フォロワーの少ない記事にのみ、誤りを指摘するコメントが入った。
驚くことに、より多くの目にさらされるはずの記事には、ボタンだけが多く押されたのだ。

日本をとりまく、いくつかの悲しい事実。

・私たちは、評価できるものを評価しない。評価されているものを評価している。
「知っている」人のものを、私たちはより甘く読む、あるいは、『読んでいない』。

過剰な社交を離れたドライな SNS にまで、私たちは社交を持ち込もうとする。

日本語ユーザ同士のクールな意見交換は、いったいどこの宇宙で行われているのだろうか?