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貸金庫への忘れ物

*この話はフィクションです。

「懐かしいな……」
ロビーに入ると、見慣れた制服の女性たちがカウンターの中で忙しそうに働いていた。
「あの、今日からこちらでお世話になります、山村と申しますが……」
一番手前のカウンターに座っていた若い女の子に、声をかけてみた。
「あ、えっと……」
「あのパートのスタッフで」
「あ、そうなんですね。少々お待ちください」
女の子は、高い声で、そう私に言った後、後ろを振り返り
「課長! 今日から来るスタッフさんがお見えです」
と大きな地声で言った。
「お、来たか」
課長と呼ばれたその男性は、どう見ても、私よりも年下に見えた。
そうだよな。20年ぶりだもんな……。

私が、銀行のこの支店で働いていたのは、短大を卒業して入行してからの5年間だった。
ちょうど、あの女の子の席で、窓口の仕事もしていたな、と懐かしく思った。

「山村さんですね。課長の石田です。こちらからどうぞ」
暗証番号でロックされているドアを開けながら、課長は笑顔で、私を招き入れてくれた。
C……2……7……3!
無意識に、課長の手元を確認し、暗証番号が、20年間変わっていないことに驚きながらも、私は、カウンターの奥へと導かれていった。
「こんにちは」
「よろしくお願いします」
そう言って笑顔で挨拶してくれる人もいれば、全く、無視する人がいるのも、昔のままだった。
「一応、支店長に挨拶してもらっていいですかね?」
「はい。よろしくお願いします」
「えっと、山村さんは、以前、こちらの支店にいらしたんですか?」
「はい。大昔ですが」
「おお、じゃあ大先輩ですね」
「いえいえ」
薄暗い階段を登りながら、課長が話しかけてくれて、少しだけ緊張がほぐれた。

「支店長、今日から来てくださる山村さんです」
支店長と呼ばれた男性も、若かった。
「あ、どうも、どうも」
笑顔で言われて、支店長ってこんな感じだったかな? と戸惑った。
もっと、貫禄があった気がするけれど……。

建物や空気感は、変わらないけれど、確実に、実際にその中で働いている人たちと、自分の視点が変化しているんだなと感じた。

その後、総務の女性に案内されて、ロッカーへ行き、制服に着替えた。
制服は変わっていなかったけれど、鏡に映ったその姿は、写真の中のあの時の私と違っていた。反射的に、鏡から一歩下がった。
パートのおばさんだものな……。
「着替え終わりましたか?」
総務の女性にドア越しに聞かれて、急いで廊下に出た。

私の所属は、内国為替だった。
主な仕事は、預金の振込や税金の収納の仕事だった。
「それから、山村さんには、貸金庫も担当してもらいますね。前も、担当されていましたか?」
「はい。システムは何か変わっていますか?」
私がいた時は、手動だったので、利用者と一緒に貸金庫に入り、少し離れたところで立ち合っていた。
「えっと、お客さんがカードを使ってご自分で入るシステムですが、前は違ったのですか?」
そう言われると、悪気はないのだろうが、月日が経ったのを感じる。おばさんになったわけだ。
「はい。前は違いますね。色々教えてください」
わざと笑顔を作って、気持ちをごまかした。
「窓口も、人がいない時はやってもらうかもしれません。この機械は変わってないですか?」
「すみません。こちらも違うようです」
前にここで働いていたというアドバンテージが、どんどん下がっていくように感じ、なんだか寂しくなった。
「じゃ、ちえちゃん、山村さんに教えてください」
最初に、私が声をかけたあの若い女性が、私に機械の使い方を教える担当に指名された。
「えー私ですか?」
面倒臭い仕事を頼まれたと思っているんだ。
そう思うと、顔が熱くなった。
「よろしくお願いします」
「はーい」
少しふて腐れながら、ちえちゃんは、返事した。
新しい機械は、それほど難しくはなかった。基本的に、20年前のそれと変わらずに、ホッとした。
「山村さん、おばさんなのに、飲み込みいいですね」
褒められているのか、けなされてるのかわからなかったけれど、ちえちゃんが笑顔だったので、まあいいかと思った。
取引先も、もちろん新しく加わったけれど、見知った名前も多かった。
そして、急に、あるお客さんのことを思い出したので、店頭にお客さんがいない時間を見計らって、ちえちゃんに聞いてみた。
「毎朝、開店と同時に貸金庫に来る男性って、まだ来てますか?」
「毎朝来て、貸金庫に入れずに連れ戻されるおじいちゃんならいますが」
「え?」
「福田さんよね。本当に困っちゃう」
郵便の仕分けをしながら、入社10年目の小林さんが、そう言った。
福田さん……。
貸金庫に毎日来ていたのは、そうだ! 福田さんだった気がする。
「貸金庫に入れないんですか?」
「貸金庫に入ろうとするんだけど、カードは持ってないんですよ。だから、毎朝、『こちらは、カードがないと入れないのですよ』と言って、ロビーでご家族が迎えに来られるのを待っていただくんです」
小林さんは、本当に困った顔をしてそう言った。
「ご家族も大変だろうから、銀行に来ないように言ってもらえないかとお願いしたんだけど、一回、ここへ来ないと家で暴れちゃうですって。まあ、帰るときも、大人しくは帰らないんですけどね」
ちえちゃんも、呆れたように説明してくれた。
「そうなんですね……。福田さんは、そのお……なんていうか、認知症なんですか?」
「よくわからないけれど、そうかもね」
「はい。完全にボケてます」
もしかしたら、あのいつも笑顔で、貸金庫に来ていた福田さんが、そのおじいさんかもしれない。
こんなにも、厄介者扱いされていてちょっと悲しかったけれど、もう一度会ってみたい気もした。
でも、私は、10時から働くので、普通に出社すると、開店と同時に来るという福田さんには会えない。
ちょっと残念に思いながらも、少しずつ日常の業務に慣れていった。
チャンスは急にやって来た。
「山村さん、悪いんだけど、来週一週間、9時に来られる?」
銀行で働き始めて2ヶ月経った頃、課長に呼ばれてそう言われた。
「はい。一週間くらいなら、どうにか、調整できます。ところで、どうしてですか?」
「うん。鈴木さんが、来週一週間お休みなの、すっかり忘れててね。すみません」
課長が、ちえちゃんを見ながら、申し訳なさそうに言った。
ちえちゃんが、課長に言い忘れたのか、課長の管理もれだったのかわからないけれど、まあいいやと思った。
20年前の私だったら、ものすごく腹を立てていたはずだけれど、今は、パートの身だから、それほど怒りの感情は湧いて来なかった。
おそらく、他の行員には、人手不足だと怒られたのだろう。
課長は、本当にありがとうと何度も言ってホッとした顔を見せた。
あ、だったら、福田さんにお会いできるかもしれない!
私は、ちょっと嬉しかった。

翌朝、いつもより1時間早く家を出た。
やはり、10時スタートの勤務時間は恵まれているんだなと改めて感じるほど、8時台の電車は混んでいた。
これは、一週間が限界だと感じた。

開店前の店内は、いつもよりも静かだった。
ああ、こんな感じだったな。
「山村さん、今日は朝早くからありがとうございます」
小林さんが、申し訳なさそうに、言ってくれた。
「大丈夫です。福田さんにもお目にかかれそうだし」
「ああ。福田さんですね。あ、もし、よかったら、ロビーに出て『こちらは、カードがないと入れないのですよ』と伝えてもらってもいいですか?」
「え? 私が?」
遠くで見ているだけだと思っていたのに、まさかの声かけを頼まれるとは!
びっくりしたけれど、せっかくだから、引き受けようと思った。
気軽に開店時間を待つつもりが、妙にドキドキしてきた。

9:00になった。
シャッターがガラガラと音を立てながら、上部の天井に吸い込まれていく。
床とシャッターの間に作られた隙間から、男性の足元が見えてきた。
上がりきる前から、シャッターをくぐるように入って来た男性の顔に見覚えはあった。
福田さんだ!
だけど、やはり20年の流れた歳月を感じさせるように、顔にそれ相応のシワが刻まれていた。
どことなく足元もおぼつかない。
しかし、一目散に貸金庫の前に向かっていく姿は、20年前のそれと変わらずに感じた。
半ば見惚れるように、福田さんの姿に釘付けになっていた私に
「山村さん!」
促すように、小林さんが声をかけてくれた。
「あ、すみません」
慌てて、私は、ロビーに出て、貸金庫に向かった。
そして、すでに貸金庫の入り口に到着して、ドアを叩こうとしていた福田さんに声をかけた。
「福田さん! おはようございます!」
福田さんは、聞き慣れない声にびっくりしたのか、小さく肩を上げた。
「脅かせてしまって、申し訳ありません。福田さん、お久し振りです。私……」
20年ぶりにパートで働かせてもらっている山村です、そう続けようとしていたのに、
「ああ、山村さんか」
福田さんは、確かにそう言ったのだ。
「え! 福田さん、私の名前、覚えていてくださったんですか?」
なんだ! みんなが言うように、福田さんはちっともボケていないじゃないか!
私は、驚きながらも、嬉しくなった。
だけど、次の瞬間、がっかりした。
「山村さん、貸金庫、開けてよ。みんな、カードがどうとか言って、いつも中に入れてくれないんだ」
「はあ」
もう5年前にシステムが変わったというのに、それを理解することはできていないのだから、やはり、認知症であるのは確かなようだ。
あ、そうだ。あの言葉を言わなくては……。でも、なんて言えば、穏やかに済むだろうか。
「あの、福田さん、こちらは、やはり、他の者が申し上げている通り、カードがないと入れないんですよ」
「あんたもそんなこと言うのかね」
福田さんが、がっかりしたようにそう言った。
「はい。申し訳ありません。確かに、私が、昔、働いていた頃は、お客様と一緒に、私共行員が一緒に中に入って、立ち会っていたのですが、5年前から、システムが変わったようなのです」
「5年も前から? 知らなかった。だけど、とにかく、中に入りたいんだよ、私は」
話をしているだけでは、まともに感じるほど、福田さんはしっかりして見えた。
だけど、もう、福田さんの会社は代替わりをしていて、貸金庫の開け閉めは、娘さんが管理しているようだった。だから、勝手に中に入れるわけにはいかない。
「そうなんですね。きっと大事なものが入っているんですね」
なんて言っていいかわからず、私が苦し紛れにそうつぶやくと
「そうなんだよ! 本当に大事なものが入っているんだ!」
福田さんが、興奮気味に大きな声で言った。
まずい! 開けてあげることもできないくせに、立ち入ったことを聞いてしまったと後悔した。だけど、何が入っているか、知りたくもなって、じっと福田さんを見ていたら
「山村さん、あんたには教えてあげるよ。実はね……」
そう言って、福田さんは、内緒話をするように、私の耳に、自分の顔の前に持ってきた両手を近づけてきた。
福田さんから聞いた、大切なものは、意外なものだった。
それだけ? という気もするし、大切だとも思う。だけど、それを貸金庫にわざわざしまう必要はない気もした。
だけど、ひとつ言えることは、それが本当に貸金庫に入っているのかどうかを、福田さんの手で、確かめさせてあげたいということだった。
「福田さん、大切なことを教えてくださりありがとうございます。お気持ちはわかりましたが、お力になれず申し訳ありません」
今は、そう言うしかなくて、福田さんと一緒にうなだれていると、福田さんの娘さんと思われる方が、ロビーに現れた。
「さあ、お父さん、帰りましょう」
娘さんは、無表情にそう言うと、福田さんの腕をぐいと引いて連れて行こうとした。
「嫌だよ」
福田さんは、地団駄を踏んだ。
「お父さん、お母さんが待ってるわよ」
「母ちゃんが?」
福田さんの表情が一瞬で穏やかになり
「わかった、帰ろう」
そう言った。
「山村さん、ありがとう」
そう言い残して、福田さんは、出口に向かって歩き出した。
娘さんは、不思議そうに、私を見ると、小さく会釈をして、福田さんの後を追って出て行った。
どういうことだろう? お母さんって……。
私の頭は混乱した。
確かに言ったのだ。
福田さんは、貸金庫に、「死んだ母ちゃんの写真」が入っているって。死んだって……。
呆然としながら、ロビーから営業室に入ると、小林さんが、お疲れさまと言ってくれた。
私は確かめずには、いられなかった。
「小林さん、福田さんの奥さんは、もう亡くなっているんですよね?」
「はい。確か、1年前に」
「福田さんが、ロビーに来るようになったのは?」
「ああ、そう言えば、1年前かも」
「そうなんですね」
私は少し考えて、一度、福田さんに貸金庫を開けさせてあげたら、問題が解決するような気がした。
「福田さんの娘さんって、また、窓口に来られますか?」
「はい。確か、午後に、また入金に来られますよ」
「小林さん、相談なんですが、娘さんに、一度、一緒に、福田さんと貸金庫に入ることをお願いしてもいいでしょうか?」
「どういうことでしょうか?」
秘密を明かしてしまうことは、福田さんには申し訳ないけれど、きっと福田さんにとっても、いい解決方法につながるはず! そう思って、私は、小林さんと課長に相談して、福田さんの娘さんに交渉することになった。
福田さんの娘さんは、私の話に、一瞬驚いて、そして、静かに笑った。
「父がそんなことを言っていたんですね。私、父の話最近はまともに聞いていなくて。母が待ってると言うと、とりあえず帰ってくれるので、決まり文句のように、つい嘘をついてしまってました」
目にうっすらと、涙を浮かべているようにも見えた。

次の日、シャッターが上がると床とシャッターの間に作られた隙間から見えたのは、男性と女性の足元だった。
娘さんと一緒に貸金庫に入ることができた福田さんが、しばらくして、出て来ると、まっすぐ私の座る窓口までやって来た。
「山村さん、ありがとう。これなんだよ。私が、ずっと探していたのは」
そう言って、見せてくれたのは、1枚の写真だった。
写真館で撮ったと思われる白黒の随分昔の女性の写真。
「綺麗だろ?」
「はい。本当に! 奥様ですか?」
「ああ」
福田さんは、少し恥ずかしそうに笑った。
「実は、母ちゃんは、死んでしまったんだよ」
「この写真がないと、アルバムが完成しないんだ」
「アルバム?」
「私の大切なアルバムさ。今度、山村さんにも見せに来るよ。じゃあ」
そう笑って、出口に向かって歩いて行って、その後ろを、娘さんが、また軽く会釈をしながら追って行った。
「福田さん、嬉しそうでしたね」
小林さんに、そう言われて、私は頷いた。
その時、私は、いいことをしたつもりだった。

翌日から、福田さんは、銀行のロビーに現れなかった。
おそらく、銀行の仲間も、福田さんの娘さんも、ホッとしていると思ったし、福田さん自身も、喜んで、アルバム作りをしているんだと思っていた。

それから、数ヶ月が経って、福田さんとのやりとりを忘れた頃、今度は、小林さんが一週間休むことになり、私は、また一週間、9時の開店から働くことになった。

9:00になった。
シャッターがガラガラと音を立てながら、上部の天井に吸い込まれていく。
床とシャッターの間に作られた隙間から、女性の足元が見えてきた。
上がりきる前から、シャッターをくぐるように入って来た女性の顔に見覚えはあった。
福田さんの娘さんだった。
手には、紙袋を持っていた。
つかつかと、私の座る窓口の方に進んで来ると、深々とお辞儀をした。
「福田さん、おはようございます。お久しぶりです。どうされましたか?」
「山村さん。先日は、本当にありがとうございました」
そう言った、福田さんの娘さんの頰に大粒の涙が流れ落ちた。
嫌な予感がした。
私は、慌ててロビーに出ると、福田さんの娘さんに近づいて行った。
福田さんの娘さんをロビーのソファに座るように促して、私も、一緒に座った。
一呼吸置いて、娘さんが、袋から出したものは、アルバムだった。
「父が、一生懸命作ったアルバムです。見てくださいますか?」
「はい」
その1ページ目には、前に見せてもらった、若かりし時の奥様の写真が、貼ってあって、次々と家族の写真が、貼ってあった。
途中には、あの貸金庫に毎日のように出入りしていた働き盛りの頃の見慣れた福田さんの姿もあり、小さい時の娘さんの写真もあった。
そして、最後の方には、白髪の綺麗なおばあさんの写真も貼ってあった。
「これは、お母様ですね?」
「はい」
娘さんが小さく頷いた。
人の家族のアルバムだというのに、なぜか見ていたら、涙が流れてきた。
「ありがとうございます。福田さんは……」
私は、嫌な予感がしたまま、そう聞いたものの、その後、なんて続けていいのかわからなかった。
「父は、一週間前に、旅立ちました。母のところに」
「え?」
なんで? 何があったんだろう? そう疑問を持ちながらも、それを聞いてもいいのかどうかわからなかった。
「今日は、そのご報告と、改めてお礼に参りました」
娘さんが改めてそう言って、また深々と頭を下げた。
「父は、貸金庫から写真を持ち出した日から、意識がはっきりしたような気がします。毎日、アルバム作りに励んでいました。アルバムを作ると言っても、ただ貼るばかりでしたが、一枚一枚、丁寧に貼っては、笑顔でそれを眺めていました。本当に幸せそうに笑っていたんです。アルバムができたよ。これは、山村さんにも見せなくちゃって言っていたんですが、それから、風邪をこじらせて入院することになりまして。運悪く、肺炎を患い、あっという間に、逝ってしまいました」
そう一気に話すと、娘さんは、声をあげて泣き始めた。
私は、貸金庫に入れてあげたことが良かったのか、どうなのか、わからなくなって、ただ、娘さんの背中をさすることしかできなかった。
「本当に、最後に、父の笑顔が見ることができて良かったです。お世話になりました」
しばらくして、泣き止んだ娘さんがそう言ってくれて、私は、悲しい気持ちと温かい気持ちに包まれた。
「こちらこそ、大切なものを見せていただきありがとうございました」
そう言って、頭を下げながら、私は、父と母に会いたくなった。

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