初めて親になった時にした約束は重すぎたかもしれない

味わったことのない痛みに耐えて、温もりを胸の上に感じた時、ついさっきまで、お腹の中で動いていたはずの命が確かにここにあることに感動した。

そして、その瞬間から、切れ目のない親としての責任を背負い続ける時間が始まった。

だから、あの約束は、もしかしたら、息子がまだお腹の中にいた時に交わされたのかもしれない。

誰と交わしたのか? どのような文言だったのか?

それらを正確には記憶していないけれど、私は、確か

「親として立派に育てます! この子をきっと幸せにします!」

そんな風に誓ったのだ。


新生児との日々は、想像以上に過酷だった。

ひと時も気持ちが休まることがなく、ほとんど寝ることもできない。

その環境に私が押しつぶされそうになったのは、多分、あの

「親として立派に育てます」

という約束のせいだと思う。

私が少しでも間違ったことをすれば、目の前の命は、簡単に、元居た世界に戻ってしまう気がした。

この約束を本当に私は果たせるのだろうか?

どうして、こんなに弱い私のところに生まれてきてしまったの?

息子の不運と、自分の力不足を嘆いた。

突然襲ってきたその絶望は、おそらくマタニティブルーというものだと、後で知った。

しばらくして、家族や、地域の保育士さん、そして、時の流れに助けられて、私は、どうにかその地獄から抜け出すことはできた。幸いだった。

そして、その後、9年間子育てを続けてきた。少しずつ、母親という役割に慣れてはきたけれど、未だに、あの約束が、私の前に大きく立ちはだかり、子育てが苦しく感じることがある。

「親として立派に育てます! この子をきっと幸せにします!」

この9年間の中には、「立派に育てよう」として、本人が嫌がることでも、必要だと思うことは、やらせる時もあったし、「幸せ」を感じて笑顔になってほしくて、息子の前にある困難をすくい取ってしまったこともあった。

そして、あの時の私の振る舞いは、よくなかったのではないか? と気づくのは、だいぶ時間が経ってからだったりする。


そうやって、ため息をつきながらも、それなりに子育てしてきて、最近、ようやくわかったことがある。

それは、最初の約束が間違いだったのではないか? いや、間違いとは言い過ぎかもしれないけれど、ちょっと重すぎたのではないか? ということだ。

もしも、あの時

「この子と一緒に過ごすことによって、色々な感情を味わい、例え、道に迷っても、この子と共に成長することを諦めないようにします!」

という約束をしていたら、心がもう少し楽だったのではないかと思うのだ。


「子育てに正解はない」という話も、息子が5歳の時に知った。

仕事柄、マニュアル命で過ごしてきた私は、育児書と首っ引きだった。書かれた通りに真似しようと挑戦し失敗したり、そもそも、目の前の息子の状況がそこに載っていないことに絶望したことも多い。だから「子育てに正解はない」と知って、完璧を目指すことを諦めた時、フーッと肩の力が抜けたことも覚えている。


そして、「子育てに正解はない」ということは、結果的に、成功したとしても、失敗したとしても、それらすべてが学びであると気づいたのだ。

大切なことは、結果ではなく、そこで何を感じ、どう成長するかなのではないだろうか。

もちろん、そうは言っても、しっかり考えて道は選びたいから、そのために、先人の智慧を借り、仲間の情報はありがたくいただき、その時の自分や息子にとって、最適だと思うことを取捨選択すること、そして、不安のすべてを払拭できなくても、不安を抱えたまま勇気を持って一歩前に進むこと、それが大切なのだろうと思う。

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