顔を水につけられなかった息子が、25m泳げるようになるまでにかかった3年半と、月謝累計336,000円のおかげで、親の私が学べたもの
「ああ、今日も進級できなかったか……」
そう、何度、がっかりしたことだろう。
現在小学3年生の息子は、幼稚園の年長に進級するという春休みから、スイミングスクールに通い始めた。
最初は、別に、行きたがらなければ無理に行かせる必要はないと思っていたけれど、通う予定の小学校では、6年間で、どんな泳ぎ方であっても最終的には25mを泳げるようにならなければいけないと聞き、俄かに、心がざわついた。
息子は、当時、大人の膝くらいの深さの幼稚園のプールでさえも、入ることを嫌がった。
活発な子がバシャバシャと出した水しぶきが、顔にかかることをとても恐れていた。
プールがある日はいつも「プール嫌だよ」と、朝から泣いていた。
補助の先生に抱っこされてようやく参加していたほどだった。
私が小学生の頃は、確か、授業中や夏休みに、先生や外部から来たコーチが、レベル別に泳ぎ方を教えてくれた気がする。
しかし、最近の小学校では、泳げない子はそのまま放置されるらしいという噂を聞いた。
もしかすると、ほとんどの子がどこかのスイミングスクールに通っているそうだから、結果的に指導が必要な子が少ないのかもしれない。
それらを考えると、やはり、最低限、小学校入学までに、水に対する恐怖は取っておいてあげたいし、できることなら泳げるようにまでなっていてほしいと思うようになった。
しかし、自分から「行きたい」と言う気配は全くなかった。
さて、どう持ちかけようか? そう思っていた時に、ママ友が「春休みに一緒に短期講習に通わせない?」と誘ってきてくれた。
いいきっかけができたと有難く思い、早速、息子に聞いてみた。
「プール習いに行ってみない?」
返ってきた反応は、全く乗り気ではなかったけれど、
「ケンタくんたちも、行くってさ」
「小学生になったら、どうしても長い距離を泳げるようにならないといけないんだって」
と伝え、半ば強引に
「うん」
と言わせた。
そして、直前になって渋った時には
「『うん』って言ったよね」と説得した。
スイミングの短期講習は4日間。
一緒に参加したお友だちのふたりは、大きなプールに慣れていて、水は怖くないし、浮き輪があったら楽しめるレベルだった。
息子は、まず、スイミングスクールのプールの広さに怖気づいていた。
ロッカーで着替える時はもちろん、プールサイドに行くまでも
「こわい。こわい」
と言って、ずっと泣いていた。
顔を水につけることもできなかったから、お友だちとは違うグループだった。
まだ泳げない小さな子のためにプールを底上げする、プールフロアという赤い台の上をただ歩くことさえ、怖くてできていなかった。
初日は、45分間、ほぼ丸々泣いていた。
2日目以降、泣く時間は少し減ったけれど、短期講習での収穫は、恐る恐る赤い台の上を歩けるようになっただけだった。
「ぜひ、スクールに入って、週1回通わせてあげてください」
向こうのセールストークなのかもしれないけれど、このままでは、可哀そうだくらいに言われて、焦った。
今まで、あまり外遊びが好きじゃないからと、無理には外で遊ばせていなかったことを責められている気さえした。
後ろめたさもあり、なかなか首を縦に振らない息子をなんとか説得し、とりあえず、週1回スイミングスクールに通わせることにした。
それから、3年半経つ。
私は、今から、1年位前まで、実に2年半の間、本当に苦しかった。
息子がなかなか上達しなかったからだ。
けれども、あるきっかけがあり、状況が変わらないのに、考え方を変えることによって、気持ちが少し楽になったのだ。
実際に、一緒に入ったお友だちのふたりは、クロール、背泳ぎ、平泳ぎ、バタフライまで進んでいるのに、息子は、1年前まで、クロールさえできなかった。
せいぜい、バタ足で10メートル。
後から入った、まだ1年も経たないお友だちも、クロールや背泳ぎができるようになっているのに、見ているこっちが本当につらかった。
息子は、進級しないことをあまり気にしていないようだった。
それが、さらに、私をイラつかせた。
しかし、なんだかんだと理由をつけてスイミングスクールを嫌がってはいた。
息子も私もつらいなら、やめさせればいいとアドバイスしてくれた友だちもいたけれど、なんとしても25mを泳げるようになってほしかったから、やめさせることはどうしてもできなかった。
そんな中、こんな記事を見つけた。
進学塾において、成績の悪い生徒を「お客さん」と位置づけているという記事だった。
進学塾は、最難関校の合格実績を出すことに経営資源を集中的に投入し、成績がいい生徒を、特待生扱いして無料にすることもあるらしい。
一番下のレベルの月謝を持ってきてくれる生徒を「お客さん」とし、実績を出せるトップクラスの生徒を「商品」として大切に扱っているらしい。
そして、「お客さん」をアルバイトの先生が、「商品」を優秀な先生が担当するという話だった。
それを聞いてゾッとした。
息子の通っているスイミングスクールは、それほど、選手育成に力を入れていないし、進学塾とは違うけれど、進学塾の理論で言うと、完全に息子は「お客さん」ではないか!
気になりながらも怖くてしていなかった、今まで払った月謝の計算をして、ハァっとため息をついた。
なんか、悔しい。
息子の上達のペースが遅いのがいけないのだろうけれど、なんだか損をしている気がした。
けれど、まだ目的が達成できていないまま、やめることは考えにくい。
どうしたら、この胸のざわつきを落ち着かせることができるだろうか? と考えてみた。
そうだ! このスイミングスクールに通っていることによって、水泳技術の習得以外に息子が学んだこと、あるいは、親である私に何らかの学びがあれば、それを「習っている」ことに位置づけて、ペイできると考えてみるのはどうだろうか? ちょっと苦しいかもしれないと思いながらも、やってみた。
まずは、着替えの課題。
幼稚園児の時は、ほとんどの子のママがロッカーに一緒に入っていた。
しかし、小学1年生になって、ほとんどの子のママはロッカーから消えた。
私もそうしたかったけれど、相変わらず、スイミングに行くのを嫌がる息子を、ロッカーの入り口に置き去りにはできなかった。
「プールのところまで一緒に来て!」
息子にそう言われて、しぶしぶロッカーに入ったけれど、他の小学生はきっと知らないおばさんがロッカーにいるのは嫌だろうなと思い、居心地が悪かった。
1年生の最初の方は、幼稚園の時と同じように、着替えている側にいたけれど、だんだんと「ロッカーの端の方にいるから、一人で着替えてね」と言って距離を置いた。
スモールステップで、少しずつ課題を設定し、自信がついたら、次のステップを設定し……、そうしてるうちに、だんだんと、私がいなくても大丈夫になってきた。
他の子よりも時間がかかったけれど、1年前には、ロッカーの出入り口で「行ってきます」ができるようになった。
できなかったことが、少しずつできるようになった経験は、きっと、小さな自信につながったはずだ。
今度は、私の話。
どうしても、息子と他の子の成長を比べてしまうけれど、息子を「他の子」と比べず、「過去の息子」と比べる修行を積むことができた。
まだ、反射レベルでは無理だけれど、一瞬、他の子と比べてしまっても、「そうだ! 比べる対象が違ったよな」と修正できるようになってきた。
実際に、息子の水泳技術の習得は、本当にゆっくりとしか進んでいなかったけれど、それでも、水に入ることはできるようになり、潜ることも怖がらなくなった。
バタ足と背浮きも、短い距離ではあるけれど、できるようになった。25mを泳げるようになるタイムリミットにはまだ4年ある! きっとできるようになるはず! 信じよう! と思った。
そして、もうひとつ、大きな学びがあった!
息子は、大きな声が苦手で、ましてや、厳しい口調も苦手なのだ。
コーチが厳しいと、家から気持ちが崩れて泣いてしまうから、コーチ変更のタイミングでは、親子共々「優しいコーチになりますように!」と祈り、それがほぼ叶っていた。
優しいコーチのままの時は、スムーズに行ってくれることが増えた。すると、幾分か、私の気持ちが楽だった。
けれど、それこそが、進級しにくい元凶だと気づくまでに、時間がかかった。
何度も同じところでつまずくのは、なんでなんだろう? とよく見てみたらわかったことがあった。
それは、練習の時に息子が怖がるので、優しいコーチが手を貸してくれるのだけど、2か月に一度のテストの時は、当然のことながら、手を貸してくれず失敗、はい、不合格! というのを何回も続けていたのだ!
それに気づけたのは、風邪をひいて、いつものクラスを欠席したため、別の日に振替えた時のことだった。
振替えたクラスの別のコーチが、少しだけ厳しめで、息子が背浮きでスタートする時に、近くにいるのではなく、遠くから合図をしただけだったのだ。
いつものコーチは、最初から手を貸してくれるのだけれど、振替のコーチは、「一人でスタートしなさい」と言っているようだった。
息子は、首を横に振った。
すると、振替のコーチは不機嫌そうに近づいてきて、何やら話しかけていた。
「側にいるから、一人でやってみて」とでも言ったのだろうか?2階の見学席からは、ガラス張りのため声はほとんど聞こえない。
しぶしぶ息子が一人でスタートした。
そして、失敗して水に沈んだ。
スタート台に連れ戻されて、もう一度やらされた。
また失敗。
さすがに、他の子もいるので、その次は、手を貸してくれたけれど、次に順番が回ってきた時に、また一人で挑戦させられていた。
これだ! と思った。
息子に足りなかったのは、これだったのだ!
一瞬、あんなに有り難いと思っていたはずの優しいコーチを恨んだ。
どうして、いつも手を貸してくれるんですか? テストと同じように、一人で挑戦させてくださいよ!そうしたら、もっと早くできるようになったかもしれないじゃないですか!
そう思って、ハッとした。
私も同じだ。
息子に、何かというと手を貸してしまっているではないか!人のことは責められない……。
それに、水が大丈夫になったのは、やはり、今までの優しさのおかげなのは間違いないのだから……。
同じような時期に、偶然にもコーチが変わった。
今度は、少し厳しめのコーチだった。
案の定、息子は泣いた。
「スイミングに行きたくない」と、また、泣くようになった。
けれど、どうにかこうにか行ってしまえば、それなりに参加していた。
しばらくすると、前よりも、一人でやってみよう! と挑戦する姿が見え始めた!
息子にとっては大きな進歩だった!
優しいだけではダメなんだ。
だからといって、やたらと厳しいのも違うと思う。
少し背伸びしたくらいの適度な課題を提示して、チャレンジする機会を提供し、勇気を後押しすること! なかなか難しいけれど、それをすることが成長を応援することなのではないかと思った。
こんな感じで、1年前に、ちょっと強引ではあったかもしれないけれど、「費用対効果」の「効果」を意識的に大きく捉えることによって、気持ちが少しだけ楽になったのだ。
そして、それから、1年経った、今週の水曜日に、ついに、息子は、初期クロールで、25m泳げるようになった!
「初期クロール」というのは、息つぎを左側だけでするもので、左右交互に息つぎをする「正しいクロール」とは一線を画すらしいが、それでも、25m泳げたことには違いなかった。
やった!
そう思って、自分から湧き出た感情が、3年半前や、1年前に想像していたものを違うことに気がついた。
この瞬間が来たら、私は、飛び上がるほど嬉しく感じると思っていたのに、嬉しいというよりも、むしろ、ホッとしている自分が居たのだ。
また、この目標は、いつしか、目指すべき目標ではなく、通過点のひとつに感じていたことが不思議だった。
人間は欲深いもので、まもなく、25mが泳げそうだと思った時から、息子には、「正しいクロール」も覚えてほしいし、中学生になって臨海学校で困らないように、平泳ぎまでマスターしてほしいと思い始めていた。
そして、私は、もうひとつ恐ろしいことに気がついてしまったのだ。
それは、本当は、息子の課題であり、目標であるはずなのに、息子が「25m泳げるようになる」のではなく、私が「息子に25m泳がせる」という目標にすり替わっていたということだった。
今回のことは、本当に息子のためだったのか?それとも、私のエゴだったのか?不安になった。
すると、2年くらい前に、進級テストに落ちても、全く悔しがらなかった息子を見て「悔しくないの? お母さんは悔しいよ」と、私が号泣し、結果的に、息子を泣かしてしまったことや、3年半の間に何度も、スイミングスクールに行きたがらない息子を、半ば引きずるように連れて行ったことを思い出した。
息子に申し訳ない気持ちが湧いてきて、謝ろうと思った。
「ユウ、25m泳げるようになってよかったね! おめでとう! 今日はよく頑張ったね!」
「うん」
息子は、嬉しそうにハグしてきた。
「前にさ、ユウの方がつらかっただろうにさ、お母さんの方が悔しがって泣いちゃって悪かったね」
顔を見て謝るのも、バツが悪かったので、ハグしたまま、私がそう言うと、「え? なんのこと? そんなことあった?」
と息子が言った。
「え?」
覚えていなかったの?
その事実に驚きながらも、少しだけホッとした。
そして、改めて、当時の息子の気持ちを聞いてみた。
「その頃は、自分が、25mを泳げるようになるとは全く思えなかったんだよ。諦めてたっていうか。やる気がなかった」
その話を聞きながら、私にも、このまま通っていても、本当に泳げるようになるのかな? と疑う気持ちが、少なからずあったと自覚した。
だけど、ここ半年くらい、私から見ても、見るからに上達しているように感じたので、息子にどういう気持ちの変化があったのか聞いてみた。
すると、
「周りのみんなができるんだから、自分もきっと25m泳げるはずだと思えてきたんだ。そうしたら、頑張ってみようと思えてきたんだよ」
と話してくれた。
そうだったんだ!
おそらく、ゆっくりではありながらも、息子なりに上達していく中で、「25m泳ぐ」というものがぼんやりと見えてきたんだろうと思う、そして、いい意味で、周りの仲間から刺激をもらえていたんだと嬉しくなった。
むしろ、私の方が、周りの息子と同じ年の子たちの上達の速さと比べて、息子の上達のスピードが遅いことを気にしていたと反省した。
同じ出来事なのに、私は、マイナスに、そして、息子はプラスとして受け取っていたんだと気づいて、恥ずかしくなった。
子育てしている中で、息子のことを考えていたはずなのに、いつの間にか、自分のエゴとかプライドとか、そこまでいかなくても、自分が安心したいからとか、そういった理由で、いつのまにか、目的が変化してしまうことって、実は、少なくない。
気がつけばまだいい方なのかもしれないし、気がついたからと言って、今度は、じゃあ、全て、息子の問題だから、一切口を出さないようにしよう! と思ってみても、未熟な私は、どうしても気になってしまう。
親の方が、本人よりも熱くなってしまうというのは、子どもの習い事にはつきものの感情であると同時に、問題でもあると思う。
それでも、慎重な息子には、きっかけづくりや、サポートも必要だと感じているので、自らの行動をチェックしながら、できるだけ、息子のことを「信じて待つ」という形で応援できるように心掛けていきたい。
そして、願わくは、今回のことは、ベストではなかったかもしれないけれど、それでも、苦手なものを克服したという経験として息子の自信につながってくれたらいいなと、やはり、勝手ながら、私は思ってしまうのである。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?