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いまっつの演劇レポートvol.3「伝える責任」

【“共同研究”の成果】

 8年前の8月。私は山梨県甲府市内のNPO事務所でデスクワークに追われていた。同NPOが初めて平和をテーマとした創作劇を企画し、高校生や20代の社会人らで構成する制作グループのスタッフに名を連ねていた。資料作成のためパソコンと格闘していた時、役者として舞台に立つ高校2年の男子生徒が話し掛けてきた。「この登場人物は戦時中何歳だったと思いますか。年齢によって社会の見方がずいぶん変わってくるのでは」鋭い。私は慌てて事務室内の年表を広げた。彼の関心はさらに広がり、「戦前の暮らしぶりはどうだったか」「当時の衣装は」などと質問され、私は何度も答えに窮した。この時は厄介なことと思っていたが、彼との“共同研究”により戦時中の意外な一面を発見でき、また他者に伝えるためにはその対象をより広く、深く知らなければと実感した。狭い、浅い知識のままでは観客のほか、物語の土台となった先人にも失礼ではないか。


【戦争を風化させない】

 今年は終戦(敗戦)から75年の節目。当時生まれた子は75歳。国民学校初等科(現小学校)の1年生は81歳。軍隊経験者となれば優に90歳を超える。戦争経験者の肉声に耳を傾けられるのもあとわずかだ。にもかかわらず、今年は新型コロナウイルスが無情にもその機会を奪った。本来ならもっともっと戦争に思いを巡らせ、平和な社会の実現に向けて議論を深めるべきだったのに。

 それでも歩み続ける人がいる。コロナ感染防止のため、ビデオ会議システム「Zoom(ズーム)」を使った戦争体験の講演会や、ホームページ上で解説パネルを公開した戦争展など工夫を凝らしている。演劇界では、今年7月28日付「東京新聞」に掲載された「広島原爆の悲劇伝える移動演劇『桜隊』若手俳優の手でよみがえる」が目を引く。記事によると、桜隊は太平洋戦争末期の1945年1月、前身の劇団「苦楽座」が東京での公演が難しくなったことで結成。舞台や映画で活躍した俳優丸山定夫さんを隊長に、元宝塚スターの園井恵子さんらが参加した。同年8月6日、広島市の爆心地に近い宿舎にいた9人が被爆し、女性5人が即死。丸山さんら残る4人も原爆症で亡くなった。その後演劇関係者らでつくる「桜隊原爆忌の会」が追悼会を開いてきたが、スタッフの高齢化などにより、追悼会は2018年から休止。原爆忌の会の継続を話し合う中で、今春、戦争に関心を持つ20~40代の俳優3人で新たな「桜隊」を発足したという。隊長の俳優椎名友樹さんは同紙の取材に「平和でなければ芝居はできない。コロナで似た状況になり、厳しい状況でも芝居したかった当時の隊員の気持ちがわかる。思いを引き継いでいきたい」と答えていた。


【演劇人が果たす役割】
 
椎名さんの気持ちを共有したい。戦時中、演じることや観劇し批評することが好きな演劇の仲間が各地でどれだけ亡くなっただろう。一方で、命を落とさないまでも戦前や戦時中の内務省、戦後の連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による検閲制度で自由に表現できず、作品を“殺された”演劇人がいたことも忘れてはならない。日本国憲法で表現の自由は保障されているが、その憲法には「基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」(第97条)とうたっている。だからこそ、今のパフォーマーには過去を学び、自由に表現できることの尊さを実感してもらいたい。

 また憲法は続けて「これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利」(同)とうたう。今を生きる私たちは表現の自由を後世にしっかり引き継ぐ役割も担っている。SNS上の誹謗中傷や、コロナ禍で起きた“自粛警察”などに接すると「ものを伝える責任を果たしていない」と憤りを禁じ得ない。一人ひとりがこの責任を自覚しなければ、政府が介入に乗り出して、それが行き過ぎれば戦争前夜の暗黒時代に逆戻りだ。ものを伝えるには責任が生じる。そのためにはどうしても多大な時間とコストがかかる。面倒なことだが、演劇の場合、その一つひとつのプロセスが血となり肉となるのではないか。

 75年後の2095年。この堅苦しい文章を読んだ演劇人は「2020年のメッセージはしっかり受け継がれています」と返してくれるだろうか。そう願わずにはいられない。

写真:2019年7月『不帰の初恋、海老名SA』記録写真(蚊帳の家)より

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