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ジャズの引き出しについて〜ジョン・ボードとエディー・ウィリアムスの引き出し〜レアホーンズ・テナー編〜

 前回の記事でポニー・ポインデクスターやジョン・ラポルタの様な、イマイチ知名度は低いけど素晴らしい演奏を残しているアルトサックス・プレイヤーを何人か紹介したので、今回はテナー系を中心にいくつか紹介しようと思います。レア・テナーの引出しってことで。


 『Sonny Stitt at the D. J. Lounge』(1961年録音)は、シカゴでのライブ録音で、恐らく巡業中のスティットが地元ミュージシャンと繰り広げたセッションを記録したものと思われる。(スティットにはこの手のアルバムが何枚もある。多分、ろくにリハーサルもせずに、せ~のっ!でやっとる。スティットはそれで成り立つのである。何ならイントロからアウトロまで一人でやっちゃうんで。)内容的には60年代スティットに有りがちな2テナーwithオルガン物で、この翌年に録音されたジーン・アモンズとの『Boss Tenors』のしっかりプロデュースされている感じとはまた違った、気軽さと楽しさがあって中々よい。
 ジョン・ボードはシカゴで活躍したテナー吹きで、世代的には1919年生まれ、パーカーの1歳年上である。全くの無名で、このアルバム以外の録音もほとんど残っていない様だが、ライオネル・ハンプトンやB.B.キングのバンドにもいたことのある、地元では中々人気のあるジャズマンだったらしい。録音場所の「McKie's Disc Jockey Lounge」は60年代に彼が拠点としていたライブハウスである。もちろん演奏スタイル的には極フツーのビ・バップだ。しかしである!この、全く無名のバップ・テナーがとにかく素晴らしいのである!
 スティットと2トップを張るのがどういうコトかは、スティットがあのロリンズとバトルして、肩で息をしているロリンズを尻目に涼しい顔をしていた事を考えれば(あくまで筆者の想像です)よくわかるだろう。よほどの実力者でないと適当にあしらわれて終わりである。実際4曲目のRhytm Change「Jay Tee」など、スティットがその場の思いつきで作った(に違いない)テーマをジョン・ボードを置いてきぼりにして吹き散らかしており、相変わらずである。が、ソロ一発目を譲られたボードが吹き出すと、ガラっと雰囲気が変わるのである。バトル・パートもがっぷり四つで、まあ、バトルになっちゃうとスティットに分があるんだけど、かなりいい勝負をしている。ボードのホームグラウンドという事もあるのだろう。

黒い、ブルースに根差した、それでいてジャズらしいロマンチックさも備えた素晴らしいバップ・テナーである。シカゴのテナーと言えばクリフォード・ジョーダンやジョニー・グリフィン、ジョン・ギルモアが思いつくが、彼らのアクの強さとははまた違ったボードの洒落た感じは、彼らより一世代上の、スウィング時代を知る生き残りであるボードならではなのだろう。とにかく一聴の価値がある。

 さて、ベニー・グリーンもシカゴ出身。こちらはパーカーの3歳年下のトロンボニストである。カーティス・フラーやJ.J.ジョンソンに比べると知名度では劣るが、パーカーと同時代に活躍を始めたバッパー第一世代であり、ロス・ラッセルによると、1944年、パーカーやブレイキー達と共にビリー・エクスタイン・ビッグバンドの立ち上げメンバーになる筈だったらしい。当時のバップ・トロンボーンのエースだったのである。ウィキペディア先生によると、演奏スタイルはスウィングからソウルにまたがるとのことだが、要するにつまり、当然フツーにビ・バップってコトである。
 そんな彼には『My Main Man』というスティットとの共演盤(1曲目のイントロで「マジで?」となること請け合い。ただのブローイング・セッションではない。)、『Newark 1953』というモブレーとのライブ盤(モブレー最初期にして最高の演奏が収められている。サヴォイのプロデューサーによる自家録音ぽい。近年の発掘盤。感涙モノ。グリーンがモブレーのソロを聴きながら大はしゃぎしているのが大変微笑ましい!)もあり、これはこれでホントにホント〜に素晴らしいのだが、ここではブルーノート・レーベルに残された2枚のアルバムを紹介したい。


 『The 45 Session』は1958年11月録音でピアノはソニー・クラーク。『Walkin' & Talkin'』はその2か月後1959年1月の録音で、こちらのピアノはギルド・マホネスとなっている。どちらも素晴らしいが、マホネスのガーランドばりにグルーブするピアノは特筆に値する。この人も知名度は低いけど素晴らしい名手である。また、『The 45 Session』の方は「Encore」でバブス・ゴンザレスが超ゴキゲンなバップ・ヴォーカルを披露している。作家の田中啓文氏によるとイリノイ・ジャケーのソロに歌詞を付けてるらしい。もうね、ホント真っ黒で素晴らしい。白人黒人いうのはアホらしいという向きも有りますが、コレは白人にはムリだろう。最初のワンフレーズでノックアウトですよ。

 さて、この2枚のアルバムの両方に参加しているテナーサックス奏者がエディー・ウィリアムスである。1910年生まれでパーカーの10歳年上、レスター・ヤングやベン・ウェブスターの1歳年下である。出身はニューヨーク・マンハッタンという説とシカゴという説がヒットしてどちらかわからない。同姓同名も多くて、調べきれなかった。とにかく殆ど無名の謎サックス・プレイヤーなのである。で、タイニー・ブラッドショウや、ジェリー・ロール・モートンとやっていたというから、完全にプレ・ビ・バップのスウィング時代の人かと思ったら、もう、これが最高にイカしたビ・バップなのだ。ジャズ・エイジに、世界中の若者の憧れだったあのスウィートな音楽を、彼らと同じステージに上がり、演奏していたテナー吹きが、ビ・バップに完全適応するという、レスターやベン・ウェブスターにも無しえなかった偉業を成し遂げているのである!パーカーと同じフレーズを吹きながら、サッチモやエリントンが最も輝いていた時代、同じ場所で同じ空気を吸い、同じ音楽を聴いた者にしか出来ない、素敵にダンディでロマンチックな音楽を奏でているのである!もうね、ホント素晴らしいよ?これでしかも無名とは、本当に謎である。もしかしたら、年寄りってコトで若いバッパーには煙たがられて声を掛けてもらえなかったのかもしれないな。なんか性格に難ありだったとか?もったいない事である。

 『Philly Joe's Beat』(1960年録音)は別記事でも取り上げたが、ここでももう一度。テナーのビル・バロンである。弟のケニー・バロンが有名になっちゃったんで「ケニーの兄」みたいな存在になってしまっているが、良いテナー吹きます。何しろ1927年生まれで同じフィラデルフィア出身のジミー・ヒースの一つ年下。当時のフィラデルフィアはヒース家がビ・バップのラボみたいになっていたんで、そこで他の若手と一緒に切磋琢磨していたのだろう。そういえば、音色の艶感がジミーやコルトレーンに通じるものがありますね。この『Philly Joe's Beat』はフィリー・ジョーのオリジナルを含め、名曲・名演ぞろいなんで、是非もっと聴かれて欲しいアルバムである。

 しかし、ジャズの豊饒さは、ホントこういった無名の名手たちの存在に支えられているのだと実感しますね。マイルス・コルトレーン・セントリズムが如何に貧しい思想かと、あ、もう良いですか?
はい、では、今回はコレぐらいで。

<参照アルバム>
ソニー・スティット『Sonny Stitt at the D. J. Lounge』with John Board、『My Main Man』with Bennie Green


ベニー・グリーン『Walkin' & Talkin'』&『The 45 Session』with Eddie Williams


フィリー・ジョー・ジョーンズ『Philly Joe's Beat』with Bill Barron

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