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My New Journey

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仕事の体温

社会人生活も20年を超えてくると、通常時の自分の“仕事の体温“というものが分かってくる。
若い時はその“体温“が常に高く、興味のある事に全力で首と足を突っ込んでいた。

今から考えると、自分の中のその“体温“が下がった、つまり自分で熱を感じなくなった時に転職をしていたと思う。

で、そういう時に限って、非常に熱っぽい転職先や、熱っぽく語る転職先の未来の同僚と出会う。

また、仕事というものは面白いもので、付加価値を生み出し、ビジネスを成長させる、その点において、社会のルールに背かない範囲で、基本的にはNo Ruleでできると自分では信じてる。

なので、もし形勢が悪くなったら、いかに大胆な、予想のできない、新しいルールを持ち込めるかが、自分自身がこの社会で生き残るための戦略だと常に考えている。

小中高大挫折だらけの自分が、何とか2000年代、2010年代、2020年代を生き残れているのは、ひとえにこの、「ルール何それ?」というスタンスで、将棋でいうと形勢99%負けのシチュエーションで、盤面ごと叩き潰す事に躊躇しなかった事にある。

ただ、(特に日本人は)一定数の人が、この「ルール」というものを決めたら、絶対に守らないといけない、と思っている。

“いや、これは会社で決まっている事だから“
“まずはルールを守れ。話はそれからだ“
“上司が言ってるんだから“

さすがに今どきこんなあからさまな事を言われる事は滅多にないが、やはりそういう人は居て、最近は自分の中で「ルール好きなんだね」で片付けて話を聞かないようにしている。で、もしその人が自分の上司で「業務命令です」とか言ってきたら、躊躇なく労働者の権利を行使させていただいた。

つまり、自分が転職するのは、「他にもっと体温の高くなるところを見つけた」、または「理不尽なルールを強制された」の2点であったと思う。

リスクは自分自身

ただ、最近、いずれも合致しない状況に自分がなっている気がしてきた。

例えて言うと、仕事も面白いし、特に理不尽なルールを強制されてもいない時に、何か自分の中の“基礎代謝“が下がっている感覚だ。

この場合の“基礎代謝“というのは非常に説明が難しいが、自分の今までの平熱が37度だったのが、「36度か、、、まぁいいか」と妥協してしまう感じだ。
別の言い方だと、長年の社会人経験の中で、大体のシチュエーション(ルーティンだろうが修羅場だろうが焼け野原だろうが)が自分の引き出しに入っていて、それを出し入れするだけで一定規模のクオリティが出せる状況で、それに安住している感覚が2年前ぐらいから出てきた。

これは非常にまずい。

何故まずいかというと、非常に言葉が悪いが、


"過去の自分のちっちゃな成果(栄光ですらない)にしがみついて、後輩に上から目線で武勇伝を語り、自分の力が衰えていることから目を逸らし、そのくせ仕事はなんか一味足りなくて、弁の立つ言い訳ばかりしている"

ようなおっさんがその先に出来上がりそうな気がしてきたからだ。

そんな50代は嫌だっ。

さて、どうしようか

となると、次やることは明確で、今一度基礎代謝を上げる策を実行しなければいけない。

おそらくそれは今まで6回してきた“転職“ではないことは何となくわかる。
もちろん食べていくためには仕事は必要で、FIREするほど裕福なわけではない。

しかし、そうだとしても、今この段階で一度、自分の基礎代謝をググッと引き上げないと、とてもじゃないがワクワクする50代にならない気がしている。

—-
と、いうことで、6月末をもってBytedanceを退職します。
引き継ぎは滞りなく進めたつもりですが、もし不備等がありましたらご連絡ください。

次の予定は決まっていますが、転職ではありません。

20代、30代ではおそらく考えもつかなかった決断ですが、今の自分からすると、それほど大きな冒険とは考えていません。せいぜい“長い人生の中の、ストレッチ“ぐらいに考えています。

次の仕事を決めずに退職するというのも生まれて初めてですが、久しぶりにワクワクしている感覚があります。

まだ決めてはいませんが、おそらく年末には仕事探しをまた始めると思います。


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