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わたしの父の話

昨年の9月末のある日、叔母から電話があった。

数年前に地元へ戻って叔母と一緒に暮らしていた父が、失踪したので警察に届け出を出すと言う。

そのひと月前、父は朝早くに軽装でふらっと出掛けて、そのまま戻っていないという話だった。部屋には免許証や保険証、鍵などがまとめて置いてあったそうだ。

一瞬、どうしてひと月も届け出を出さなかったのかが気になったけれど、父の失踪は初めてではなかったから、叔母は、父がそのうちふらりと帰って来ることを期待したのかもしれない。

だけどわたしは、叔母の話を聞きながら、もう父はこの世界にはいないのだとわかってしまった気がしていた。

わたしの脳裏には、まるで大地とハグをするように、枯葉の積もった地面に大の字にうつ伏せた父の姿が浮かんでいた。地面に横たえた顔は、とても幸せそうで、安らかで自由に見えた。

あぁ、やっと自由になったんだな、と思った。

父の体の周りには線が引かれていた。事故現場に描かれる白い線。限りなく自死に近い事故、そんな印象だった。

父は実際には69歳だったけれど、そのイメージの父は30歳ぐらいに見えた。後から思うと、その頃が父にとって一番幸せな時期だったのかもしれない。

この世を去る時に、生きているのか死んでいるのかわからない「失踪」という形をとったのは、いかにもあの父らしいなとも思った。

父は、控えめに言っても、とても変わった人だった。どんな風に、と簡潔に伝えるのは難しい。一見するとすごく普通に見えたけれど、考え方や行動がユニークで、理解できないことも多かった。

わたしが小学校に上がる直前、父はわたしだけに行き先を告げて一度目の失踪をした。その日、わたしは父方の祖母にうさぎのマークの赤いランドセルを買ってもらい、帰りにセールで父のためにセーターを買う母を見ていた。家に帰ったら、もう父は居ない。口止めされていたわたしはそれを言えず、母の思いが無駄になってしまうことが切なくて、ただ、悲しかった。

その後父と母は正式に離婚したけれど、不思議と良好な友人関係を保っていて、わたしと弟は夏休みになると父の家へ遊びに行って、数日間を父と過ごすのが常だった。

父はなぜかやけに女性にモテる人で、いつも誰かしら女性がそばに居て、滞在中のわたしたちの面倒を見てくれた。父は、何度も結婚をした。それなのに、送り迎えで久しぶりに母に会うと、懲りずに口説いたりもしていた。離婚の時にも、母に「いつかまた結婚しよう」と言ったそうだ。

父は、大きな会社の重役だった時も、自分で立ち上げた会社を潰した時も、その後地元へ戻ってガードマンのバイトをしていた時も、どんな立場にあっても、いつも変わらなかった。いつも人懐っこい笑顔で、真剣な時や怒った時は冗談か本気なのかわからないほど芝居がかって、いつの間にか結局は笑いを取っていた。

事業に失敗した父がガードマンのバイトを始めたと知った時、母と弟は嫌がった。弟は、ずっと地元に住んでいたから尚更だった。スーパーに買い物に行くと駐車場でガードマンのバイト中の父が笑顔で寄ってくる。惨めで嫌だったと言う弟の気持ちもわかったけれど、たぶん父は、ただ息子や孫に会って嬉しかったのだと思う。

父には「恥」という感情が無いのだと、母が言っていたことがある。わたしたちは、恥じる感情のせいで、卑屈になることがある。父にはそういうところが無かったようだ。

父とは、しばらく連絡を取っていなかったけれど、わたしは次第に、そういう、余計なことに構わない姿を、かっこいいと思うようになっていた。機会をみて連絡してみよう、その時には、もっと普通に付き合えるかもしれないと期待したりもした。

だけど結局、その機会は訪れなかった。

失踪の知らせから一ヶ月ぐらいして、また叔母から連絡があった。父が見つかったと言う。

「見つかっちゃったか」

不謹慎だけど、真っ先にそんなことを思った。

叔母は途中で声を詰まらせて、義叔父が電話を代わって続きを話しはじめた。

その時突然に、電話の後ろで吉本新喜劇のテーマが流れ始めた。ホンワカワッカ、ホンワカワッカ、ホンワカワッカッカ…という、関西地方ではお馴染みのやつ。

義叔父が深刻そうにすればするほど、まるでコントのようにしか聞こえなかった。

こんな時まで、笑わせようとするのが父なのだ。

わたしは、笑いながら泣いた。

父は身元不明の事故死体としてすでに火葬されていていた。その遺骨を引き取ったり、必要な手続きはすべて弟がしてくれた。

遺品の中に、わたしたちの小さい頃の写真があったそうだ。父にもそういう、普通のお父さんのようなところがあったのかと思った。わたしは父のことを、知っているようで知らなかった。

父はこの世界から、文字通り蒸発するように身体ごと消えて、去って行った。そんな感じがすると同時に、父を思うと、父本来の姿がよく見えるようになった気がした。

なぜ、生きているうちに、曇りのない目で見ることができなかったのか。

それだけが悔やまれ、一方で、人とはそんなものなのかもしれないとも思った。

吉本新喜劇のテーマは、実は「Somebody Stole My Gal」という有名な曲で、ピー・ウィー・ハントというジャズ・ミュージシャンがアレンジしたバージョンなのだそうだ。

父もトランペットを吹いていた。いつだったか、一緒に海へ行って吹いて聞かせてくれたことがある。父には実は、ずば抜けた音楽の才能があったと聞く。実際、驚くほど歌が上手かった。今は自由になって、好きだった音楽を楽しんでいるだろうか。いや、またふざけて周囲を笑顔にしているのかもしれない。

わたしは、吉本新喜劇のテーマを聴くたびに、父を思い出すのだろう。

父は、唯一無二の素晴らしい個性を持ったユニークな存在だった。

そして、わたしの半分は父で出来ている。



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