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学ぶこと 教えること


人にものを教えて考える

子供が、バドミントンをしている。
小学2年生、本格的に始めてまだ1年も経っていない。

楽しんでくれているとは思う。
一方で、まだまだ未熟な部分が多い。

私は20年以上経験し、それなりのレベルだと思う。
少なくとも、今の子供よりはもう少しきちんとした技術を身につけている。

なので、相手をして欲しい、教えて欲しいと言われることもある。
ご要望に応じて、相手をしている。

その時、よく考える。
何をどう教えたら良いのだろう、と。

こうしたら良い、ああしたら良いというだけなら簡単だ。
それを繰り返し言えば良いのだ。

基本的には、それに近いことをしている。
それが絶対に良いとは思わない。

ただ、最低限の部分は理解しづらくても覚えてもらうしかないと思う。
後から、理屈をつけることはいくらでもできるのだから。

学ぶ側からの視点

教える側の言う通りにやって、出来るようになれば納得してくれるだろうか。
まずは教わっているなら、言われた通りにやるだろう。

それで成功体験を得られれば良い。
どんどん、教えてくれる人の言うことを聞いてくれるかもしれない。

そして、そこに危険性を感じることも多い。
次に何をしたら、どうしたら良いの?と聞いてくるだけだろう。

それはそれで、教える側としては楽で良いだろう。
成果も出やすい。

教わる側も、言われていることをやっていれば結果がついてくるのだ。
良い教師に恵まれれたな、と感じるだろう。

それで良いのか?

何が問題なのか

一番大きな問題は、言われたことだけをやること、だ。
今回は簡単な説明しかしていないから、ちょっと強引な説明になっている。

ただ、周りを見ていて本当に思う。
どうしたら良いの?と聞くばかりで、自分で考えることを放棄しているのだ。
本人はそんな意思はないだろうけれど、そう見えてしまう。

実際に、自分で動く人は非常に少ない。
できないから教えて欲しい、と言うスタンスが多い。

自ら考え、学ぶ意思はないのだろうか、と思う。
そして、そう言う人に大きな問題がある。

何かあると、必ず人に頼る、人のせいにするのだ。
少しは自力でなんとかする気がないのか、と疑問に思う。

こう言う人の傾向として、困難に弱いことが多い。
偏見も込みで、あえて極端な言い方をしている。

スポーツや勉強などで、ぎりぎりの勝負が必要な時に差が出る。
困難な時に、最後は自分で考えられるかどうか。
何かを外にだけ求めていると、考えることを諦める。

最後は皆、一人なのに。

困難な時に、自分の足で立ち向かえるようになって欲しい。
そう思い、子供にものを教え、同時に考えさせるようにしている。

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