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【ぼくは"元"航空管制官】練習ステージ ~新コーナーがテイクオフ~

こんにちは。元航空管制官の田中秀和(たなかひでたか)です。
今日からテクノブレインのSNS上で、私のコーナーを作って頂けることになりました。2020年に航空局を退職して以降、「ぼくは航空管制官」のゲームアイディアや用語監修等、様々な形で関わらせて頂くテクニカルアドバイザーを務めて参りましたが、2024年度からはテクノブレインや航空業界、航空管制について、広く皆さんに知って頂くための情報発信も始めさせて頂きます。どうぞよろしくお願い致します。

実は私は「ぼくは航空管制官」や「ぼくは航空管制官2」の熱心なプレーヤーでした。航空管制官を志し、より航空管制の世界が好きになるきっかけとなったのは、間違いなく「ぼく管シリーズ」です。初代をプレイされた方ならきっと分かって頂けると思うのですが、滑走路上に離着陸許可発出済みの機体を4機も並べてもぶつからない等、本来のゲーム性とは異なる所でスリルを味わったり、かなりゲームをやりこんでいました。ただ、航空保安大学校を卒業する頃には「ぼく管シリーズ」は卒業してしまいました。やはり本当の航空管制業務とは異なる部分を感じ始めてしまったからだと思います。デリバリーからグランド、タワーにレーダーまで同時に一人でこなすことは現実では有り得ませんが、そこがゲームならではの楽しさで、航空管制の全体像を掴むには非常に良い教材と言えます。

最新シリーズの「ぼくは航空管制官4」では、レーダー管制官として経路変更を行うことが出来るようになり、現実に近い「スペーシング(間隔設定)」も新たな魅力、そして新たな難しさとなりました。また、各種イベントが発生し、秒単位のタイミングや地上走行経路に非常に頭を使う点においては、現実に近い難しさを生んでいます。航空管制の世界では「何も起こさないこと」が求められますが、ゲームの世界ではステージレベルに合わせて何かが起きなければ面白くありませんし、難易度が高いシナリオを攻略することこそがゲームの楽しさとなっています。その観点から、私の経験を元にイベントとなり得るシチュエーションや天候、機体にかかる条件について情報提供をしてきたつもりです。

ゲーム上でトラブルを起こすのは常にTBA(テクノエア)ですが、現実ではその様に特定の航空会社ばかり問題を起こすことは有り得ません。ゲーム上ではTBAがいると身構えますが、現実世界では前振り無くいつも突然何かが起きます。また、ゲームでは反映させられないような航空会社や機種毎の特性なんかも実際の現場では感じることがあります。悪い面はご紹介出来ませんから、良い点を一つ挙げると、例えばレーダー管制をやっている際はボーイング767が非常に好きでした。何故かというと、非常に上昇力が良いからです。ドンドン上昇してくれて、あっという間に他機をかわしてくれる印象を持っています。最近のぼく管では、管制室や機内の会話が聞こえる場面もありますから、こんな管制官ならではの小ネタも挟んでいけたら面白いかもしれないですね。

私は高校を卒業し、すぐに航空保安大学校に入って、2年間の研修の後、初任地となった那覇空港に赴任しました。当時は飛行場管制業務だけでなく、着陸誘導管制業務(GCA)も行っていましたので、GCA資格も取りました。5年5ヶ月の勤務の後、出身地である愛知県の中部国際空港に異動しました。中部では11年7ヶ月、飛行場管制業務とターミナルレーダー管制業務に就きました。今は高校を卒業してすぐに管制官になる道はなくなってしまいましたが、私は20歳から現場でマイクを握り管制業務を行ってきた訳です。17年間の経験と航空管制への愛を元に、これから皆さんに様々なことをご紹介出来たらと思っておりますので、是非楽しみにしていて下さい。次のステージをお楽しみに。
Good day!!

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田中 秀和(たなか ひでたか)
1983年生まれ、愛知県出身。「ぼくは航空管制官」や「ぼくは航空管制官2」をプレイし、航空管制官志望を固める。2001年国土交通省入省、那覇空港での勤務を経て2008年から2020年セントレアで航空管制官として勤務。
2020年3月末に退職し、現在は全国の空港やミュージアムでの講演・トークショー、小中高校での職業講話、学童・児童センターで航空教室や紙飛行機教室等を実施する。テクノブレインではテクニカルアドバイザーを務める。
Facebookアカウント:元航空管制官のCafe&Bar準備室