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信頼とは

先日、小学校の卒業式だった。
うちの次男は小学5年なので、あと一年あるのだが、

PTA会長のわたしには
『祝辞』という任務がある。

朝から、着物を自装し、それに似合うメイク、ネイル、を
朝出かけるまでのミッションとしてやり遂げる。

なかなか面白いチャレンジだと、ワクワクしながら臨んだ、(笑)。

ここ一年半ほどの、自己肯定感や、コーチングの学びと、
学校に通う中で、感じた子どもたちの様子、保護者たちのこと、
そして、先生たち。

これらを網羅し、今卒業生に一番伝えたいことは、
「あなたたちは、すでに、自分たちがリソースフルに居られる場所を、自分たちで作り上げてきた。それは、それぞれのいいところ、得意なところだけでなく、時には恥ずかしいと感じるようなところ、迷惑をかけているように捉えられがちなところも全部ひっくるめて、受け入れ合ってきたからこその120%の自分でいられる居場所。その経験はこれからどんどん生かされていくはず、だから、どんどんチャレンジして、豊かな人生を歩んでいってほしい。」


ここでは
『すでにできている』という事実を言語化して、

「あー、私たち、そんなことができてたんだね!」

と強調して、太字でインプットしてあげる。

同時に、保護者や、先生、大人たちに、
「あなたたちが思うほど子どもではないし、むしろ、その辺の大人より、大人らしい行動できてますよ。」
と感じてもらいたかった。

でも、そこには学校教育という、そのように成長するためのカリキュラムやしかけがあり、先生方の手柄みたいな部分も多大にあるのはわかっているし、感謝もしている。

もちろん親たちは24時間365日、ずっとわが子のことを思って生きている。そこに対しては、本当にお疲れ様、と伝えたい。

更に、もう一つ言語化して、卒業生に伝えたいことがあった。

この場にいる全員があなたたちが大きな立派な大樹として、豊かに成長してほしいという思ってる。その愛情が、あなたたちが育つ大木の足元の、フカフカの土の中に、栄養として存在しているのだから、この先なにがあっても大丈夫、みんな応援しているよ!
ということだ。

ここには、すでに大樹となった姿をアファメーションし、
土の栄養として、ここに居る人たちが存在している、というイメージを想像してほしかった。
みんなの潜在意識のなかに私たちも存在している、というイメージ。

そして、大人たちは色いろごちゃごちゃ言ってきたかもしれないが、それはみんなの未来の姿を思っての言葉だったのだ。

というのを、大人たちも、認識する必要があるし、(自分はそういう目的を持って、子どもに言葉をかけていたんだと言語化することで、これからの声がけが、未来の子どもたちの豊かな姿に向けての言葉に変わるはず)

という感じのことを盛り込み、5分程度に仕上げた。(つもり)

わたしの中には、もちろん先生方への感謝、地域の方々への感謝、保護者の皆様への感謝を持ちながら作成した『祝辞』であった。

だから、
卒業生のお母さん数名から、温かい言葉をありがとう、と言ってもらったし、
なんなら、よくあるYouTubeで見かける、「皆さんに覚えておいて欲しいことがあります…」と言いながら、論語から引用した言葉や、柳生家の家訓などを持ち出すような、退屈な祝辞にだけはすまい!と思ってたので、

一緒に参列した、地域コミュニティの会長じいさんや、コミュニティスクールで一緒のおじさん、中学校の校長先生などからも、まぁまぁなお言葉をいただき、大満足していた。

だが、そこからがガッカリ、というか、もやる、というか、

今の私は幸い、
自己肯定感を学んだことで、現在の自分の状態を知り、元の気に戻すワークや考え方、いろんな方法わかるし、何なら、10点満点のモヤモヤから5点まで戻すのは、一時的にはたやすいことだ。

そんな私でも、ぶり返すモヤモヤを数日感じながら過ごすくらい、勇気くじきをしてくる人がいたことに、頭の中を奪われるくやしさ。

教頭だ。
それも次年度、校長となって異動していくという。
完全に愛されない校長まっしぐらだ。

わたしの祝辞に対して、
「あなたはあと一年会長をするかたなので、今後の為にもお伝えします。」(欲してないし、わたしがいつあんたにアドバイスくれと言った?)
「一つ言うなら、教職員への感謝が足りないです。
去年の校長もそうおっしゃってました。」

あれだけ、感謝の気持ちで書いて、読みあげたのに、伝わらんかったか、
目の前に、わかりやすい感謝の言葉を並べてお伝えしないと受け取れないんかい、

しかも、
わたし、みんなが嫌がる会長職を4年もやってて、なんなら、いつクビになってもいいと思ってるんで、お気遣い下さらなくて結構です。あなたの欲する立派な祝辞が出来る会長になりたいわけではありません。

卒業生と親たちが、この先の生活の中で、未来の健やかに成長した子どもたちを想像し(という目的を持って)言葉を発したり、行動したり、思考がそうであると、みんなが幸せになれるだろうな、という仮説の元、そこに向かって構成しました。

って、
もったいないし、伝わらんから
あいつらには教えん!

信頼関係が築けていないことにも気づかず、目の前の人の勇気をどんだけくじいているかにも想像が及ばない学校のトップたち、
ガッカリだし、
やっぱこんなもんか、
って感じもする。

でも、ネタばっちり。
ありがたき経験させてもらいました。

(笑)。


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